2007年08月31日

ATTACKトレーニングセンター

シカゴのウエストサイドに建設中だったティム・グローバー氏の新しいトレーニングセンターが公開されたようです。総工費1500万ドル、6万平方フィート(5400平方メートル)の最先端アスレティック・トレーニング施設 "ATTACK Training Center"は、NBA規格のバスケットボールコート4面、NCAA規格のバレーボールコート4面、ウエイトルーム、トレーニングプール、リハビリ施設を完備。

市有の工場用地が格安で払い下げられ、シカゴ市からの助成もあったらしく、デイリー市長が施設をお披露目したとか。「我々の五輪招致にとって非常に重要。このような施設が必要である」とコメント。
シカゴ2016アスリート諮問委員会の共同委員長である柔道メダリストのボブ・バーランド氏も、オリンピック候補地にとって「すこぶる有益な」施設であると。

Google.jpg住所:2641 W. Harrison を頼りにGoogle Earthで検索してみたら、ユナイテッドセンターにも近く。
わかりにくくなっちゃいましたけど、画面右の赤点はマーカス君の高校デス。
真ん中がユナイテッドセンター、左の黄点あたりが2641 W. Harrison


■今週末、イリノイ大学はオタワに遠征中。
しかしながら、マイケル・ジョーダンが息子の大学デビューを見に来るかどうかは疑わしい、とのこと。金曜夜、過去4年の通算成績で全米最多勝のイリノイ大学とカナダチャンピオンが対戦するらしい。(オタワ・サン

デビューと言っても…まだベンチ入りしていないでしょう?
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2007年08月30日

マキニスと再契約

結局のところ、1年&ベテラン最低保証額(約110万ドル)で契約。
それでも、「UNCばかり集めるジョーダンのエゴ」なんてファンのコメントがチラッと見えましたが、何の文句があるかなぁ?じゃあ、誰と契約しろって言うんだか。
いちいちボブキャッツ・ファンのコメントを読むつもりはないんですけども。

マキニスのエージェントによれば、デトロイト、マイアミ、ボストンを含む少なくとも5チームから関心を示され、同レベルの条件提示もあったが、本人がホームタウンでのプレーを望んだとのこと。できればもっと高額契約を求めたかったが、まだ未契約のFA選手は、ほとんどがベテラン最低保証を受け入れるだろう(受け入れるしかないだろう)と。

リック・ボーネル記者のブログによると――標準的なNBAチームは、経営陣がチームの将来にとって重要だと考える4〜5人に人件費の50〜70%を費やし、経費のバランスをとるために、残りのうち4〜5人はベテラン最低保証額を受け入れざるをえない。つまり、「平均額」のサラリーを稼いでいる選手はほとんどいない。
また、団体協約は、できるだけ多くの契約をベテラン最低スケールにホールドするため、各チームに見返りを与える(各選手のNBA経験をベースにした補償金)。NBAは、リーグにプールした資金の中から、各チームに最低保証額を部分的に還付する――で正しいのかな?

つまり、マキニスのサラリーの大部分はリーグが支払うらしい。
どーゆーこと?
1999年の労使交渉の結果らしいです。
とにかく、昔に比べて格差が広がっていると思いますねぇ。1000万ドルとかぞろぞろいて、最低保証も大勢いて。
ま、最低保証とか言っても1億円超えてるんだけど。(^^;

とりあえず、ボブキャッツにはデレク・アンダーソンとも再契約していただきたい…。
posted by まき at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年08月29日

TIP-OFF (10)

今さらですが、参考文献から拾った当時のコメントなのか、執筆のためのインタビューで語られたことなのか判然としない箇所がいくつかあったんですけど、どうやら現在のコメントらしいので、今までの分も何箇所か大人言葉に変更しました。英語は「おら」も「ぼく」も「わたくし」も全部「I」なんだもんなー。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 4


人生は過ぎていく。パーキンスの上に。ジョーダンの上に。ディーン・スミスの上に。決断の時が迫る。ジョーダンはあと数週間のうちに、プロへ転向し大学での最終学年を断念するかどうか決めなければならない。本人から相談を受けたジェームズ・ウォージーは、思い切ってやってみるようにアドバイスした。それでも、彼はためらっていた。向こう側では富が待っているが、それほど単純な問題ではない。チャンピオンとして去る望みも、今ここで大学をやめればかなわない。さらに、彼はなじんだ環境や日常に執着した。4年生がチームメイトに送る伝統のスピーチをするチャンスを失うのが1番残念だ、とコーチに打ち明けたりもした。彼は悩んでいた。

ジョーダンはまだ21歳で、人生の変化に少し不器用だった。学生寮での生活を楽しみ、注目の的でいることを愛していた。ほとんど毎日ビリヤードで遊び、ビデオゲームを楽しんだ。誰とも真剣にならないまま、複数のガールフレンドと付き合っていた。授業では平均Bを続け、いつか大学教授になる希望さえ語っていた。自制心を失うことに用心深く、アルコールはあまり飲まなかった。バスケットボールコートで自らの考えや動きを支配したように、いつも自分の心身を完全にコントロールしていたがった。映画に行ったりテレビを見るときは、なるべく、あまり怖くないものを選んだ。インディ・ジョーンズと同じくらいヘビが大嫌いだった。カーマイケル・ジムやウリン・ジム(1965年からのノースカロライナ大学のホーム)でシュート練習に励んだ。

ジョーダンは、あらゆる種類のゲームを追い求めた。競争は彼の唯一大きな悪癖であり続ける。毎日の練習をまるでNCAAトーナメントの試合であるかのように受け止め、ドリルやスクリメージの後で、自分がチームメイトの誰の上から何回ダンクしたか、正確に黒板に書き記した。「バスケットボールコートで、彼は自分の意欲を全員に強要するんだ」と、ケニー・スミスは言う。誰かと戦っている時こそ、ジョーダンは本当に生き生きした。遊び半分なトラッシュ・トークの回転を上げ、すべてのエネルギーを目前の課題に注ぐのだった。ジミー・ブラックやケニー・スミスやバズ・ピーターソンのようにジョーダンと親しいチームメイトは、そういう彼の側面を知っていた。うんざりするまでは可愛げがあるものなのだったが。しかし、そんなゲームを永久に続ける辛抱強さは誰も持っていない。唯一人、ジョーダンを除いて。

彼の1番新しい情熱はゴルフであり、新たな欲求を駆り立てられているように見えた。デイビス・ラブは、ジョーダンの背が高すぎるせいで、あまり上達しないだろう、とディーン・スミスに打ち明けている。「あの身長だと、スイングが狂いやすいから」と、ラブは言った。しかし、それがジョーダンを阻止することはなかった。そして彼は、差し迫ったプロ入りの決断を熟考するために、しばしばゴルフでの外出を利用した。ジョーダンは、友人にもチームメイトにもルームメイトのバズ・ピーターソンにも、自分がNBA入りしそうだと認めないだろう−−と言うより、認めることができなかった。ジョーダンの心情では、そのような行動は裏切りに近かったのだ。
posted by まき at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年08月28日

日曜日はゴルフ

0826-1.jpgAhmad Rashad Celebrity Classic 

また知らなかったイベントじゃん。
ラシャドさん主催のチャリティ・ゴルフ大会@コネチカット州モヘガン・サン・カントリークラブ。
参加予定者名簿には、チャールズ・バークリーやクライド・ドレクスラー、ロン・ハーパーも載ってます。

地元紙の記事によると、迎えのリムジンに向かうMJにサインを求める人々が殺到、とか。
優勝はドニー・マーシャル&レイ・アレン組で2位がスコット・バレル組。
他にもケヴィン・オーリーとか…UConn同窓会ですな。

0826-2.jpg

手前の4人、左からコネチカット大学OB3人組のドニー・マーシャル(元キャブス/現セルティックス解説者)、MJ、スコット・バレル(現Quinnipiac大学アシスタントコーチ)、レイ・アレン。
レイ様、一瞬ドレクスラーかと思いましたよ…。
(こちらの写真の大きいサイズは右クリックさせてもらえませんでした)

バレルが「元シカゴ・ブルズ」と紹介されたとき、マイケルは「みんな、お前がブルズにいたって知らないんじゃないの。背番号は何番だっけ?」と、おちょくったらしい。(^m^)

バレルは24番でしたかね。

0421w-2.jpg・・・てゆーか、ラシャドさんはコネチカット出身だっけ?と調べたら、49年生まれだということを発見〜フィル・ジャクソンと4つしか違わない!若く見えるー。マイケルといくつも変わらないのかと思ってた。(そうしたら引退がすごく早かったってことだよなぁ…と不思議に思いつつ、今まで未確認でした)

写真では肌の張りとか分からないけど、同世代に見えますよねぇ。これ、今年の4月です。
posted by まき at 20:30| Comment(2) | TrackBack(0) | ゴルフ | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

エア・ジェフリー

今日の朝日新聞夕刊で初めて知りました。
(ついでに、コールハーンがナイキ傘下なのも初めて知りました)

☆至福の一品☆
AIRJeffery.jpgコール ハーンの靴とは、かれこれ25年以上の付き合いだ。学生時代には同社のペニーローファーが欠かせなかったし、社会人になってからは疲れ知らずの履き心地で、取材であちこち駆け回るときの隠れた必需品となった。
中でも、このナイキの「エアテクノロジー」を取り入れたシリーズにはぞっこんで、00年にロサンゼルスで見つけてからは、毎年1足は購入している。
ナイキはご存知のとおり、世界的なスポーツシューズメーカー。かのバスケットボールの名プレーヤー、マイケル・ジョーダン愛用の、エアをクッションにした画期的なソールで一世を風靡した。この科学と運動生理学に裏付けされたテクノロジーをビジネスシューズに応用している。
「エア ジェフリー」は、どこから見てもグッドイヤーウエルト製法の高級紳士靴だが、実はかかとに空気を充填したクッションが搭載されている。これが路面に足を着けたときの衝撃を半減し、スニーカーにも引けを取らない軽やかな足どりを約束する。
足は第二の心臓とも言われる健康の要。多忙なビジネスマンこそ、こういう靴を選んでほしい。

エア ジェフリー ブログ キャップ トゥ 47250円 (コール ハーン ジャパン)

文・東海左由留
撮影・松本明

新聞をスキャンしたので画質はあれですけど…。
エア・ジェフリーなんて偶然だなぁと。
それだけっす。 
posted by まき at 19:58| Comment(7) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

TIP-OFF (9)

ちょうどオリンピックの米大陸予選真っ最中ですが、バルセロナのときは大陸予選も92年のシーズン後だったんですよねぇ? どんだけ〜な過密スケジュール。(TIP-OFFもオリンピックの年のことなので、ふと…)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 3


ディーン・スミスはどんな面でもナイトと似ていなかった。情緒は安定し、政治的にはリベラルな紳士だ。ナイトは激しやすく、報道陣とも対立的で、些細なことですぐ敵対した。それでも、2人の男は少なくともいくつかの点で似ている。バスケットボールというゲームを愛し、敬い、裏切ることはない。スミスとナイトの美徳が真に試されることはなかったので、2人ともそのような聖人ではないと論じることもできたが。

彼らは、素晴らしい人材に富む有名大学を思うままにコーチした。たぶん、クリーブランド州立大やネバダ大ラスベガスのコーチのように、競争力を保つために規則を曲げる必要はなかった。それでも、スミスとナイトはこの種のことでは善人であり、2人の間には暗黙の了解があった。そして、リクルート活動の対象がおおむね異なる地域だったため、キャリアを通して友好的で尊敬の念に満ちたライバルであり続けるだろう。彼らがアトランタでの試合後に交わした握手は心からのものだった。優勝候補は果敢な番狂わせに倒された。そして、ターヒールズがインディアナ大学に敗れたあと、ノースカロライナ大学を史上最高のチームとしたテリー・ホランドは、前言を再考せざるを得なくなった。「インディアナは史上最高のチームより4点分優れていたのだろう」と、ホランドは語った。

ターヒールズにとって、つらい敗戦だった。「俺たちは勝つべきだったし、勝てるはずだった…」と、パーキンスは言った。「怪我人は多かったけれど、自分たちの力を信じていた。本当にがっかりしたよ。自分たちの方が優れたチームだと考えていたから。インディアナには大勢のロール・プレイヤーがいて、それぞれの役割をしっかり果たしていた。だけど、本当に落ち込んだよ。俺にとっては最後の年だったし」
ピーターソンは、あの試合を「ノースカロライナにとって最も厳しい敗北」だと思っている。さらに彼は、2年前のひざの故障から完全に回復していなかった自分自身の限界にもフラストレーションを感じていた。ギリシアで行われたプレシーズン・トーナメントはポイントガードとして先発したが、間もなく1年生のケニー・スミスにポジションを奪われた。「私はケニーほど有能ではなかった。彼は私よりずっと優れたプレイヤーだったよ」
「それでも、自分たちは優勝にふさわしい素晴らしいチームだという思いが、そのシーズンの私を突き動かし続けていたのだが」
今、優勝は手の届かないものとなり、長い休みだけが残された。そして、もう誰もピックアップゲームをしたいと思わなかった。「シーズンは早々に終わった。さて、どうする?」と、ピーターソンは言う。「だから私たちはゴルフに夢中になったんだ」

ピーターソンは心理学コースでデイビス・ラブ三世(現プロゴルファー)と一緒だった。「マイケルに、『デイビスとゴルフに行くんだ』と話すと、彼もついて来た。ジョン・インマン(のちにノースカロライナ大学ゴルフ部コーチ)と4人で、少しレンジボールを打ってから8ホールプレーし、それから、フィンリー・コースでホットドッグを食べながら18ホール回ったよ。マイケルのスコアは良くなかったな」
ジョーダンはゴルフがあまり得意ではなかった。ある日、デイビス・ラブが少しの間、何かを取りに部屋へ戻ると、ジョーダンはピーターソンに、「俺はあいつより背が高いんだから、あいつより飛ばせるはずだよな」と言った。彼は飛距離に取り付かれていたのだ。デイビスのお気に入りのドライバーをつかんだジョーダンが思い切りスイングすると・・・柿の木製のヘッドが折れた。「ヘッドは右に40ヤード飛び、ボールは前に15ヤード飛んだ」と、ピーターソンは証言する。ジョーダンは走ってヘッドを拾いに行き、シャフトにはめ込んだ。「デイビスはその日ずっと機嫌が悪かったよ」


・・・デイビス・ラブは何倍にして返してもらったんでしょう?(^^)
posted by まき at 20:53| Comment(2) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年08月25日

レジーは復帰断念

アラン・ヒューストンは復帰宣言したものの、レジー・ミラーは断念らしいですね。

ISM
【NBA】元ペイサーズのR.ミラー氏、セルティックスで現役復帰せず
2007年8月25日(土) 18時2分 

 現地時間24日、元インディアナ・ペイサーズのレジー・ミラー氏がボストン・セルティックスで現役復帰しないことが明らかになった。地元紙「インディアナポリス・スター」が報じている。

 42歳のミラー氏は7月にセルティックスと接触し、出場時間を限定した役割でのNBA復帰について考えていた。しかし、同紙によると、元NBAプレーヤーのチャールズ・バークレー氏やマーク・ジャクソン氏などに相談した結果、引退したままでいることを決断したという。「身体的にはプレーするのに問題ない。だけど、プレーするには精神的にも完全でなくてはならない。私は復帰しないと決めたよ」と昨季はNBAの解説者として過ごしたミラー氏は話したようだ。

 セルテッィクスは今年のオフシーズンにケビン・ガーネットとレイ・アレンを補強した。しかし、ガーネットをトレードで獲得する時に選手を大量に放出。選手層が薄くなっており、優秀な控え選手を必要としている。

「今日(23日木曜日)より前には、復帰する準備ができていた。そうするつもりだったんだ。こっち(カリフォルニア州マリブの自宅)に帰ってきて、復帰について考え、大勢の人と話をした。正直に言って、ほとんどの人はカムバックすべきだと言ってくれたよ。チャールズ(バークリー)もマーク(ジャクソン)もダグ(コリンズ)も皆、そうするべきだと言ってくれた。そして、今週(インディアナポリス・コルツのペイトン・マニングが主催したチャリティ・ボーリング大会のために)インディアナへ戻った時も、道行く人たちは、そうしろと言ってくれたんだ」
「でも、日がたつにつれて、再び過酷なシーズンを戦い抜く気構えができていないことを自覚した」
「もう二度と、決して、絶対に復帰しようとか考えないから、そう書いておいてよ(笑)。NBA各チームの皆さん、もし僕に関心がおありでも、どうぞ連絡を寄こさないで下さい」 (Indy Star


マイケルの2度目の復帰については賛否両論いろいろありますけど、40歳近くなって、3年のブランクを乗り越えて、2シーズンプレーしたことだけでも、他に誰ができただろうと改めて思いました。
posted by まき at 19:05| Comment(2) | TrackBack(1) | NBA | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

TIP-OFF (8)

日本語で書かれている『究極の身体』より理解が簡単だ・・・(笑)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 2


次のリージョナル・セミファイナルは、より中立なアトランタのオムニが会場で、さらに手強いインディアナ大学(21勝8敗)が相手だった。ジョーダンはオムニを嫌っていた。理由はまったく不明だが、オムニでは良いプレーができなかったのだ。さらに、インディアナ大学には精神的なアドバンテージがあった:ボブ・ナイトは1981年のNCAAファイナルでノースカロライナ大学を63対50で破り、すでに2度NCAA優勝を飾っている。ロス五輪代表チームのコーチに選ばれたナイトは、どんな試合にとっても重要なファクターだった。有力な優勝候補であるノースカロライナ大学にとっても。
今年のインディアナ大学は、最も脅威的なフージャーズではない。ノースカロライナをトップに評価するAP通信のランキングにも入っていない。83年のスターターから4人が卒業し、主力の1人が膝の故障で離脱したため、最初の5試合は2勝3敗だった。しかし、ナイトは激しやすいが機略縦横のコーチであり、この試合で史上最高の戦術家の1人という名声を確固たるものにするだろう。

試合当日、ナイトは、良き友人でありバスケットボールの師でもあるピート・ニューウェルと何度も電話で話し合った。ニューウェルは戦略家として名高い。試合のほんの数時間前、2人の素晴らしい頭脳が一緒に計略を巡らせた:ナイトは、トッド・マイヤーかスチュー・ロビンソンの代わりに無名のダン・ダキッチ(3年生のガード)をマン・ツー・マンでジョーダンのディフェンスにつけるという考えを譲らなかった。今季5試合しか先発していないダキッチは、他にとりえがないとしても、とにかくクイックだった。ナイトは常に、ダキッチの起用はオフェンスを目的にしたものだと主張したが、これは明らかにターヒールズのハイスコアラーを抑えるための作戦だった。試合の3時間前、遂行不可能な任務を命じられたダキッチは、「部屋へ戻って吐いた」と、のちに打ち明けた。
しかし、実際はそれほど無謀な策でもない。狂気の沙汰のようで筋は通っている。ジョーダンはまだ、後年にNBAを支配したような、完璧なスコアリングマシーンではなく、アウトサイド・ショットが不安定だった。ジョーダンのジャンパーが入らないとき、ディフェンスは後ろへ下がり、バスケットへのドライブを阻止することで彼の弱点を利用すべきだった。それがダキッチのやったことだ。「彼がシュートを撃つためにジャンプするまで、僕は10フィート離して守った」
ジョーダンにとっては不慣れでイライラさせられる戦術だった。さらに、彼自身のファウルトラブルが事態を悪化させ、前半はたった4得点。後半に入っても13分間無得点が続き、13得点(FG6−14)で試合を終える。
インディアナ大学はオフェンスも好調だった。センターのウベ・ブラッブがインサイドで頑張り、1年生ガードのスティーブ・アルフォードはシュートが絶好調で、27得点を記録した。
サム・パーキンスは大学最後の試合に際立った集中力でプレーし、ジョーダンの不振を埋め合わせようと、26得点した。それでも、ゲームはノースカロライナ大学の手から滑り落ちた。インディアナ大学が残り4分で12点リードするが、ターヒールズは最後の粘りを見せ、残り2分7秒に2点差まで詰め寄る。ナイトは、フロアに広がってファウルをもらうよう指示し、アルフォードが落ち着いて6連続フリースローを決め、勝利を守った。インディアナ大学は72対68でトーナメント史上に残る番狂わせをやってのけた。

ターヒールズはぼうぜんとなり、沈黙した。「サムとマイケルには最後のチャンスだった」と、ケニー・スミスは言う。「私にはまだ3年残っていたから、ロッカールームへ戻るまで、この敗戦の重大性を理解していなかったかもしれない。彼らの落胆ぶりを目にしたら、自分が失望させたような気がしたよ」
ディーン・スミスは試合後のロッカールームで長々と演説することを好まなかった。試合直後は感情が高ぶりすぎ、あとで後悔するようなことを言うかもしれないと感じるからだ。その代わり、コーチはいつも、選手たちに声をかけ、誰も怪我をしなかったことやアスリートとして素晴らしい機会に恵まれたことを感謝する短いお祈りをささげるために全員を集めた。あの日も同じだった、とケニー・スミスは覚えている。痛切な敗戦のあとでも。
そのあとコーチは、必須の記者会見に出て行った。そこで、とうとう、はっきりと失意がうかがわれることになる。いつものインタビューでは最も誠実で開放的なスミスコーチが、試合後の記者会見をぶっきらぼうに打ち切って立ち去ったのだ。彼は今年のチームが全米優勝を狙う最高のチャンスの1つだと良く知っていたし、今、再び、自分のトーナメント成績に関する雑音を聞くことになる。歴史家とジャーナリストは永遠に、ジョーダンとパーキンスが在籍した3シーズンに1度しか優勝できなかったことを疑問に思うだろう。しかし、正しい鑑識眼を持つスミスは、バスケットボールを愛する魂の最も深いところで、インディアナ大学が自分の優秀なチームを相手に成し遂げたことを尊敬していた。


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レラカムイ北海道

2005年のノースカロライナ大学優勝メンバーで、今夏のサマーリーグにボブキャッツの一員として出場したジャワッド・ウィリアムスが、JBLのレラカムイ北海道に入団。

日刊スポーツ

おぉっ。
覚えていたら見てみよう。
でも結局、日立にいたスコット・バレルを見るのも忘れたしね…(^^;



posted by まき at 20:00| Comment(2) | TrackBack(1) | UNC | 更新情報をチェックする

2007年08月23日

9番

とりあえず、代表チームへの独自の視点と言うことで。

KobeBronMelo.jpg

コービーとレブロン、どっちが9番なのかと思ったら・・・

0822.jpg

プリンスとは予想GUY・・・逃げたな。(笑)
posted by まき at 20:05| Comment(8) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2007年08月22日

「究極の身体」買いました

最近ボブキャッツには何の動きもないな…と思っていたら、オブザーバーのボーネル記者――まだ急ぐ必要はない。ボブキャッツのニーズはPGの控えとインサイドの深さ、ナイトとボスクールの代わりになるベテラン。理想は、マキニス、D・アンダーソンと再契約し、ウォリアーズにバイアウトされたエイドナル・フォイルと契約。攻撃力はないが、オカフォーの控えとしてブロックショットは役に立つ――とのこと。

確か、NCAAの通算ブロックショット王じゃ? (2位がダンカンだったような…私の記憶データは98年からほとんど更新されていませんが。(笑))

今のところ、Bobcats.comに16人載っているんだけど、どうなるのやら。


ビル・ラッセル(SIインタビュー)主催のファンタジー・キャンプは“スタッフ”がすごいです。
Kareem Abdul-Jabbar, Charles Barkley, Clyde Drexler, Julius Erving, John Havlicek, Magic Johnson, Sam Jones, Ann Meyers Drysdale, Oscar Robertson and Jerry West.
10月17−20日の4日間で1万5000ドル。
MJがいれば完璧なんだけど。(^m^)


『究極の身体』を買ってみたので、『TIP-OFF』はさぼり気味。(^^;
私には理解できそうにないんですけどね〜。

マイケル・ジョーダンの場合、どうしても動き回っている時に注目してしまいますが、ベンチ前でただ立っている時や、フリースロー前にボールをもらってフッと立っている瞬間も見逃せません。全盛期の彼の立ち方は、本当に「ユラ〜」として「クタ〜」と力が抜けていました。まるで上から糸で吊られた操り人形のように力感がありません。まったくみごとな立ち方です。

ジョーダンは、グニャグニャ、ベロベロの柔らかさの中に、ものすごく直線性の強い「センター」が通っていて、しかも天地に高く深く通っているのです。そのために多くの人にはパキーンと硬質な直線性の強い人物に見えるのですが、実は信じられないほど柔らかく、その柔らかさのまま一線が貫いているのです。

何となくイメージはできても。
posted by まき at 20:43| Comment(3) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年08月21日

オークリーのインタビュー

ESPNにチャールズ・オークリーの復帰に関する電話インタビューが載っているのですが、前日のディナーはミラージュの Stack Restaurant & BarでMJと一緒。前菜にはスズキを追加オーダーしていたそうです。(^^)

インタビューは長いので一部だけ〜。

復帰についてはどのくらい本気?
俺は真剣だ。トレーニングを見てもらえば、チームに貢献できるコンディションだと分かるはずだ。俺はベテランで、ゲームを理解し、ゲームをコントロールできる。システムを理解し、複数のポジションでプレーできる。

あなたの最後の3シーズンは、平均2リバウンド、2得点、シュート成功率40パーセントだった。しかも3年前のことだ。本当に貢献できる?
2〜3分しかプレーさせてもらえなかったら、2〜3得点、2〜3リバウンドしか提供できないね。

今のコンディションは?
85−90パーセント。今の状態でも、昨シーズンにプレーした連中の90%より良い体調だと思う。1試合20〜25分はプレーできる。「年寄りだ」と言われても、それが何だ。新車だって故障すれば古い車に追い越されるじゃないか。

ジョーダンはカムバックについて経験豊富だと思いますが、何かアドバイスはありましたか?
MJは無二の親友だ。友人として、俺がやりたいことを尊重してくれる。「彼らがお前に支払うつもりなら復帰し、そうでないならやめたらいい」と言ってくれるよ。俺はベテラン最低保証で復帰する気はない。金で買われるつもりはないが、ばかげた金額ではプレーしない。

というと、希望額は?
少なくとも2年、1000万ドル。900万〜1000万だな。100万ドルのためには復帰しない。自分の価値はもっとあると思う。

それは大金だ。オーク、今回の復帰は金が目的ですか?
金が目的ではない。まあ、自分が満足する条件というか。だが、支払った金額は3倍にして返すよ。

あなたはよくベガスで目撃され、ギャンブル好きで有名ですが、復帰とギャンブルは関係ある?
いや、ギャンブルは関係ない。金はあるんだ。俺は洗車場を6ヶ所持っている。たぶん2500万ドルくらいの資産はある。

(復帰希望先にあげたニックス、ヒート、マーベリックス、ネッツ、キャブスについて語り)

シカゴに戻ることは?
若い選手をコントロールしようとする彼らにその気があるかな。彼らは自分の気持ちを正直に口にするベテランを好まないから。

彼らとは?
ブルズの経営陣。

どのチームが最も現実的にフィットします?どこかが関心を示しましたか?
正直に言うと、今は分からない。俺は自分の人生を楽しんでいる。もし連絡があればけっこうだし、そうでなくても人生を続けるだけだ。連絡を待つつもりだが、なくても平気さ。

あなたは最もクールで最も偉大な選手の1人と考えられている。プアなパフォーマンスで名声を傷つける心配はしませんか?
プレーできなければ復帰はしない。本当だ。


あと、こちらの記事にはジャド・ブシュラーの近況がほんの少し。
サンディエゴ在住で、『仕事』は、サーフィン、ヨガ、娘が所属するバレーボール・クラブのコーチだそうです。
ダニー・マニングが母校カンザス大学のACになっているのも初めて知りました。マーク・プライスはアトランタのスポーツ・アカデミーでNBA選手にシューティングを教えているとか。
posted by まき at 21:02| Comment(4) | TrackBack(0) | BULLS+シカゴ | 更新情報をチェックする

1万8000ドルのキャンプ

遠くはセルビアから、世界で最も成功したビジネスマン99人が集まったラスベガスのファンタジー・キャンプ――のニュース映像。

やった♪♪と思ったら、マイケルは映ってませんがな〜。ま、雰囲気だけ…。

KTNV Video

■ジャンプマンのロゴをコピーした中国のシューズメーカーと販売店を訴えたナイキの訴訟は勝訴したそうです。(記事
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2007年08月20日

TIP-OFF (7)

ひと区切り分できたので。
しかし、日本語として「意味が分かるだけ」の文章が面白くないな〜。<自分で。
もっと上手な日本語が綴りたい。(てか、意味が分かるように訳せてるのか?(笑))

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 1


3月にNCAAトーナメントが始まったとき、バージニア大学のテリー・ホランドHCは、ノースカロライナ大学とディーン・スミスにたっぷりプレッシャーをかけた。「カロライナはカレッジバスケ史上最高のチームだ」
2年生から3年生になったジョーダンは、自分のゲームを大きく向上させていた。ウェイト・トレーニングで12ポンドの筋肉をつけ、40ヤードダッシュのタイムは4.6秒から4.3秒に縮めた。アウトサイド・ショットを磨く努力を続け、ディフェンスにも力を注いだ。もしカレッジレベルで「トータル・バスケットボール」を体現する選手が1人存在するなら、それはジョーダンだった。
しかし、ターヒールズは大きな問題を抱えている:彼らのベンチは紙のように薄いのだ。「あれは素晴らしいチームだった。スターターの誰かがファウル・トラブルに陥らない限りは」と、サム・パーキンスは回想する。

つまり、ターヒールズには度重なる故障を受け入れるだけの余裕がなかった。1月下旬にケニー・スミスが手首を骨折し、約1ヶ月後にドアティが手を傷めた。スミスは左手にギプスをしたままプレーを続けたが、プレイメーカーとしての安定感は明らかに失われていた。「左手でドリブルが続けられなかったから、1度か2度のドリブルで右手に変えるしかなかった。そのせいで、できることに限界があった」
NCAAトーナメントに入る頃、ターヒールズは不安定なチームになり、必ずしも絶対的な存在ではなくなっていた。そして、早々に弱点をさらすことになる。ジョーダン、パーキンス、マット・ドハティは強力なコアとして健在だったが、優勝への道のりは厳しいものになりそうだった。3月初め、デューク大学にダブルオーバータイムでようやく勝利し、ACCのレギュラーシーズンを無敗で終了する。それはまだドアティの負傷前のことだ。
ACCトーナメントの決勝で、彼らは同じデューク大学に敗れる。それから、NCAAトーナメントのイースタン・リージョナルで、小柄なテンプル大学に苦戦した。
試合はシャーロット・コロシアムで行われたが、テンプル大学のジョン・チェイニーHCは、ディーン・スミスの「中立なコート」という言葉を笑った。ターヒールズはここで何試合か実入りのいいホームゲームを開催する契約を結んでいて、シャーロットで17連勝中だったのだ。しかし、試合は残り10分57秒でテンプル大アウルズが48対47に迫り、驚異的な快足ガードのテレンス・スタンズバリーがノースカロライナ大を苦しめた。
テンプル大の執拗なゾーン・ディフェンスを攻撃するスミスのゲームプランは、ジョーダンがバックドアからロブパスを受けてアリウープに持ち込むプレーだった。この作戦は完璧に成功する−−1つの問題を除いて:通常は疲れを知らないジョーダンが、この役割で疲労し、いつもと違うインターバルで、一息つきたいと自分から言い出したのだ。ジョーダンが休みを要求するのはめずらしいことだった。前半残り6分、短い休息を求めたジョーダンに、スミスは「本当に?(※マジで?の方がピッタリですが、ディーン・スミスがマジ?なんて言わないよね(^^;)」と驚いた。
スタンズバリーは前半だけで18得点する。スミスはついに、フォワードのドハティをスタンズバリーにつけ、ジョーダン、パーキンス、スティーブ・ヘイルにヘルプをさせた。これでゲームの流れが傾き、ノースカロライナ大学は77対66で勝った。「うちは不注意でナーバスだった」と、試合後にスミスは語った。不平屋で知られるチェイニーは、レフリーがノースカロライナ大学にゴール下で好き勝手を許したせいだと不満を漏らした。「ノースカロライナの勝利をけなすつもりはないが、まったく腹が立つ。敗因はうちに7フッターがいなかったことだけだ」

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2007年08月19日

TIP-OFF (6)

区切りがいいところで在庫一掃したため、明日はたぶん間に合わなくてネタなしです。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第1章:The View from Chapel Hill - 3


1984年3月にNCAAトーナメントが始まったとき、ノースカロライナ大学ターヒールズはほとんど無敵に見えた。ACCで14勝0敗、全体でも27勝2敗という好成績でトーナメントを迎え、全米ランク1位、リージョンのトップシードである。1982年の優勝メンバーが何人も残るチームは、才能にも経験にも恵まれ、パーキンスとジョーダンの2人は、すでに21試合もNCAAトーナメントを経験していた。センターは2年生のブラッド・ドアティ。ポイントガードはバズ・ピーターソンから先発の座を奪った1年生のケニー・スミス。スターター5人のうち4人までが、将来のNBAドラフトで1巡目指名されることになる。もう1人のスターターであるマット・ドハティは、6巡目119位でクリーブランドに指名されたが、のちに母校のヘッドコーチとなった。

しかし、何と言ってもこのチームの主役は、性格もプレースタイルもまったく異なるジョーダンとパーキンスの2人だった。6フィート6.5インチの3年生のジョーダンは、強烈な負けず嫌いで、社交的なつむじ風だ。一方、6フィート10インチの4年生のパーキンスは、人好きがして、孤独を好み、寡黙で、コミュニケーション専攻が皮肉にも思える学生だった。言動は思慮深いが、物事にこだわらず、自分の背番号を決めるときも、当時のスリーブサイズが41だったので41番を選んだという。NCAAトーナメントでジョージア大学と対戦することになったとき、「ジョージア?どこのカンファレンス?」と尋ねたり、オクラホマ大学のスター、ウェイマン・ティズデイルのことも知らなかったため、ジョーダンがサウスイースタン・カンファレンスに所属するプレイヤーやティズデイルについて説明してやらなければならなかった。パーキンスのそういう無関心ぶりをひどい侮辱ととらえる向きもあったが、それこそが、率直で素朴なサムそのものなのだ。彼にとってジョージア大学は、メリーランド大学やデューク大学のような身近な世界ではなかったのだ。パーキンスは自分が好きなことにのめりこみ、こつこつ努力する。一方、ジョーダンは、どんな人生経験も次のチャレンジととらえて飛びつく。

(ここからのパーキンスの生い立ちについては割愛…(^〜^;)ゞ )

ジョーダンとパーキンスはチームメイトとしてうまくいき、多数の勝利を共有したが、コートを離れた生活では、ずいぶん違っていた。ジョーダンは上級生のジミー・ブラックと親しくなった。カード遊びが大好きで、早朝まで続けることも多かった。
ターヒールズの選手は3年生になるとキャンパスを離れることが許される。パーキンスはそのチャンスに飛びつき、チームメイトのセシル・エグズムと一緒に静かなアパートへ移り住んで、自炊を始めた。訪ねて来るチームメイトもほとんどいない生活だ。「自分が少し成長するチャンスだと思ったんだ。2年間は寮暮らしだったから、自分たちだけの生活を体験してみたかった」
パーキンスは誰からも好かれ、ガイダンスが必要な下級生の手助けをすることが多かった。4年生のときは、自分と同じニューヨーク出身のケニー・スミスの面倒を見ている。スミスがきちんと食事を取っているか、試合前の昼寝を実行しているか、細かく気にかけて。「私はサムの“1年生”だった」と、ケニー・スミスは言う。しかし、スミスが1番強く思い出すのは、パーキンスのモノに動じない性格だ。「サムはいつもくつろいでいて、ストレスとは無縁な性格だった」

ある時、サムから「試合前に床屋に行こう」と誘われたんだ。ところが、いつもは空いている道で、ものすごい渋滞に巻き込まれ、45分もかかってしまった。僕は試合を欠場することになるかもしれないと心配で気が気じゃなかったよ。やがて、スクールバスが道端に停車しているところへ辿り着いたが、サムは近寄ろうとしない。それはイリーガルだと言うんだ。僕は時計を見て、イライラして、もし試合に遅れたらスミスコーチはどうするだろうと考えていた。サムは音楽のボリュームを上げて、「さあね、たぶんスターターから外されるんじゃないかな」と言うだけだった。僕らはようやく、テネシー大学チャタヌーガ戦に遅れて到着した。スタートはさせてもらえなかったが、プレーはできた(85−63で勝利)。試合後すぐ、サムが寄ってきて、「言ったとおりだろ」だからね。

もう1人のチームメイト、バズ・ピーターソンも言う。「サムは絶対に急がない」
ジョーダンは違った。彼は何事だろうと決して遅れない。常に出来事の真っ最中にいたがった。キャンパスの北西角にあるグランヴィル・タワーズ(9階建て赤レンガ造りの学生寮)に、ルームメイトのバズ・ピーターソンと住み続けた。南タワーの1階で暮らし、だらしない生活に甘やかされていた。どうしてこんな快適な場所を出て行く必要があるのか? 食事はスタッフが用意してくれる。部屋がめちゃくちゃになったら(しょっちゅうだが)、飛び級でジョーダンと一緒に入学した妹のロスリンが来て片付けを手伝ってくれる。「ロスリンが洗濯してくれるまで、汚れ物も放ったらかしだった」と、ピーターソンは言う。
バスケットボール・スキルに関して、ピーターソンとジョーダンは一緒に成長したようなものだ。バズはアッシュヴィルの高校でプレーし、4年生のシーズンにはジョーダンを抑えてノースカロライナ州のミスター・バスケットボールとアスリート・オブ・ジ・イヤーに選ばれた。彼ら2人は、それが永遠に続くかのように、対戦したり一緒にプレーしたりした。

ジョーダンはピーターソンの家族とも知り合いだった。毎年シーズン前に息子のローファーを買いそろえていたバズの母親は、ジョーダンがバズの靴を何度も履いて伸ばしてしまうことを承知していた。
2人はモノポリーやトランプで遊んだ。そして、もちろん、ジョーダンはどんな勝負事にもクレイジーなほど負けず嫌いだった。「3人いる兄弟の中でマイケルが1番下だったけれど、お父さんは『ラリー、マイケルをいじめるんじゃない』と叱ったりしなかった。そしてマイケルには『自分のことは自分で何とかしろ』と教えた。そういう状況が続けば競争心も身につくはずだ」
ピーターソンは1980年にシラキュースのホテルでジョーダンと一緒に過ごしたときの話をするのが好きだ。ジョーダンがトランプでいかさまをしている現場を目撃したのだから。ピーターソンの母親を相手に、ジョーダンはクレイジー・エイトをしていた−−8の札を隠して。「マイケルはカードを足で踏んでいた」。むちゃくちゃな話だが、それがマイケルだった。
2人が1年生のとき、ジョーダンはシューティングガードのポジション争いでピーターソンを退けた−−公明正大に。彼らの友情はそのまま続き、ピーターソンは2年生で先発のポイントガードに転向したが、そのシーズンに膝を壊し、1シーズン棒に振り、2度と同じプレイヤーではなくなった。ジョーダンは忠実な友人であり続けた。そして、彼らはグランヴィル寮でくつろぎ、過保護を楽しみ続けるだろう。ジョーダンは他の学生からの注目を少しも気にしていなかった。彼がトランプやビリヤードで楽しみたいときにだけ、ファンはいいカモになることができた。

(学生寮での生活と言えばコレが忘れられません。(笑))
posted by まき at 20:52| Comment(6) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

気分直し

NIKETALKで見つけたKICKS最新号の表紙。MJが表紙になるのは初めてだそーです。

kicks10.jpg


あと、何やら Jordan Brand契約のNBAプレイヤー全員がラスベガスで広告撮影を行っているらしいです:クリス・ポール、レイ・アレン、カーメロ・アンソニー、マイク・ビビー、ジョシュ・ハワード、マイケル・フィンリー、ジョー・ジョンソン、クエンティン・リチャードソン。(リチャード・ハミルトンが記載漏れ)
1つの広告のために全員集合するのはジョーダン・ブランドとしては初めてとか。
Dimeが独占取材ということで、ブログになってます。

★Vegas Live  ★Vegas Live, Day 2  ★JJ10問10答  ★Qちゃん10問10答


そういえば、御大も18日からのシニア・フライトスクールでラスベガスにいるはず!
こういう「バニティーフェア風のスタイル」を久々に見たいなぁ。お願い〜。

JordanBrand-JJ.jpg JordanBrand-Q.jpg jordanday2-Rip.jpg
posted by まき at 20:43| Comment(3) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

今さら

例の八百長疑惑の審判に関する記事で、とんだとばっちりと言うか。
元NBAレフェリーのマイク・マシス(マティス?)氏が、NYポストのインタビューで、98年の“ラストショット”を「オフェンスファウルだった」と断定しているんですよね〜。
で、鬼の首を取ったかのように(^^;それを伝えるユタの地元紙。(<ま、分かりますけど)

ポストの記事ざっとこんなところかと・・・

FORMER NBA REF BLASTS OFFICIATING
By FRED KERBER August 17, 2007

26年のキャリアを持つ元NBA審判員組合会長は、レフェリングが堕落している現状を考えれば、ティム・ドナヒー元審判は隙間をくぐり抜けることができると語り、プレイヤーの名声が適切なコールを妨げた例として、マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズでの最後のショットを挙げた。

マイク・マシス(2001年に引退)は、連邦裁判所におけるドナヒーの有罪答弁はリーグにとって「1本のダイナマイト」であるとし、「審判員オフィスをクリーンにし、最初からやり直すために利用されるべき」だと述べた。

マシスはNBA審判に激しく批判的であった。あまりにも多くの管理者が無資格であり、何を知っているかではなく誰を知っているかでレフェリーが採用されていることを告発した。

ドナヒーの行為を腹立たしげに非難しながらも、マシスは1998年のファイナル第6戦でブルズに6度目の優勝をもたらした極めて重要なショットに言及した。多くのオブザーバーは、ジョーダンはオフェンスファウルを犯したが、彼の偉大さと名声ゆえにコールされなかったと主張している。

「レフェリングは下り坂になった」と、シンシナティで慈善財団を運営するマシスは言う。「ジョーダンの決勝シュートを覚えているか?私はあの時の解説者のセリフを正確に言える:「What a great move by Michael」。あれは素晴らしいムーブだったか、それともオフェンシブ・ファウルか?プッシュ・オフだということに疑問はない。議論の余地なく。そこに差し挟める唯一の異議は、それがマイケル・ジョーダンだったということだ。あれこそ決定的な瞬間だった」

「ビデオテープは嘘をつかない」と、マシスは言った。「そこに何が起こったか映っている」

ドナヒーが担当した試合で、マシスが「ふざけたこと」と呼んだコールが続いたとしても、たぶん審判のレベルが落ちたため、気づかれずに済んだ。

「私たちは今、信じられないほど二流のひどい審判を容認している」と、マシスは言った。「解説者は『彼は私たちが見えないものを見たに違いない』と言うが、違う。それはレフェリーが推測しているか無能なのかどちらかだ。それとも、何かふざけたことが起こっているのか」

ドナヒーは、どのレフェリーがどの試合を担当するかなど、ギャンブラーに頻繁に内部情報を提供していたことを認めた。彼は、一部のレフェリーが特定のプレイヤーとどのように交流があるか知っていたと述べた。

ドナヒーの罪を知ったとき、「最初に感じたのはショックだった」と、マシスは言う。「次に怒りを覚えた。それから、この原因は何だ?と。私はギャンブルについて話しているのではない。私が話しているのは、これが察知されずにいることを許したレフェリングの堕落についてだ・・・彼がふざけたまねをしていたとすれば、そのコールが目立つことで私たちに気づくチャンスがあったかもしれないということだ」


・・・本当に審判のレベルが落ちたかどうかは知りませんが、こういうところで例えに出されるのは不快。
本文には詳しい説明がないけど(航空券スキャンダルとだけ)、マイク・マシスと言えば、NBAからファーストクラスのチケット代が支給されているにもかかわらずエコノミーで移動し、差額分をポケットに入れたか、ファーストクラスの航空券を売りさばいたか、で、その収入を申告せず脱税…という感じのセコイことをした人でしょ。

ま〜あれがオフェンスファウルだったという見方が多いのは知ってます。
ただ、審判のコールで試合を決するのではなく、プレーで決着をつけるべきという考えから、NBAはなかなか試合終盤のオフェンスファウルを取らない、んじゃなかったでしたっけ〜。あのとき、マイケルが「ポン」としなくたって、ラッセルは完全にバランスを崩していたように思う。
あれがオフェンスファウルなら、レジー・ミラーの突き飛ばしは何ですか。
posted by まき at 19:48| Comment(5) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2007年08月17日

TIP-OFF (5)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第1章:The View from Chapel Hill - 2


同時代のコーチの中で、ディーン・スミスは間違いなく最も尊敬される1人だろう。同僚からも、メディアからも、プレイヤーからも。それでもなお、批判はある。スミスはマイケル・ジョーダンに最大限の栄光に輝くことを許さず、そのせいでノースカロライナ大学は2度目の優勝を逃したかもしれないという議論が常にある。1年生のジョーダンを渋々スターターに選んだとき、スポーツ・イラストレーテッド誌がターヒールズのスターター5人を表紙にしたいと頼んだが、スミスは「1年生はダメだ」と編集者に命じ、4人の撮影しか許さなかった。ジョーダン本人には直接、君はまだ報道されるようなことは何もしていない、と伝え、それからのちも他のメンバーとジョーダンを区別することは一切拒否した。数年のうちに非常に有名になった謎々:マイケル・ジョーダンを20点以下に抑えた唯一の人物は? 答えはディーン・スミスだ。しかし、本当は違う、とスミスの友人は言う。実際、ノースカロライナ大学の記録では、ジョーダンは1983−84シーズンに1試合平均20得点以上している。当時のアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)は、NCAAがまだ公式スタッツとして認めていない3Pシュートを試用していた。もし(ACCのように)ジョーダンのスリーポイントをカウントすれば、この謎々は成り立たない。

さて、ジョーダンは6月に2位か3位で指名されるはずだ。もう1年大学に残れば、パトリック・ユーイングと同期のドラフトで1位か2位の指名になるかもしれない。しかし、常に故障の可能性がつきまとう状況で、来年の保証は何もない。コーチはジェームズ・ウォージーのことを考えた。大学1年のシーズン途中に足首を骨折し、ピンで固定しなければならなかったウォージーは、レイカーズ入りしてから再び足首を骨折した。「間違いなく、私はそれを恐れた」と、スミスは言う。
また、別の要因もある。例年とは違い、今年のドラフトでトップ5の指名権を持つフランチャイズは、どこもルーキーにとって魅力的なホームだということ。サンディエゴ・クリッパーズは入っていないのだ。ヒューストンとシカゴは低迷しているが、未開発の巨大マーケットがあり、将来性もなかなか高い。ポートランド、フィラデルフィア、ダラスは、ペイサーズやキャバリアーズのような弱小チームから指名権を譲り受けただけであり、すでにトップクラスのコンテンダーだ。
もう1つのファクターはサラリーである。NBAは84−85シーズン中にサラリーキャップを導入する予定だが、新システムの影響は予測が難しい。すでにキャップをオーバーしているチームは、ルーキーへの支払いをわずか7万5000ドルに厳しく制限されるだろう。1年後、そのプレイヤーはフリーエージェントとして資産を築けるかもしれないが、そこにはまた新たなリスクファクターが伴う。

コーチの考えでは、今回はかなりはっきりしたケースだった。ジョーダンは今すぐNBAへ進むべきである。たとえ、自分たちがもう1度優勝するチャンスを犠牲にしたとしても。他の意見はさまざまだった。アシスタントコーチ陣は、アーリーエントリー案を支持していない。ジョーダンの父親はプロ入りを望んでいたが、母親は中退に反対している。コーチは例年のようにミーティングを召集した。マイケルと両親、じっくり選んだ数名のビジネス・エージェント、サム・パーキンスと保護者のハーブ・クロスマン、さらに、4年生のキャプテン、マット・ドハティが同席した。
「ジョーダン夫人は卒業を強く望んでおられた」と、スミスは言う。「お父さんの方は、プロへ進む潮時だと考えておられた。マイケル本人もプロになりたがっていると思われた。私はマイケルに、部屋へ戻ってしっかり考えるように言ったんだ」

posted by まき at 20:31| Comment(2) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年08月16日

TIP-OFF (4)

むぅ〜ちっともマイケルのところまで到達しない…。(苦笑)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第1章:The View from Chapel Hill - 1


カーマイケル・ジムのオフィスで、ディーン・スミスはビル・フィッチからの電話を受けた。ヒューストンがコインフリップに勝ったこと、ドラフトでアキーム・オラジュワンを選ぶことを伝えるものだった。フィッチは大勢いる仕事がらみの友人の1人だ。NBAのコーチたちは、スカウティング・レポートや試合のビデオや選手たちの私的なバックグラウンドに関する詳しい情報を欲しがる。スミスの方は、自分の選手たちの将来設計に役立つアドバイスができるよう、プロリーグの現状を正確に知りたい。スミスのネットワークは大きく広がっていた。ビリー・カニングハム、ラリー・ブラウン、ダグ・モー、ドニー・ウォルシュは全員ター・ヒールズの卒業生であり、スミスの友人であり、ネットワークの一員だった。

コインフリップの1週間前、スミスはフィッチに電話をかけ、もしロケッツが1位指名権を逃したら、2位でマイケル・ジョーダンを指名するという率直な返事を得ていた。すでに前年のドラフトでラルフ・サンプソンを獲得していたロケッツにとって、それが完璧な選択だろう。
次に、スミスはポートランドのスチュー・インマンGMに電話をした。トレイルブレイザーズは2位指名でもビッグマンを選ぶ用意だ、とインマンは答えた。おそらく、ケンタッキー大学のサム・ブーイを。
スミスは信じられない思いで頭を振った。どうして彼らはジョーダンをパスできるのか?どうすればそんなことができるのだ? しかし、インマンはそのつもりだと答えた。「ジョーダンのことは気に入っている。だが、うちにはサイズが必要なんだ」と、インマンはスミスに告げた。「もしフリップに負けたらブーイを選ぶ。勝てばオラジュワンを指名する」
とりあえず怒りを収め、スミスは考えた。シカゴのロッド・ソーンはジョーダンを気に入っている。ソーンはカニングハムの友人であり、カニングハムはジョーダンを並外れたスターだと考えていた。ジョーダンは確実に3位以内で指名され、サム・パーキンスは4位か5位に入るだろう。

そろそろ意思決定をすべき時期だが、もう難しいことはない。スミスはジョーダンにアーリーエントリーを勧めるつもりだった。「私たちにはルールがある:シーズン中はチームのためにベストのことをし、シーズンオフには選手のためにベストのことをする」と、スミスは言った。彼には他のルールもある:トップ5でドラフトされそうな選手には、アーリーエントリーを勧める。そうすれば経済的に一生安泰だからだ。90年代、NBAのサラリーがとてつもなく急騰したあと、スミスは自分のガイドラインを修正し、トップ10が見込める選手にはアーリーエントリーを勧めるようになった−−1つの警告と共に。スミスは大学の評判と自分の評判を守った。そこで、アーリーエントリーする選手たちに、後輩の模範となることを求めた。いずれは大学に戻り、学位を取得するよう約束させたのだ。
スミスがジョーダンの前にアーリーエントリーを勧めたのは、ジェームズ・ウォージーとフィル・フォードの2人だけだった。フォードはスミスのアドバイスを拒否し、大学に残った。フォードに対するスミスの愛情と尊敬の念は、ますます深まった。ヘッドコーチとしてのキャリアの終盤、強力な高校生数名をリクルートするチャンスがあったとき、大学で1年しかプレーするつもりがない相手の考えを知ったスミスは、彼らへの勧誘を取り下げている。
1961年から97年まで、ディーン・スミスがノースカロライナ大学のヘッドコーチを務めた36年間で、卒業を待たずにプロ入りした選手は9名いるが、そのうちの7名が求めに応えて学位を取得し、54歳のボブ・マッカドゥーは今も授業に出席している。それがスミスの誇りだ。
posted by まき at 21:14| Comment(2) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年08月15日

元ブルズ3人の消息(?)

レジー・ミラーの復帰の噂もそれっきりですが、ESPNのマーク・ステイン記者が、他にも復帰を考えているかもしれない元プレイヤーとして12名列挙していて(こちら)――

アラン・ヒューストン(36歳)
チャールズ・オークリー(12月で44歳)
ショーン・ケンプ(11月で38歳)
トニー・マッセンバーグ(40歳)
キース・ヴァン・ホーン(10月で32歳)
アントニオ・デイビス(ハロウィーンで39歳)
クィンテル・ウッズ(26歳)
スコッティ・ピペン(9月で42歳)
トニー・クーコッチ(9月で39歳)
ニック・ヴァン・エクセル(11月で36歳)
ラトレル・スプリューウェル(9月で37歳)

オークリーは、真剣に復帰を考えているようだが、「安く復帰するつもりはない」と明言しているため難しそう、と。
ピペンは最近、NBA親善使節として訪問した中国で、今はコーチ職かフロント職を希望しており再びプレーするつもりはない、と公表したそうです。
あと、クーコッチは腰に慢性的なトラブルを抱え、もう身体的にプレーできないと代理人が言っているとのこと。

そして、このリストのトリが・・・

Michael Jordan
Age: 44
Last NBA job: Washington (2002-03 season)
Just kidding, MJ.

やっぱりお約束。(笑)


070711Beijing.jpg


オマケ:ピップ@7月11日北京 
ディバッツも一緒だったんですね。


070805Chicago-PearlJam.jpg

あと、ついでにデニスも探してみたら
大量の画像があるわあるわ。
相変わらずお盛んなよーデス。
(あ、元ブルズ4人目か)
 
posted by まき at 13:44| Comment(2) | TrackBack(0) | BULLS+シカゴ | 更新情報をチェックする
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