2007年07月31日

KGがボストンへ!?

ひゃ〜。
もうKGもコービーも消えたのかと思っていたら、昨日あたり急に「ボストンがどーのこーの」という記事を見かけ、今日になったら決定ですと?

pierce-KG.jpgボストン・グローブによると・・・

アル・ジェファーソン
セバスチャン・テルフェア
ジェラルド・グリーン       ⇔ KG
テオ・ラトリフ
ライアン・ゴメス
2つのドラフト指名権

だそうです。
KGとレイ・アレンとポール・ピアースなら、ケミストリーを壊すような自己チュータイプもいないし、いいとこまでいきそうですね〜。
あぁ、まずいな〜ボストンはお得意様だったのに〜。
ボブキャッツの今季(まだ来季?)のプレーオフの可能性が低くなる〜。

と、ワクワクするより先にあくまでボブキャッツ目線だな、自分。(笑)

サム・スミスは「前にブルズが提示した条件(1年前にはデン+チャンドラー+ドラフト2位指名権、今年はノア+タイラス・トーマス+PJ・ブラウン+将来の1巡目指名権+α)の方がずっと良かった。ミネソタは後悔するだろう」みたいなことを書いているんだけど(詳細は未読)、それはやっぱり、マクヘイルとエインジが元チームメイトだからですかね。
あ、スミスは、「ボストンにマクヘイルの像が建つかもしれない」と。(笑)
そして、「レイ・アレンとKGの加入で、ボストンはいきなり優勝候補の一角を占めた。そのあおりを受け、ブルズは再びパウ・ガソルを、ネッツはジャーメイン・オニールの獲得を狙うかもしれない。イースタンは一気に活況を呈するかもしれない」

・・・う、ホントにまずい。(^^;

posted by まき at 19:54| Comment(3) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

ターヒールズ物語(4)

●マイケルが舌を出してプレーするのは、大学へ入学する前からの癖だった。シーズンの早い時期、本人はそれについて、「僕はずっと口をあけてプレーしてきた。もう習慣になっているんだ。危険だと思ったこともないし。シーズン前、スミスコーチからマウスピースを使うべきじゃないかと勧められたけど、使わなかった。それからは何も言われていないよ」
サム・パーキンスによると、そのことで上級生の何人かがジョーダンをからかっていた。ジョーダンの舌がトレードマークの1つになるのはずっと先のことで、当時はかなり奇妙に見えたものだ。
「そんなふうに舌を突き出していたら、いつか噛むぞ」と、サムは警告した。そして、ある日、実際にそうなった。それほどひどく噛んだわけではなかったが、「ちょっと血が出て、マイケルは少しきまり悪そうだったな」

●スミスコーチは、1年生の頃のジョーダンを“そこそこ”のアウトサイドシューターだったと記憶している。最高でもなく最低でもなく。彼のシュート成功率は50%を超えていたが、アクロバティックなドライブでバスケットに突っ込むプレースタイルが関係していたから、特別シュートが上手いということでもなかった。
この本のためのインタビューで、スミスコーチは回想している:「NBA入りして5年目の終盤に、いつ自分がピュアシューターになったと思うか尋ねたことがある。マイケルは、『4年目が終わった頃、オープンな15フィートのシュートなら外さないことに気がつきました。それが自分の“ピュアシューター”の定義です。15フィートのオープンショットが必ず成功するわけではないけれど、常に入りそうに思えるんです』と答えたよ」

●82年の2月頃、マイケル・ジョーダンは練習後も体育館に残り、余分にシュート練習をするようになった。数年前、ウォルター・デイビスにも同じ練習をさせたガスリッジコーチの指導を受けて。(シューティングはガスリッジコーチの担当だった)
「ウォルターは良いシューターだったが、スランプに陥ってね。シューターなら誰でもあることだが。そこで、毎日77本のシュート練習を余分にするようにした。それが1977年のことだ。ベースラインからの10フィート・ジャンパーばかり。君も知っているだろうが、10フィートのベースライン・ジャンパーは難しいシュートなんだよ。簡単そうに見えるがそうではない。バックボードを使えないからね」
「マイケルはシーズン中盤にスランプになった。スミスコーチは、その前から何度も、マイケルのグリップに問題があると指摘していたんだ。マイケルの手が大きすぎて、普通の人間がバレーボールでシュートしようとする感じになるんだね」
ジョーダンはノースカロライナ州立大戦で1−6、シタデル戦で3−10だった。そこで、ガスリッジコーチと余分のシュート練習をすることになった。1982年だったから、82本の。
「マイケルの場合は、ベースラインからのジャンパーに限らず、さまざまな角度からシュートさせるようにした。彼にとって大事なのは、自信を持つことだったから」
当時、ジョーダンは地元紙にフラストレーションを告白している。
「僕に対するディフェンスが変化したんだ。以前はゾーンディフェンスの外からジャンプショットをさせてもらえたのに、今では、僕がボールを持つとすぐディフェンスが襲いかかってくる。なかなかノーマークになれなくて、シュートを急いでしまうんだ。長すぎるシュートが多いのは、そのせいだと思っている」
82本の余分なシュート練習は実を結び、ジョーダンはシューティング・ガードとして優秀な53.4%の成功率を残した。NBAのキャリアを通しても、シュート成功率は5割をわずかに下回るだけである。

●ジョーダンはほとんど無名だった。81-82シーズンの中盤を迎えた頃でさえ。あるとき、ホームで行われたデイゲームに勝ったあと、マイケルはお母さんと一緒にカーマイケル・ジムの裏を歩いていた。シャーロット・オブザーバーの記事によると、ジョギングで通りかかった人が、ジョーダンのことを誰か知らずに、「ターヒールズが勝ったかどうか知っているかい?」と聞いた。「はい」と、ジョーダンは答えた。「彼らは勝ちましたよ」

●グランヴィル寮の地下室にはビリヤード台と卓球台が備えてあり、マイケルは挑戦相手を探して入り浸っていた。
「あいつとピンポンなんかするもんじゃない。勝たなければ別だけど」と、当時3年生のジミー・ブラドックは言う。「あんなにすさまじい負けず嫌いはいないよ。自分が勝つまで何度でも対戦させられるんだ。ピンポンはマイケルが1番だったが、私も時々勝てることがあったからね。いつもコークを賭けるか、さもなければ、練習前の余分なスプリントを賭けた。彼はプレッシャーを楽しむんだ。何かかかっている時の方が強いから、いつもプレッシャーを加えたがっていた」
「マイケルは負けることが何よりも嫌いだった」と、ジェームズ・ウォージーも同意する。「バスケットボールでもバックギャモンでもビリヤードでも。あの男は本当の勝利者だ。もし私がもう1年残っていたら、彼とプレーするのは素晴らしかっただろう」
1982年のチーム・マネージャーだったラルフ・ミーキンズも付け加える:「マイケルとは、いつでもどこでもトランプの“クレイジー・エイト”をやったものさ。ニッケル(5セント)を賭けてね。自分が負けたままでは絶対にやめたがらないんだ」
広報部長のリック・ブリューワーは、ジョーダンが筋金入りの負けず嫌いだと知っている。「マイケルは何にでも勝ちたがった。ゴルフ、バスケットボール、何にでも。重要なのは勝利だけだ。私が知っている中では、僅差で2番目の負けず嫌いだね」
では、1番の負けず嫌いは?
「ディーン・スミスだ。信じがたいと思うだろうが、彼はマイケルよりも負けることが嫌いだった」

●決勝戦が終わったあと、私たちは少人数のグループに別れて、ニューオーリンズのフレンチ・クォーターを散策した。1つのグループに、バズ・ピーターソンと彼の高校のコーチ、マイケル・ジョーダンが一緒だった。
「バズ、僕が決めたあのショット・・・どれくらい大きかったと思う?」と、マイケルは尋ねた。
「かなり大きかったと思う。でも、いいかい、僕が言うことを覚えておけよ。これから時間がたてばたつほど、あのシュートは大きくなっていくだろう」

TarHells-3.jpg


81-82シーズン中に何度か、みんなでネットをカットする練習をしていたそうです。(笑)
若いマイケルが可愛いっすネ。
posted by まき at 21:55| Comment(5) | TrackBack(2) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

ターヒールズ物語(3)

あともう1回続きます。

●ノースカロライナ大学のコーチ陣で最初にジョーダンを見たのは、ビル・ガスリッジコーチだった。「ウィルミントンにいる友人から電話があって、レイニー高校に優秀な子がいるから、一度見に来るべきだと言われたんだ。マイケルのことを耳にしたのはその時が初めてだったよ」
「そこで、私がウィルミントンまでスカウトに行き、スミスコーチに奨学金をオファーすべきだと報告した。マイケルのことはACCレベルのプレイヤーだと思ったが、どこまで成長するかは分からなかったね − 14歳のジェームズ・ウォージーをスカウトした時と違って。当時のマイケルは、単に優れたアスリートというだけだったが、4年生のシーズン中に、良いプレイヤーになるだろうと分かったんだ。まあ、完全に予測できたわけではなかったけれども。あの頃、いや、大学1年のシーズン終了後でさえ、彼はきっと偉大な選手になると確信していたという人がいたら、それは何かの勘違いか、嘘をついているのだと思う。それでも、当時から信じられないほどの闘争心の持ち主だったがね」
 
●「私は、4年生のシーズンが始まる直前、1980年の8月か9月にケンタッキー大学と口頭で約束を交わしていた」と、バズ・ピーターソンは語る。
「それを知った高校のコーチからロイ・ウィリアムスに連絡がいくと、すぐにスミスコーチが高校の体育館にやって来てね。私はプレータイムが欲しかったんだ。誰だってそうだろう。でも、スミスコーチが来てくれたから、再びノースカロライナ大学のことを考え始めた。マイク・ペッパーはUNCへの進学を取りやめたので、私が倒さなければならない相手は、ウィルミントンから来る1年生だった」
「私は、マイケルがどれだけ優秀か、あまり知らなかったんだ。まだ知り合った直後だったしね。彼は私よりずっと早く、11月にノースカロライナ大学と約束して、「君はいつ決めるんだ?」と電話してきたよ。私は1月まで返事ができなかったのだが」
その頃はまだ、バズはスターター争いでジョーダンに勝つ自信があった。1981年の夏、2人が一緒に高校オールスター・ゲームに出場するまでは。
「それまでにも彼のプレーを見たことはあった。でも、彼は突然、まったく違うプレイヤーに見えた。あのゲームでは30得点して、MVPに選ばれるべきだったよ。実際に選ばれたのはエイドリアン・ブランチだったが。あの日初めて、スターター争いでマイケルを倒すのはものすごく難しいことだと悟った」

●1981-82シーズンが始まる前、ターヒールズの専属アナウンサーだったウディ・ダーラムが、開幕へ向けての準備についてスミスコーチに尋ねた。
「なかなかいい。ウィルミントンから来た子がちょっと助けになると思う」
25年後、ダーラムは笑いながら言う:「あれは史上最高に控えめな表現の1つだったね」

●早い時期にマイケル・ジョーダンを見たバスケットボール関係者の中で、最も正確に未来を予見したのは、ビリー・カニングハムだった。カニングハムはディーン・スミスの60年代の教え子で、最初の偉大なプレイヤーだ。ある試合では、48得点&25リバウンドを記録している。1965年、チャペル・ヒルのキャンパスにスミスの人形が吊り下げられたとき、引きずり下ろした学生の1人だ。
彼はやがて、選手としても(67年)コーチとしても(83年)NBA優勝を果たす。
つまり、ビリーCはバスケットボールを知っていた。カニングハムは、NBAシーズンが始まる前の早秋にチャペル・ヒルへ戻り、スミスが指揮する練習を見学するのが好きだった。スミスとカニングハムは、お互いのチームのビデオを見て、お互いのプレイヤーについて批評し合った。
「1981-82シーズンの開幕前、ターヒールズの練習を見学に行き、ジョーダンを見た。そこで、ディーンに『ノースカロライナ大学出身で最高の選手になりますね』と言ったんだ」
「ところが、ディーンは怒り出してね」と、笑いながらカニングハムは続ける。「彼はそういうことを聞くのが嫌いだから。ディーンにとっては全員が平等なんだ。だから私は、『コーチ、コーチ、マイケルを見てくださいよ。簡単に分かることじゃないですか』と言ったのさ」

●サム・パーキンスはマイケルと1学年しか違わなかったが、性格は正反対だった。サムは「のんびり屋」で「物静か」だった。
では、マイケルは? サムに語ってもらおう。
「1年坊主だっていうのに、あいつには何も言えなかったね。お前はシュートができないとか、シュートすべきじゃないとか言おうものなら、絶対シュートするんだから。覚えている人は少ないだろうが、あいつはあまり良いジャンプシューターではなかった。でも、ガスリッジコーチが指導して、弱点が長所に変わるまで取り組んでいたね。それに、当時からバスケット周辺では並外れていた。そこで得点するコツをつかんでいたよ」
「1981-82シーズンでよく覚えているのは、マイケルが練習を面白くしていたことだな。あいつは、自分のチームが勝つと、寮の部屋に帰ってからも、いつまでもいつまでも確認させたがるんだ。そのおかげで練習での競争が激しくなり、全員が上達したと思う」
マイケルがどれほど練習熱心だったかは、皆が覚えている。「試合以上の猛烈さで練習していたな」と、当時2年生だったセシル・エグズムは言う。「マイケルは究極のジム・ラットだった」


・・・え〜と、ガスリッジコーチとビリー・カニングハムの意見は対立してませんか。(^^;
posted by まき at 21:29| Comment(2) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月28日

ターヒールズ物語(2)

とりあえず、もう1回くらい続く予定です。
今さらですが、著者は82年優勝チームの4年生PGジミー・ブラックで、シャーロット・オブザーバーのスポーツコラムニスト、スコット・ファウラー(UNC87年卒業)がインタビューを担当する共同執筆。

●ノースカロライナ大学では毎年、プレシーズンのコンディショニング・プログラムの一環として、40ヤードダッシュのタイムを計測した。ポジションごとに3つのグループに分かれて走り、タイムが遅い順に除かれていって、最後に残った3人は誰だったと思う?
ジェームズ・ウォージー、マイケル・ジョーダン、バズ・ピーターソン。6フィート9、6フィート5、6フィート3の3人だった。
最終結果には驚くと思うよ。トップはウォージーだったんだ。彼は本当に途方もないアスリートだ。2位はバズ、ジョーダンは3位だった。
「あれは素晴らしい思い出さ」と、ピーターソンは言う。「おかげで、私は今でもマイケルに、『ハイスクール・プレイヤー・オブ・ジ・イヤーで君に勝った。1年生の時の40ヤードダッシュでも君を負かした。さらに、水泳ならいつでも君に勝てるぜ』と言うことができるからね」
ビル・ガスリッジコーチも当時のレースを覚えている。そして、翌年の結果がどうなったかも。「マイケルはバズよりずっと速かった。完全に圧倒していたよ。接戦にすらならなかったね」

●私たちはほとんど、マイケル・ジョーダンのことを「マイク」と呼んでいた。しかし、シーズン中盤に、彼の名前はマイクからマイケルに変わった。少なくとも公的には。新聞やテレビのコメンテーターは、彼をマイケル・ジョーダンと呼び始めた。チームメイトにとってはまだ「マイク」のままだったが。
当時の体育広報部長リック・ブリューワーによると:「ジョーダンが入部したとき、選手たちは彼のことをマイクと呼んでいた。だから、シーズン前に発行するメディアガイドには、そのまま掲載したんだ」
「ところが、やがて選手たちの半数はマイケルと呼んでいることを知った。スミスコーチは独特なところがあって、チャーリー・スコットをチャールズと呼ぶ少数派の1人だし、本名の方を好んでいた。なので私は、ジョーダン本人に相談に行ったんだ。体育館のロッカールームへ降りていくと、彼が1人きりでシューズに紐を通していた」
ブリューワーはジョーダンに近づき、名前のことで悩んでいると話した。
「君はマイクとマイケルとどちらがいい?」
「ぼくは別にどっちでも。どちらがいいと思いますか?」
「マイケルの方が響きがいいと思うんだ。舌がなめらかに流れるというかね」
「OK」
あっけなく答えて、ジョーダンは練習に向かった。

TarHeels-02.jpg●シーズン開幕前に発行されたメディアガイドから。
憧れのアスリートは?
ウォルター・デイビス マジック・ジョンソン
好きな映画は?
Weapons of Death スーパーマン スーパーマン2
今まで読んだ中で1番良かった本は?
The Pearl (※スタインベックの『真珠』のことかな)
卒業後の進路希望は?
プロ・バスケットボール

●1982年の決勝戦の重要性は、すぐに私たち全員の記憶に刻まれたわけではなかった。例えば、決勝シュートを決めたジョーダンだが、試合後、数人の記者に対して、あのシュートは自分にとって2番目に重要な決勝シュートだと答えている。
では、最も重要なシュートは?
「クリスマス・トーナメントでハノーバー高校を破った試合の残り7秒のシュート」

●練習後、何人かが体育館に残ってワン・オン・ワンに興じることがあった。ジョーダンとウォージーも何度か対戦している。
「各バスケット1点の5点先取で3回対戦したと思う。マイケルはいつも私とプレーしたがったが、こちらが相手にしなかったからね。3回のうち、私が2勝した。つまり、2勝1敗で私の勝ちというわけだ! それから対戦したことはないから、2勝1敗のままだよ。彼は今でも、私の顔を見るたびにうるさいんだ。まだリベンジしたいんだね」

●マイケルが高校の代表チームからカットされたのは有名な話だが、高校3年の頃のマイケルは、地元ではすごい選手として知られていた。マイケルと同学年のリンウッド・ロビンソンは、州東部の高校に通っていたから、何度か対戦している。
「マイケルがコートにいるときは、5−2で当たったものさ。3年生の時に1度だけ7点に抑えたことがあったけれど、たいてい25点か30点は取られていたな。うちの方が戦力が整っていたから、勝つには勝っていたが。当時から、彼は最強の相手だった。背が高くて、リム周辺に強く、シュートもソフトで上手かったよ。でも、あんなにすごくなるなんて、100万年かかっても分からなかったね」

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2007年07月27日

うっとり第3弾

いつまで続ける気…(^^;
これも何か大好きなショットなんです。
363KBもあったので、80%に縮小しましたが。

rareAIR-04.jpgモニカ・セレスがあの男に刺された直後、ぼくにどう思ったか、みんながたずねてきた。そのてのことは怖いよ。でも、だからといって、ぼくのまわりに四六時中、警備をつけたりボディガードを雇ったりするということではないんだ。もしぼくを狙うのであれば、ぼくを消すことができるってことだ。囚人のような生活はしたくない。部屋を出ることを恐れたり、玄関から外に出る勇気をなくしたくない。

たとえば、ぼくはゴルフをしたい。ぼくの生活は快適だし、わずかな恐怖によって、それを変えるつもりはないんだ。脅しはある。そういった脅しが、現実にいまの時点であるのなら、話は別だけどね。

熱狂的なファンのこと? ぼくには、見分けがつかないよ。彼らが実在のものであるということは知っている。男なのか女なのか、それもわからない。けれども、何かやろうとする場合には、わずかでも気配を感じるということを、ぼくは知っている。(写真集『rareAIR』より)

■撮影者ウォルター・ヨース・ジュニアのひとこと:ホテルの自室にとどまることでスポットライトから逃れるという、彼の生活の別の一面をとらえている私のお気に入りの1枚。


木曜日、ボブキャッツはゴールデンステイトから交渉権を獲得したドラフト36位指名ジャマレオ・デヴィッドソンと契約。
オーランド・サマーリーグでは22位指名のダドリーと一緒に2ndチームに選ばれていたし、少しでもインサイドの助けになれるよう頑張ってほしいな。
posted by まき at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

ターヒールズ物語(1)

というところなんでしょうね〜。
82年のNCAA優勝から25周年を記念して出版された『Tales from Tar Heels』(参照)。
マイケルのエピソードを探して拾い読み(笑)しているんですけど、まぁ、ほとんどはハルバースタムの『ジョーダン』で読んだ気がする・・・ハルバースタムの取材力がさすがというか、マイケルの友人は口が堅いというか。新たな暴露話は期待できないようです。(^^;

以下、抜書きで。

TarHeels.jpg●マイケル・ジョーダンはスターターの中で唯一の1年生だった。アスレティックで、未熟で、おかしな奴で、生意気だった。私たち上級生はよく、「マイケル、お前はどうしてそんなにうぬぼれているんだ?州のMVPでもなかったくせに。何とか言ってみろ」と、からかったものだ。前年の高校MVPはバズ・ピーターソンだったからね。
2人が1年生の頃は、バズの方が優れたシューターだった。マイケルは非常に才能に恵まれていたが、それがどれほどのものなのか、チームメイトは誰も知らなかった。まったく、彼がどれだけ進化したか考えると、今でも驚くよ。

●81−82シーズンのほとんどは、リンウッド・ロビンソンがサウンドトラックを準備し、マイケルはフィルムプロジェクターを運んだ。それが1年生に与えられた仕事だったし、通常は、とても優秀で、すごく生意気な1年生が分担させられた。マイケルは両方とも適合していたからね。

●81−82シーズンのチームで最も興味深い関係の1つが、2人の1年生−−マイケル・ジェフリー・ジョーダンとロバート“バズ”ピーターソンだった。今、マイケルのことは誰でも知っているが、バズのプレーを覚えている人は少ないだろう。
アッシュヴィルで育ったバズは、子供の頃から素晴らしいシューターで、バスケットボール・ジャンキーだった。高校4年生の年にはノースカロライナ州で最高の高校生に選ばれている。
「マイケルにはいつもそのことでからかわれるよ。ただ、そうは言っても、彼は高校時代から卓越したアスリートだった。まだバスケットボール選手として磨かれていなかっただけだ。体も成熟していなかったしね」と、ピーターソンは言う。
2人はノースカロライナ大学で親友になり、一緒にデイビス・ラブ三世からゴルフを習った。また、ジョーダンの現役時代、バズは毎年ブルズの試合を見に行っていた。
「プロになって3年目の頃、マイケルから聞かされた話を忘れない。彼は地元で、ノースカロライナ大学へ進学しても私の控えになるだけだ、お前の選択は失敗だ、と悪口を言われたそうだ。大学1年の頃、練習の間に考えていたことといえば、『バズより上手くなる、バズより上手くなる』だけだったと聞かされたよ」
 
●マイケルとバズはグランヴィル寮のルームメイトで、いつもお互いの衣類を貸し借りしていた。シューズのサイズは2人とも13だったが、ジョーダンの足幅の方が広かったので、ピーターソンのローファーは全部伸びて形が崩れてしまった。
「僕のローファーを全部大きくする気なら、ドレスシューズは一生お前が貸すんだぞ」とバズは宣告した。
およそ15年間、それはその通りになった。ブルズの試合を見に行くたびに、バズはジョーダンのクローゼットからドレスシューズを2足選び(もちろん、MJも同意の上で)自宅へ持ち帰った。「もうしないけどね。今は自分の靴くらい自分で買える」と、ピーターソンは笑う。

(たぶん)続く…。
posted by まき at 21:13| Comment(2) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

うっとり第2弾

rareAIR-02.jpg


なんにもネタがないし。
写真集『rareAIR』の表紙に使われた写真です。
95年暮れに注文して、年明け10日に届いたとき、「うっは〜♪」となった表紙です。

撮影者ウォルター・ヨース・ジュニア氏のひとこと:3月(※93年3月でしょう)に、マイアミにあるメイフェアホテルの屋上で撮った。ライフガード(※英語の原文でもlifeguardなんですけど、ボディーガードじゃないんですかね?)に、傘をマイケルにさしかけるよう頼み、ぼくは彼の顔に光が反射するよう地面に白い大きな傘を置いた。背景は最高だった。

大きなマイケルに見つめられたい方は続きからどうぞ♪
ついでに昨日の写真も100%にしました。
どうして80%に縮小したのか自分でも不思議。(^^;
kenkenさん、すみません。(笑)

続きはこちら
posted by まき at 22:20| Comment(2) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

最強の美しさ☆

rareAIR-1.jpg写真集『rareAIR』の中表紙(というのかな?)になっていて、しばし見惚れた横顔。

これはカードをスキャンしました。
サイズを小さくすると美しさも半減だから、できるだけ大きいままでUP。
やっぱり素敵☆彡
posted by まき at 21:14| Comment(7) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年07月22日

ボブキャッツはオフ

NBAの審判が八百長疑惑でFBIの捜査対象になるという前代未聞の大事件が勃発していますけど――

ISM記事

 現地時間20日、NBAはレフェリーのティム・ドナフィ氏が試合の不正工作でFBIから捜査されていることを発表した。推測と批判が渦巻く中、NBAコミッショナーのデビッド・スターン氏は声明を公開。「我々はFBIの調査に協力しています。この調査を助けるために労力、時間と人員を惜しまないことをファンに保証します」。また、スターン氏は来週の記者会見でより詳しく説明するとした。

 全国紙「ニューヨーク・ポスト」によると、FBIはドナフィ氏が過去2シーズンに審判を務めた試合も含め、NBAの試合で賭けを行っていた見込みがあり、取り調べをしているとのこと。ドナフィ氏にギャンブルの問題があり、借金を返すために不正し始めたと考えているという。

 40歳のドナフィ氏は今月上旬にリーグを辞任。昨季は西カンファレンス準決勝のサンアントニオ・スパーズ対フェニックス・サンズのゲーム3などのプレーオフ5試合でレフェリーに就いていた。


あとはFAもサマーリーグも一段落して、本格的にオフモードですね。
とりあえず、シャーロット・オブザーバーのコラムを読みました。
何も記事がなくなったら、パラパラしか見ていない『TIP OFF』とか『Tales from the Tar Heels』を読めるといいんだけど…。

SCOTT FOWLER

●シャーロット・ボブキャッツに対するジェラルド・ウォレスの期待は天文学的に高い。
金曜日の記者会見で、ジェイソン・リチャードソンとどのようにプレーするか尋ねられたとき、ウォレスは言った:「スコッティ・ピペンとマイケル・ジョーダンのように…敵は僕ら2人を同時にガードできない」
自分たちに6回優勝したデュオと同じインパクトがあると?
「願わくは」とウォレスは言い、笑った。「だといいな、と」

●金曜日、ニューヨーク・ポストは、数週間前にウォレスを含む三角トレード(ウォレスがサイン&トレードでレイカーズへ行き、レイカーズはラマー・オドムをネッツに送り、ネッツからリチャード・ジェファーソンがボブキャッツに加わる)の交渉があったと報じた。
ポストはまた、マイケル・ジョーダンがトレードをつぶしたと報じている。ウォレスは、そのトレード案を知っていたが、詳細は知らなかったと述べた。
「ずっとここが自分の第一希望だった。僕たちには素晴らしいチームがある。イースタン・カンファレンスのコンテンダーになるチャンスがあると思う」

●ウォレスかリチャード・ジェファーソンなら、私はウォレスを選ぶ。ウォレスにはジェファーソンのジャンパーはないが、より良いリバウンダーでありディフェンダーだ。

●5700万ドルの使い道について、ウォレスは、アラバマに母親の家を建て、もう少しテレビゲームを買う以外思いつかないと言った。私が地元の慈善団体なら、さっそく売込みを開始するだろう。

●時には自分の体を損なうほど、ウォレスは常にハッスルする。「観客席の5列目まで突っ込む必要があるなら、それが自分のなすべきプレーだ」と、記者会見でウォレスは言った。今シーズンはもう少し場所を選ぶように願おう。ウォレスには少なくとも70試合は出場してもらわなければならない。

●私はまだ、エメカ・オカフォーのバックアップが十分でないと思う。だから、2007-08シーズンのプレイオフを確実だとは言えない。チームはショーン・メイが万全な体調で戻ることを願っているだろうが、何の保証もない。私にとってはローポストが最大の疑問点であり、ポイントガードのバックアップより重要なニーズだと思う。

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2007年07月21日

ラストチャンスとな

ラマー・オドム→ネッツ 
リチャード・ジェファーソン→ボブキャッツ
ジェラルド・ウォレス→レイカーズ
という成立寸前の三角トレードをジョーダンがつぶした、という噂があるそうです。NYポストの記事だから眉ツバだけど。実際、ウォレスとジェファーソンを交換する意味があるのか?

そのウォレスの〈祝〉再契約記者会見

さて本題。
人の見方は十人十色で、スポーツ・イラストレーテッドのクリス・マニックス記者はまだ及第点をくれないみたいです。

Last chance
Jordan faces career crossroads as he rebuild Bobcats
Wednesday July 18, 2007

マイケル・ジョーダンは最も厳しいテストに直面している。

シャーロット・ボブキャッツの共同オーナーになるために1000万ドル以上の投資をしてから1年と少し、ジョーダンは2つ目のフランチャイズをコントロールするポジションにいる。そして、プレイオフの匂いを嗅いだこともないチームがジョーダンにたくさんの改善の余地を与える一方、MJ自身にも大いに改善の余地がある。

2000年からワシントン・ウィザーズで始まったマネージメントへの最初の挑戦は、寛大に言っても凡庸だった。彼が初めて雇ったコーチのレオナルド・ハミルトンは、19勝63敗の成績を残して1シーズンのみで去り、タイソン・チャンドラー、パウ・ガソル、エディ・カリーの前にトップ指名したクワミ・ブラウンは失敗だと判明した。2003年、ジョーダンは現役時代には決して味わったことのない、望まれず失業するという立場に追いやられた。

しかし、ワシントンで失敗し、侮辱されたあと、ジョーダンはシャーロットで2度目のチャンスをもらい、仕事を始めた。まず、再び初めてのヘッドコーチを選んだ。06年にアダム・モリソン、07年にジャレッド・ダドリーをドラフトした。むらのあるシューティングガード、ジェイソン・リチャードソンの獲得を承認し(5110万ドルという膨大な契約と共に)、リザーブのマット・キャロルに2700万ドルを与え、ジェラルド・ウォレスと6年5700万ドルで再契約した。

リチャードソンの補強は33勝のクラブの改善を保証するはずだが、ジョーダンは力の劣るFAに高額契約を提供し、サラリーキャップの余裕をいささか簡単にふいにしてしまったのではないかという疑問が残る。

リチャードソンは優れたスコアラーだが、それだけだ。キャロルは堅実なチームメイトだが、他のチームでは2700万ドルの契約は得られそうもない一元的なリザーブである。ジョシュ・ハワードと同額を稼ぐウォレスは、モリソンやダドリーと1つのポジションで出場時間を争うだろう。

リチャードソンをつかまえるために8位指名のブランダン・ライトを手放したとき、ジョーダンは若手を集めるバーニー・ビッカースタッフの方針からボブキャッツを転換させた。ライトがスターに発展するかどうかはまだ分からないが、ひざに問題を抱えるリチャードソンは主にジャンプシューターになったことを考えるべきだ。

これはジョーダンにとって重要な年になる。リチャードソンがイースタンのオールスターに変身し、ウォレスがキャリアベストの18.1得点からさらに成長を遂げ、ダドリーがドラフトの掘り出し物だったということになれば、ジョーダンはウィザーズでの失敗からパスをもらうことができるだろう。しかし、リチャードソンのひざが機能せず、ダドリーが苦闘し、ウォレスの活躍が「契約年」のものだったと分かったら、ジョーダンはこの10年で2つ目のフランチャイズを挫折させる。

・・・で? 横からあれこれ言うのは簡単だよね。
だいたい、弱小チームはサラリーキャップに余裕があってもムダでしょ。いくら大金を積もうと、大物FAが弱小チームなんて選ばないのは数年前のブルズが証明してる。
それに、ウィザーズはマイケルが挫折させたわけじゃないぞー。

★一方、DraftExpress.comはジェイソン・リチャードソンの獲得とジャレッド・ダドリーの指名を「A-plus」と最高の評価。

posted by まき at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年07月20日

ウォレスと正式契約

「このプロセスのスタートから、シャーロットが第一希望だという気持ちは変わらなかった。キャリアをスタートしたのはサクラメントだったけれど、今の自分に成長できたのは、シャーロットがチャンスを与えてくれたからだ」
2005-06シーズンに記録した2.5スティール&2.1ブロックは、デビッド・ロビンソン、アキーム・オラジュワンに次ぐNBA史上3人目の2ブロック&2スティールだったそうです。

●一方、ボスクールはバックスと1年300万ドルで合意したみたいですが…。
タフガイぶりが好きだったんだけどな。

●18日はシカゴではなくノースカロライナ州グリーンズボロにいたマイケル。
今年で23回目のフレッド・ホィットフィールド主催のバスケットボールキャンプと、奨学金集めのチャリティーゴルフ 2007 Hoop Tee golf tounament があったため。
バスケットボールの基礎だけでなく、教育の重要性やドラッグの危険性も教えるキャンプだそうで、優秀な参加者に授与するのはトロフィーではなく、ジョーダン・ブランドのバックパックとその年のゲスト(過去にはオカフォーやフェルトンやアントワン・ジェイミソン)がサインした辞書なのだとか。

記事  フォトギャラリー

Bobcatsmember-Harper.jpg Oakley.jpg ZO.jpg

MJ0718.jpgボブキャッツ関係者だけでなく、ロン・ハーパーやオークリーやZOも参加。

で、これがMJ?ホント?
言われないと(言われても)誰だか分かんないぞ…。
何でこんな写真しかないの?

・・・何でこのウェア?(^^;
posted by まき at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

Summer Breakfast Club

18日のシカゴを皮切りに、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボルティモア、アトランタ、マイアミ、ニューオーリンズ、ダラス、ベガス、ロス、ポートランドと巡回するそうで。

0718BreakfastClub.jpg BreakfastClub-2.jpg

M・フィンリーとグローバーさんはいるけど、ボスはいないか。

ついでに、American Century Celebrity Golf Tournamentの15日の写真が追加されていました → wireimage  Getty Images (検索)


●ナイキがエア・ジョーダンをコピーした中国のシューズメーカー2社と販売店を告訴したというニュースによると、ナイキ側は製造・販売の中止+謝罪+100万元(13万1000ドル)の損害賠償を請求しているそうなのですが、被告側の弁護士は、中国ではエア・ジョーダンのロゴは有名ではないと主張し、賠償額に異議を唱えているそう。
偽造したことより腹が立つ弁解。(笑)


そーだ、今日は9時からBSで『スペース・ジャム』ですネ。
ビデオもDVDも持ってるけど見ようかな。(^^)
posted by まき at 20:27| Comment(2) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

キャロルと正式に再契約

「NBAで成功するチャンスを与えてくれたボブキャッツに長く留まれることは、言葉で表現するのが難しいくらい嬉しい」
(忠誠心が再契約を決めた大きな理由だったこと)「僕にとっては大事なことだから誇りに思っている。シャーロットとこの組織は僕に対して忠誠を尽くしてくれたと思う。できることなら恩返しがしたい。プロスポーツ界ではあまり見られないことだけれど、ここの経営陣はとても誠実な人たちだ。ジョンソン氏もバーニーもマイケルも他の人たちも。最近ではめずらしいことだと思う」
(チーム内でどんな役割を予想しているか)「今それを言うのは難しいな。僕の役割はシーズンごとに変化してきたと思うが、もう本当に問題ではないんだ。求められることは何でもするつもりだ」
(長期契約でプレッシャーが軽くなったか)「人前でプレーする僕たちの仕事には常にプレッシャーが伴うと思う。マイケルから、僕を引き止めたい、チームにとって重要だと言ってもらったことが自信になっている。マイケルとの交わりはいつも自信を与えてもらえる。史上最高の選手が自分の身近にいるのは素晴らしいことだ」

●あと、楽観的なシャーロット・オブザーバーの観測。(^^;

Q:昨シーズンのチームとどう違うか?
両ウィングにジェイソン・リチャードソンとジェラルド・ウォレスがいるボブキャッツのオフェンスは、今までよりずっとワイドオープンなはずだ。ポイントガードのレイモンド・フェルトンも速い展開を好むし、ウォルター・エルマンが加わわればオープンコートのオプションが増える。サム・ヴィンセント新コーチの課題は、オカフォーやプリモズ・ブレゼッチのようなビッグマンをどのようにシステムに組み込むかだろう。

Q:強化された部分は?
アスレティックで得点力があるリチャードソンは、決定的な場面での脅威になってくれる。ボブキャッツはクラッチタイムで頼りになることを願っているだろう。

Q:足りない部分は?
オカフォー以外のインサイド陣に筋力がない。ショーン・メイの体調には大きな疑問があり、ボスクールは戻るかどうか分からない。ライアン・ホリンズはひょろひょろで、ジャマレオ・デヴィッドソンのロスター入りは保証されていない。ボブキャッツはオーランドとラスベガスのサマーリーグで「巨体」とバックアップのポイントガードを探している。

Q:難しい立場にいるのは誰か?
アダム・モリソン。ビッグショットを期待されたが、ルーキーシーズンには果たせなかった。リチャードソンが加わったことで、ゴー・トゥ・ガイとしてのプレッシャーは軽くなるが、37.6%のシュート成功率(3Pは33.7%)を改善する必要がある。メイがどれだけプレーできるかは、選手生命にも関わってくるだろう。しかし、プレーできる時のメイは間違いなく生産的なプレイヤーだ。

Q:プレイオフは現実的なゴールか?
もちろん。これはイースタンカンファレンスの話であり、故障に泣いた昨シーズンのボブキャッツは来シーズンのボブキャッツほど強くなかったが、それでもオールスター以降のしばらくは8番目に近い位置をウロウロしていた。ドラフト上位指名の多くがウェスタン・カンファレンスへ行き、今のところイーストにはそれほど大きな動きがない(オーランドのラシャード・ルイスを除き)。プレイオフへの道は開かれている。

ニックスにザック・ランドルフ、ネッツにマグロアが加わりましたよ?
クリーブランドとデトロイトとシカゴとトロントは固そうだから…あとワシントンと…オーランド、マイアミ、ニュージャージー、どこかを蹴落とさなきゃならないわけで。
アトランタはホーフォードと誰を取ったんだっけ?(もう忘れた)
レイ・アレンが入ったボストンもいるし。
とりあえず怪我がなければ8位争いはできると思うんだけど・・・。


posted by まき at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

及第点

14日の写真だけwireimageに大量にありました。 American Century Celebrity Golf Tournament (ついでにgettyimagesも検索したら、同じ写真ばかり…)

さて、この前 Yahoo! SportsのトップにMJの写真があったので、何?とギクッとしたのですが(被害妄想(^^;)、どうやらオフの動きに及第点をつけてくれたコラムらしく(一部テキトー)…

The G.M. rules
By Adrian Wojnarowski, Yahoo! Sports
July 12, 2007

スポーツ界の永遠のスーパースターとしての名声 − エグゼクティブとしてのひびが入った経歴ではなく − は、マイケル・ジョーダンを最も粗雑にジャッジされるエグゼクティブに変えた。彼の決断が失敗し、ユニフォーム姿では決して受けたことのない形で屈辱を味わうとき、リーグ周辺の人々は倒錯的な喜びを感じる。(※ちょっと言えてるかもネ〜(笑))

さて、ジョーダンのエグゼクティブとしての遺産は危機に瀕していた。そして、ふたを開ければ、彼はボブキャッツのドラフト指名権とゴールデンステイトのジェイソン・リチャードソンをトレードし、急速に成長しているジェラルド・ウォレスとの再契約をまとめる能力を示した。

今回のことは何よりも、ボブキャッツをDリーグ扱いすることはやめようというロバード・ジョンソンの意欲にかかっていた。彼の支払う人件費はリーグ最低だったし、管理職員は次々いなくなり、ようやく、この夏は厳しいテストであることを約束した。

シャーロットへ戻ったNBAチームへの関心がどれだけ低かろうと、チープな状態を続けることはフランチャイズの将来にとって終末のシナリオだった。しかし、ジョーダンはドラフト日に素晴らしい取引をした。ノースカロライナ大のブランダン・ライトをキープしたり、他のティーンエイジャーを選ぶことは、組織の信頼性に大きな損害を与えただろう。

「10年のスパンで考えれば誤った動きかもしれない」と、あるイースタン・カンファレンスの幹部は言った。「しかし、今のシャーロットにとっては間違いなく正しい動きだ。彼らはもう1人若いピースを加えるわけにはいかない。特に若いコーチ(サム・ヴィンセント)が就任した今は」

ウォレス(5700万ドル)とリチャードソン(5100万ドル)が一緒にプレーすることは、ボブキャッツに自分たちがイーストのプレーオフ候補だと信じる根拠を与える。彼らはマット・キャロルも6年2700万ドルでキープした。バーニー・ビッカースタッフは、この3シーズンで手ごわい核を築くという過小評価された仕事をやり遂げ、今、ジョーダンはシャーロットに再びプロバスケットボールを関係させるチャンスを得ている。

「僕らはプレーオフチームだったんじゃないか思う」と、最近の高校バスケットボールキャンプで、エメカ・オカフォーは私に語った。今、経営陣はオカフォーとの契約延長交渉を望んでおり、ウォレス、リチャードソンとのトリオ結成の見込みは高い。彼らは皆20代半ばで、成長を続けるプレイヤーたちである。

フランチャイズはまた、ジョーダンも発展途上のエグゼクティブであることを願った方がよい。6年前、ワシントンでクワミ・ブラウン(過去最低の1位指名の1人)をトップ指名したことは、永久に彼の汚点になっても仕方がない。ジョーダンにとってあれは、どれほど少ない準備で、どれほど少ない調査で、自分の仕事を始めたかということを知る機会だった。1年前のアダム・モリソンの指名はシャーロットでのお粗末なスタートだった(どうして彼がまだ米代表チームのロスターに入っているのか?)が、彼を失敗と断じるのはまだ尚早だ。

とは言っても、ジョーダンの存在は、もし他に何もなくても、ジョンソンにプレッシャーをかけたように見える。ジョーダンは財政緊縮を望まなかった。

ジョーダンはロッド・ヒギンスやバズ・ピーターソンのようないつもの取り巻きを自分の周りに置いている。彼は周囲の人間の忠誠を能力と同程度に重視する。それは大部分のリーグ経営者にも当てはまることだが、独自の考えの持ち主を身の回りに置くことも彼のためになるだろう。とは言え、バーニー・ビッカースタッフをフロントに引っ込めたのは(本人がもうコーチは望まなかったとしても)賢明だった。

今のところ、マイケル・ジョーダンは夏の精査を切り抜けた。プレーオフチームのボブキャッツ、それは、ズタズタになったジョーダンのエグゼクティブとしての遺産にとってスタートである。


ま〜ま〜クワミが失敗だったのは認めます・・・どうせなら、ルックスだけでタイソン・チャンドラーを選べば良かったのに。(笑)
ちなみに、2位:チャンドラー、3位:ガソル、4位:エディ・カリー、5位:ジェイソン・リチャードソン、6位:シェーン・バティエ、10位:ジョー・ジョンソン、13位:リチャード・ジェファーソン、19位:ザック・ランドルフ、25位:ジェラルド・ウォレス、28位:トニー・パーカー、(2巡目)30位:ギルバート・アリーナス、だったんですねぇ。
posted by まき at 21:20| Comment(3) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

レイク・タホ(15日)

0715-reacts-to-thanking.jpg

今年は来てくれてありがとう!と声をかけられて振り返ったところ。
第2ラウンド後の記事もその話題――

土曜日の午後2時20分ごろ、マイケル・ジョーダンはアメリカン・センチュリー・チャンピオンシップ史上最もばかげたことを言った。
これからもトーナメントに出場するかつもりかどうか質問されて、「招待されたらね」と。
まぁ、正しいと言えば正しい。

トーナメントのオーナーであるNBCがジョーダンより大事にする出場者は1人もいないと言って間違いない。
第2ラウンドのあと、ジョーダンは「楽しかったよ」と続けた。「ここへ来るたびに、素晴らしいもてなしを受けている。また戻って来ることを楽しみにしているよ」

ジョーダンは2002年から2005年までほぼ毎年更新されたトーナメントの観客動員記録に貢献した。去年は直前に出場を取りやめている。
今年は12回目の参加になり、ラウンド終了後は練習グリーンの近くで15分から20分サインに応じた。
サインやメディアの要求をどのようにさばくか尋ねられると、「僕は楽しもうとしているだけなんだ。そういうことをプレッシャーとは受け取らない。と言うか、もちろん良いゴルフはしたいけど、それよりも楽しい時間を過ごしたいんだ。ファンはそれにとても協力的だよ」

――2年前までは一切サインに応じなかったらしいのに、サインもするようになったんですね。

Fire-Victim.jpg victim-family.jpg 0715-17th.jpg

左&中:先月、近くで大規模な火災があったそうで(焼失家屋254棟とか)、自宅を失った少年にチャールズと一緒にサインしたボールをプレゼント。
チャールズは現地も訪問し、2万5000ドル寄付したそうです。(こちら

wireimage  Getty Images (American Century Celebrity Golf Tournamentで検索)




posted by まき at 15:32| Comment(4) | TrackBack(0) | ゴルフ | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

レイク・タホ(14日)

0714-MJwait.jpg

タイガーとゴルフした時みたいなナイス・ショット(写真の方の)はないです〜。

【追加】wireimageのフォトギャラリー
American Century Celebrity Golf Tournament

GettyimagesでもAmerican Century Celebrity Golf Tournamentで検索できます。
(同じ写真でサイズだけ大きい)

まあ、一応見る?(^^;
posted by まき at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ | 更新情報をチェックする

2007年07月14日

マーカス

0713Marcus


Marcus Jordan
Michael Jordan's son is playing in Nike Peach Jam tournament

ジョージア州オーガスタのTV局が取材したビデオがあります。(インタビューとプレーしているところ少し)ライジング・スターズの一員として、今週の「ナイキ・ピーチ・ジャム・トーナメント」に出場しているそうです。

ひげがあるせいか、ジェフリーより2歳下には見えない感じ。
ジェフリーは子供の頃のまんまだけど、マーカスはそうでもないですね。
2人とも眉が濃いところはお父さんに似ていないな。(^^)

【追加】NBC系にもビデオあったので。 Like Father Like Son

「僕のゲームの1番いいところは、バスケットに突っ込んでオープンなシューターを見つけるところ」
高く期待されることについて:「期待は高いけど、つきものだと思って気にしていない。僕はただ自分のゲームをするだけだ」
posted by まき at 15:02| Comment(7) | TrackBack(0) | ファミリー | 更新情報をチェックする

レイク・タホ(13日)

0713-3rdHole.jpgトーナメント初日、3番ホールでキャディーの助言に耳を傾けているところ、らしい。(笑)
“道化師”サー・チャールズの記事は多いんだけど、マイケルは真面目にゴルフをやっているのか、何の話題もない…。
名前を見たのも、元NFLのジェリー・ライスが「再戦が楽しみだ。マイケルをやっつけたい。向こうもそう思っているはずだよ」くらい。
今日は写真もこれだけだし。


posted by まき at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ | 更新情報をチェックする

2007年07月13日

レイク・タホ(12日)

キャップの方が似合うのに〜。

RGJ0712-4.jpg


今日は練習ラウンドかな。
本番3日間はテレビ中継があるアメリカが羨ましい!
ざっと見たところ、マイケルについての記事は全然なし…。
とりあえず、地元紙のフォトギャラリーは → Reno Gazette-Journal Sports

NBA関係では、レイ・アレン、ジェイソン・キッド、チャールズ・バークリー、ビニー・デルネグロ、ダン・マーリー、スパッド・ウェブも出場するらしいです。(参考
でも、公式HPは何となく昔ほど盛り上がってなさそうな〜。

もっとMJ見る?
posted by まき at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ゴルフ | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

ウォレスと合意

●シャーロット・オブザーバーによると6年5700万ドル(6年目はウォレス側のオプション)+毎年200万ドルのボーナスの可能性(インセンティブ?)で合意。
「ジェラルドは、シャーロットに戻ること、強豪チームを築くことに熱心なオーナーグループによる若くてアスレティックなチームの一員になれることを喜んでいる」by エージェント
「戻ってくるのは分かっていたよ。彼はシャーロットとボブキャッツを愛しているからね。ただ手順を踏まなければいけないだけのことだと思っていた」by フェルトン

まあ、私もあまり心配していませんでしたが。マイケルが言うとおり、感情的なもつれがなければ主力級の選手がFA移籍することはめったにないし。
これで、次の仕事はオカフォーとの契約延長交渉、とビッカースタッフさん。
「すぐに話し合いを始めたい」

●そのオカフォーは11日にワシントンで"One Million African Lives"のレセプションに出席。

0711okafor-2.jpg<同席しているのは民主党の下院議員2氏

●オーランドのサマーリーグも開催中だけど、2巡目指名やドラフトされなかった選手たちのサバイバルの場であって、チームの勝敗はどうでもいいわけですしね。(ヴィンセントHCは「勝ちに行く」と言ってましたが)
パット・ライリーやラリー・バードは来ていても、MJはいないそうだし〜。
(レイク・タホのセレブリティ・ゴルフの方もすでにイベントが始まっていて、ケビン・コスナーがセレブ/アマに出場しているんだけど、まだNBA関係者は誰も見当たらず…)

一応、ボブキャッツのサマーリーグ特集ページはこちら
BOXSCOREやリキャップはこちらのページから。
posted by まき at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする
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