2006年03月21日

昔々のインタビュー

Macの整理中に97年のインタビュー訳を見つけたので。
一部は当時のDUNK SHOOT誌にも掲載されたものだと思いますが――

Jordan on Jordan

hoop97APRIL HOOP MAGAZINE−APRIL 1997

By Jan Hubbard
(ジャン・ハバードは、1984年以来密接にマイケル・ジョーダンを取材してきた)

1993年10月のあのショッキングな日は、今や遠い昔のことのように思われる。マイケル・ジョーダンは引退したが、カムバックすることでそれを償った。彼が最初に去ったとき、誰かが「マイケル・ジョーダンはまだ引退するはずがない。私が彼を見終えていないのだから」と言ったように。

その台詞を伝え聞いて、ジョーダンは笑った。彼は2年ちょっと前に戻ってきて、さらに1つのリングを追加し、コレクションを4つに増やしている。このオフの1日、シカゴのダウンタウンにある自分のオフィスでデスクに座り、しばらくインタビューに付き合うことを快諾してくれた。そして、将来についても少しだけ明かしてくれたのである。


Q:この2年間は、引退前より楽しかったか、つまらなかったか、それとも同じようだった?

MJ:また違う楽しさだったよ。円熟した楽しさというか。キャリアの下り坂にいるのは分かっているんだから、それなりに楽しくする方法を見つけないとね。以前は、生き生きとした状態ならではの楽しさだった。僕たちは若くて、クレージーで、向こう見ずだったし。
 でも今は、キャリアの下り坂だと分かっているから、出かけて、仕事をして、休息をとって、というような、もっとスマートな楽しさなんだ。毎日仕事に行き、自分に課した高い基準に応えなければならないから、いつでも戦いはあるけどね。

Q:振り返って考えると、君はファンやチームメイトや大衆からの要求とか、ただマイケル・ジョーダンであることのプレッシャーのせいで、しばらくマイケル・ジョーダンであることから離れるために、引退する必要があったということかな?

MJ:マイケル・ジョーダンであることが原因だったなんて言わないよ。野球をやるようになっても、まだ何もかもがマイケル・ジョーダンというイメージと結び付けられるのは分かっていたからね。僕はただ変化を必要としていただけさ。お決まりの行動や日課の繰り返しにはあきあきだったし、以前に感じていた同じ気持ちの高まりを感じなくなっていた。そして、そんな自分が嫌だったんだ。
 それには多くのことが関係していた -- 父の死、野球をやる好機、変化を望む欲求…。振り返ると、そこから離れて、自分が失ったものを見つめ、それが何を意味したのか確かめ、ゲームから得ていた喜びを見直すには、パーフェクトなタイミングだったよ。

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posted by まき at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする
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