2007年07月30日

ターヒールズ物語(4)

●マイケルが舌を出してプレーするのは、大学へ入学する前からの癖だった。シーズンの早い時期、本人はそれについて、「僕はずっと口をあけてプレーしてきた。もう習慣になっているんだ。危険だと思ったこともないし。シーズン前、スミスコーチからマウスピースを使うべきじゃないかと勧められたけど、使わなかった。それからは何も言われていないよ」
サム・パーキンスによると、そのことで上級生の何人かがジョーダンをからかっていた。ジョーダンの舌がトレードマークの1つになるのはずっと先のことで、当時はかなり奇妙に見えたものだ。
「そんなふうに舌を突き出していたら、いつか噛むぞ」と、サムは警告した。そして、ある日、実際にそうなった。それほどひどく噛んだわけではなかったが、「ちょっと血が出て、マイケルは少しきまり悪そうだったな」

●スミスコーチは、1年生の頃のジョーダンを“そこそこ”のアウトサイドシューターだったと記憶している。最高でもなく最低でもなく。彼のシュート成功率は50%を超えていたが、アクロバティックなドライブでバスケットに突っ込むプレースタイルが関係していたから、特別シュートが上手いということでもなかった。
この本のためのインタビューで、スミスコーチは回想している:「NBA入りして5年目の終盤に、いつ自分がピュアシューターになったと思うか尋ねたことがある。マイケルは、『4年目が終わった頃、オープンな15フィートのシュートなら外さないことに気がつきました。それが自分の“ピュアシューター”の定義です。15フィートのオープンショットが必ず成功するわけではないけれど、常に入りそうに思えるんです』と答えたよ」

●82年の2月頃、マイケル・ジョーダンは練習後も体育館に残り、余分にシュート練習をするようになった。数年前、ウォルター・デイビスにも同じ練習をさせたガスリッジコーチの指導を受けて。(シューティングはガスリッジコーチの担当だった)
「ウォルターは良いシューターだったが、スランプに陥ってね。シューターなら誰でもあることだが。そこで、毎日77本のシュート練習を余分にするようにした。それが1977年のことだ。ベースラインからの10フィート・ジャンパーばかり。君も知っているだろうが、10フィートのベースライン・ジャンパーは難しいシュートなんだよ。簡単そうに見えるがそうではない。バックボードを使えないからね」
「マイケルはシーズン中盤にスランプになった。スミスコーチは、その前から何度も、マイケルのグリップに問題があると指摘していたんだ。マイケルの手が大きすぎて、普通の人間がバレーボールでシュートしようとする感じになるんだね」
ジョーダンはノースカロライナ州立大戦で1−6、シタデル戦で3−10だった。そこで、ガスリッジコーチと余分のシュート練習をすることになった。1982年だったから、82本の。
「マイケルの場合は、ベースラインからのジャンパーに限らず、さまざまな角度からシュートさせるようにした。彼にとって大事なのは、自信を持つことだったから」
当時、ジョーダンは地元紙にフラストレーションを告白している。
「僕に対するディフェンスが変化したんだ。以前はゾーンディフェンスの外からジャンプショットをさせてもらえたのに、今では、僕がボールを持つとすぐディフェンスが襲いかかってくる。なかなかノーマークになれなくて、シュートを急いでしまうんだ。長すぎるシュートが多いのは、そのせいだと思っている」
82本の余分なシュート練習は実を結び、ジョーダンはシューティング・ガードとして優秀な53.4%の成功率を残した。NBAのキャリアを通しても、シュート成功率は5割をわずかに下回るだけである。

●ジョーダンはほとんど無名だった。81-82シーズンの中盤を迎えた頃でさえ。あるとき、ホームで行われたデイゲームに勝ったあと、マイケルはお母さんと一緒にカーマイケル・ジムの裏を歩いていた。シャーロット・オブザーバーの記事によると、ジョギングで通りかかった人が、ジョーダンのことを誰か知らずに、「ターヒールズが勝ったかどうか知っているかい?」と聞いた。「はい」と、ジョーダンは答えた。「彼らは勝ちましたよ」

●グランヴィル寮の地下室にはビリヤード台と卓球台が備えてあり、マイケルは挑戦相手を探して入り浸っていた。
「あいつとピンポンなんかするもんじゃない。勝たなければ別だけど」と、当時3年生のジミー・ブラドックは言う。「あんなにすさまじい負けず嫌いはいないよ。自分が勝つまで何度でも対戦させられるんだ。ピンポンはマイケルが1番だったが、私も時々勝てることがあったからね。いつもコークを賭けるか、さもなければ、練習前の余分なスプリントを賭けた。彼はプレッシャーを楽しむんだ。何かかかっている時の方が強いから、いつもプレッシャーを加えたがっていた」
「マイケルは負けることが何よりも嫌いだった」と、ジェームズ・ウォージーも同意する。「バスケットボールでもバックギャモンでもビリヤードでも。あの男は本当の勝利者だ。もし私がもう1年残っていたら、彼とプレーするのは素晴らしかっただろう」
1982年のチーム・マネージャーだったラルフ・ミーキンズも付け加える:「マイケルとは、いつでもどこでもトランプの“クレイジー・エイト”をやったものさ。ニッケル(5セント)を賭けてね。自分が負けたままでは絶対にやめたがらないんだ」
広報部長のリック・ブリューワーは、ジョーダンが筋金入りの負けず嫌いだと知っている。「マイケルは何にでも勝ちたがった。ゴルフ、バスケットボール、何にでも。重要なのは勝利だけだ。私が知っている中では、僅差で2番目の負けず嫌いだね」
では、1番の負けず嫌いは?
「ディーン・スミスだ。信じがたいと思うだろうが、彼はマイケルよりも負けることが嫌いだった」

●決勝戦が終わったあと、私たちは少人数のグループに別れて、ニューオーリンズのフレンチ・クォーターを散策した。1つのグループに、バズ・ピーターソンと彼の高校のコーチ、マイケル・ジョーダンが一緒だった。
「バズ、僕が決めたあのショット・・・どれくらい大きかったと思う?」と、マイケルは尋ねた。
「かなり大きかったと思う。でも、いいかい、僕が言うことを覚えておけよ。これから時間がたてばたつほど、あのシュートは大きくなっていくだろう」

TarHells-3.jpg


81-82シーズン中に何度か、みんなでネットをカットする練習をしていたそうです。(笑)
若いマイケルが可愛いっすネ。


posted by まき at 21:55| Comment(5) | TrackBack(2) | BOOKS | 更新情報をチェックする
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