2007年09月30日

93年リング・セレモニー

さらにこんなのも見つけました。93年11月6日ホーム開幕戦での優勝指輪授与式。

Chicago Bulls 1993 Ring Ceremony Part 1 (09:43)

通路で待機中のマイケルが何度か映ります。登場してのスピーチは…

Chicago Bulls 1993 Ring Ceremony Part 2 (07:09)


も、スーツ姿がめっちゃ素敵☆彡
たまにYouTubeを探すと新しい動画がUPされていてありがたいなぁ♪
Michael Jordan to the MAX なんかも9分割であったりします。(いいのか?)

そういえば、引退会見は2度とも全米生中継されたはずなのに見かけませんね〜。2度目の会見は深夜にCNNが生放送してくれたので、TVの前で最後の(つもりだった)別れを惜しみましたが…。
あ、そうそう、95年3月の復帰後にBSとTV朝日で放送された試合は全部見たんですけど、録画しようと思いついたのはプレーオフになってからだったので(T_T) 復帰戦@インディアナだけポンテルしました。嬉しいことに、試合後の記者会見も完全生中継(マイケルがシャワーを浴びて着替えて会見場に登場するまで、延々と会見室が映っているだけという(笑))のまま収録されていたのです。まだまだどんどん噴出す汗にハンカチでは間に合わず、横からタオルが差し出されたりして、英語が分からなくてもなかなか楽しめました。(^^) ※DVDになっても収録されているかどうかは知りません。

posted by まき at 14:28| Comment(12) | TrackBack(0) | BULLS+シカゴ | 更新情報をチェックする

2007年09月29日

サタデーナイトライブ

Yahoo!でもESPNでもSI.comでもMSNBCでもレブロンのサタデーナイトライブ出演(29日)が話題になっているので、91年9月のマイケル出演SNLをYouTubeで探してみたんですけど。

SNL - Bill Swerski's Superfans Meet Michael Jordan (05:28)


これしかないんですね。
せっかくマイケル・ジョーダンがゲストだというのに、ベアーズのことしか頭にない熱狂的ベアーズ・ファンのおっさんたち…。(相変わらずダンス?はぎこちない(^^;)
他に、自分の清潔なイメージを茶化す、女性用衛生用品 "Feminine Secret"や自分のアダルトビデオのパロディーCMをやったという話ですけど。

★他にも何かないかあさっていたら、MJコロンのCMも発見♪ (AVではありません(笑))


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2007年09月28日

レストラン開店

0927-1.jpg

コネチカット州アンカスヴィルにあるモヒガン・サン・リゾート&カジノ(Mohegan Sun =モヘガン・サンという記述も多し)に新しいレストラン SolToro Tequila Grill がオープンしたとのこと。左右が共同オーナー。

0927-2.jpg

セレモニーでモヒガン・サンの部族会議議長が手にしたお香を聞いているところ。(モヒガン・サンは世界で2番目に大きなカジノ。先住民族モヒガン族が経営している)

0927-3.jpg<反応を見ると、ビミョーだった?(^^;

すでにMichael Jordan's Steak House と Michael Jordan's 23.sportcafe は営業中だそうです。(公式HP




posted by まき at 21:17| Comment(2) | TrackBack(0) | ビジネス | 更新情報をチェックする

ボブキャッツ短信

●デル・カリーがAC辞任
3ヶ月前にアシスタントコーチになったばかりだが、家族との時間を犠牲にできないと考え直し、コーチを辞任。今後はコミュニティー・リレーション担当&ブロードキャスターとして働くそうです。さらに、マグジー・ボーグスもコミュニティー・リレーション担当&ラジオのブロードキャスターに加わり、新アシスタントコーチはマイク・サンダースと契約。

マイク・サンダース:過去2シーズンはバックスのAC。それ以前はNBDLアッシュヴィルのACとして4シーズン。2000-01シーズンはピストンズのAC。IBA、USBLでヘッドコーチ歴も。
現役時代はサンアントニオ、フェニックス、クリーブランド、インディアナで11シーズン。(あ、やっぱりキャブスにいたマイク・サンダース)

●オカフォーが母校コネチカット大学に25万ドル寄付。
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2007年09月27日

TIP-OFF (19)

ショーン・マリオンが本気であんなトレード要求をするタイプとは思わなかった。
わたし的にはかなりイメージダウン。
アイザイア・トーマスのセクハラ裁判も、本当のところは分からないけどみっともないことですね〜。(もし、万が一、万々が一、万々々が一、マイケルがセクハラなんかしたら、さすがにファンやめるだろうな…それでも確信はないや。<アホ(^^;)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 6


ある時、ナイトは練習中の体育館から選手たちを追い出したという。ウッドの記憶によれば、練習態度が気に入らないから出て行けと命じて。ジョーダンは選手たちの非公式なリーダーとして、体育館へ戻るようにチームメイトを説得し、自分たちだけで練習を再開した。さらに腹を立てたナイトは、再び彼らを追い出した。しかし、選手たちが建物を離れることは望んでいなかったのだ。その辺りに残ったまま、深い反省を表し、自分が練習に呼び戻すのを待っているよう望んでいた。これはデリケートな綱渡りで、アルフォードの存在はナイトの感情を読み取る一助として幸運だったが、それでもまだ不十分だった。ナイトを満足させようと努めていたジョーダンは、次第に不満をためていく。スターを重視しない考え方こそディーン・スミスと共通していたが、ナイトはスミスのような安定した気質の持ち主ではなかった。

スミスは、自分の考えを教え子たちに伝える前に、感情が落ち着くのを待ち、生な思考にフィルターをかけることを身につけた。ナイトは本能的衝動のままに振舞った。感じたことをその場でそのまま口にした。もっと穏やかで紳士的な言葉遣いに慣れていたジョーダンのような人間にとって、こういう扱いは不快で、しばしば傷つくのだった。「スミスコーチはフォー・コーナー・オフェンスの達人で、ナイトコーチはフォー・レター・ワード(禁句)の達人です」と、後にジョーダンは言うだろう。

5月13日、選考会の第2ラウンドが2日終了しただけで、次のカットが行われた。これは、数年後の歴史的見地から考えれば、驚くべき選択になるだろう。ナイトは、セント・ジョセフ大のモーリス・マーティンと一緒に、将来のNBAスターになるバークリーとストックトンとテリー・ポーターを一挙に切ったのだ。特に、バークリーの離脱はキャンプ内外で大ニュースになった。「彼のカットは明らかにプレーとは関係ない」と、ウッドは言った。パーキンスは、バークリーがカットされるくらいなら次はきっと自分の番だと考えた。

ナイトは、才能だけでは不十分だという警告を発するためにバークリーを使った。勤勉だが限界のあるジェフ・ターナーはロスターに残った。たぶん、ケミストリーを重視して。たぶん、C・W・ニュートン アシスタントコーチとのバンダービルト・コネクションのおかげで。
「ジェフ・ターナーやジョン・コンカックやジョー・クラインがチームに選ばれるべきプレーをしたところは1度も見ていない」と、ボストン・ヘラルドのチャーリー・ピアースは言った。オーバーン大学のバークリーのコーチ、ソニー・スミスは今でも、ナイトがバークリーをカットした理由は、オリンピックが東西関係の悪化を象徴する最新の世界的イベントだったからだと信じている。数日前の5月8日に、ソビエトがオリンピックをボイコットすると正式発表したところだった。公式声明の中で米国のモスクワ五輪ボイコットは言及されなかったが、関連は明らかだ。

ソビエトは、米国当局が五輪憲章への「尊大な態度」を保持し、自ら反ソビエト連合と名乗るアメリカの民間団体が、オリンピック期間中に亡命を希望するソ連アスリートの支援を計画していると告発した。このボイコットは、ナイトとの対戦を強く望んでいたロシア人コーチ、アレクサンダー・ゴメルスキーの決定ではなく、完全にクレムリンの責任であり、五輪バスケットボール競技への関心を大幅に削ぐ結果となった。

「過激派団体とあらゆる種類のグループは、公然と、ソビエト代表団の滞在と我が国のアスリートによるパフォーマンスにとって耐え難い状況を確立しようともくろみ、米国当局の黙認のもと、急進的な活動を強化している」と、ソビエト連邦国内オリンピック委員会は発表した。そして、その瞬間、ナイトは優秀なアスリートであるバークリーを協調性のあるベンチ要員のターナーと入れ替える贅沢が許されたのだ、と、ソニー・スミスは確信している。「ソ連が消えたとき、もう金メダルを獲得するためにチャールズが必要ではなくなったんだ」と、スミスは言う。「もしソ連が参加していたら、チャールズは五輪代表に選ばれていただろう」

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2007年09月26日

理由

昨日、ESPNに小っさいマイケルの写真を発見。
One reason it's hard to be the next Michael Jordan とか書いてあるので、とりあえず眺めて(<読む前段階)みました。どうやら、「ジョーダンがスゴイだけじゃなく取り巻きも超一流揃いだった」と書いてあるらしい。どうでもいいや、と思いつつ、ブログのネタになるかな?と欲を出して読んでみることに。(笑)

An Interesting Wrinkle in The LeBron-Jordan comparison


――ん〜。読んでみたら当たり前のことだなぁ。
ロドマンがデトロイトで失敗だったという部分と、ウェニントンが特筆すべきロールプレイヤーか?(^^; てところ以外は反論しようもありませんが、何とな〜く完全に納得もできない。どこが洞察に満ちているのかさっぱり分からんし、時間を損した気分。
D・フォーク本人も「マイケルを超えるプレイヤーが現れないとは言わないが、アレを再現するには人知を超えた力が必要」と言ってますしね〜。

それに、そもそも、オールスターで“ダンスコンテスト”に興じたり、ESPYアワードでこんなことしたり、レブロンはジョーダン路線じゃなくシャック路線を歩むつもりなんでしょう?(^m^)
実際、怪物のような自分のイメージと戦う道なんか選ばない方がいいですよ。

テキトーですがざっと内容
posted by まき at 20:46| Comment(2) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

TIP-OFF (18)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 5


4月22日までにチームは20名に減った:センターのユーイング、コンカック、クライン、マコーミック。フォワードのパーキンス、バークリー、ティズデイル、ジェフ・ターナー。スイングマンのジョーダンとマリンに、ガードのアルフォード、ゴードン、マーティン、ポーター、ウッド、ストックトン、ジョニー・ドーキンス、バーン・フレミング。ナイトは、優秀なガードが多すぎて誰を残すか決めかね、もう少し様子を見る必要があると説明した。
カットされたのは、イタリアリーグのミラノで20万ドルの収入を得ていたアントワン・カー(それでも当時の規則ではアマチュアと判断された)と、カール・マローンだ。その日、ボストン・ヘラルドのピアース記者は、無念の思いを抱えたまま、シャーロット、ナッシュビル、ニューオリンズ、シュリーブポートを経由してルイジアナへの帰郷の途につくマローンを空港で見かけた。「選ばれるためにはどうする必要があったのか分からないんだ」と、マローンは嘆いた。

リリースされた選手の多くも、選考基準に同じあいまいさを感じていた。それでも、彼らは最善を尽くした。「あれほど大勢の素晴らしい選手が、あれほど激しくプレーしていると、自分でもできる限りハードにプレーするしかなかった」と、全米優勝からまだ数週間後のユーイングがワシントン・ポストに語っている。「僕はかなりコンスタントにプレーできたと思う。自分のベストを尽くした。まったく、長くて厳しい1週間だったよ。体もくたくただ。コンクリートの上でプレーしているみたいなんだ」

5月10日、残った20名の選手がインディアナに再集結した。今後、新たなカットやNBAオールスター選手と対戦するエキジビションに備えて、5日間のブートキャンプが予定されている。今回は、ナイトとアシスタントだけでなく、約17名のコーチも選考協議に加わった。それでも、これは明らかにナイトの決定であり、ヘッドコーチは自分のチームに、スターとロールプレイヤーのきちんとしたバランスを望んでいた。
後期の練習はさらにタフで、体力も尽きるほどだった。選手同士が交流する時間もほとんどない。自然と、ガードはガード同士、ビッグマンはビッグマン同士、ポジションごとに集まる機会が多くなる。ジョーダンはフレミングやロバートソンと親しくなり、カードやビリヤードを楽しみ、パーキンスはティズデイルと親友になった。
そして、選手たちは時々、自分がどこにドラフトされるか、どこにドラフトされたいか、話し合うようになった。「自分がどこに指名されるか見当をつけようとしたんだ」と、レオン・ウッドは言う。「私はクリッパーズに指名されたかった。彼らのバックコートには少し助けが必要だったから。フィリーにはすでにアンドリュー・トーニーやモーリス・チークスがいたからね」

ナイトとのワルツはぎこちなくなっていった。「俺は彼とうまくやった」と、パーキンスは言う。

だけど、俺はうまくやろうと努力したんだ。そのためには、彼のシステムや性格に注意を払う必要がある。それを嫌う奴もいたね。たぶん彼は、もっと成長させたい相手に厳しかったと思う。コーチが怒鳴るのには理由があったわけさ。ウェイマン・ティズデイルは俺の親友になったが、ずっとコーチの不興を買っていた。どうしてコーチが自分を責めるのか理解していなかったよ。やがて、彼も叱責を冷静に受け止め、自分の調子を上げて、アジャストしたけれど。ナイトコーチもスミスコーチも目的は同じだった。そこに達するまでの道のりが全然違っただけで。

バークリーは、少なくとも、プロセス全体への興味を失っているように見えた。すでに自分の値打ちは証明し、ドラフトへの備えは整った。彼の計算では、1巡目中盤からトップ5まで順位を上げることに成功したのだ。他の者たちは、おどおどしたり反抗的だったりして、ナイトが自分たちに何を求めているのか全く確信がなかった。コーチは誰に対しても個別に助言するようなところがなく、選手は仲間内でサポート・グループを見つけた。つまり、自分たちで自分たちを守ろうとしたのだ。ウッドはクリス・マリンやジョン・コンカックと親しくして、ナイトについて話し合い、ナイトの考えを読もうとした。選手たちはしばしば、コーチが自分たちに求めるものを推測し、それはたいてい間違っていた。
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WE WILL ELEVATE

ad-bobcats.jpgシャーロット・オブザーバーで見たボブキャッツの広告がなかなかカッコよかったので。
縮小したからイマひとつ迫力を欠きますが…。

ボブキャッツはまだビッグマンのウィンドーショッピングを続けていて、オセラ・ハリントンの左ひざの回復具合によっては、カットするか健康を理由に引退してもらうかもしれないという話もあるのですが。
コーチが獲得の可能性として言及したビッグマンは、マイケル・ラフィン、マーク・ジャクソン、ビタリー・ポタペンコだそう。とりあえず、ニーズはガテン系とのこと。
posted by まき at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

スタイリッシュな男

男性ファッション誌GQが創刊50周年ということで、過去50年間のスタイリッシュな男性50名をリストアップしています。(みきちゃん、情報ありがとう♪)

さらに、eiga.comの記事によると――
[ニューヨーク 19日 ロイター] 男性に過去50年間に活躍した男性有名人でスタイリッシュだと思うベスト10をたずねたところ、美形の映画俳優が上位を占める女性を対象にした同種のアンケートとは大きく異なる結果が明らかになった。
同調査結果は、米男性向けファッション誌GQが今週発売の創刊50周年記念号で発表した。
それによると、俳優ショーン・コネリーが大量ポイントを獲得。同誌では、男性がスタイルを判断する場合、外見の美しさよりも成功、自信、成熟性、気品などが優先するため、と分析している。
このほか、多くの男性が、元ボクシング選手のモハメド・アリ、俳優のジャック・ニコルソン、バスケットボール選手のマイケル・ジョーダン、ジョン・F・ケネディ元大統領などの名を挙げた。
同誌ではランク付けは発表していないが、編集責任者はショーン・コネリーが1番という人が多いのではないかとしている。

だそうで、ベスト10は、ショーン・コネリー、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ジョン・F・ケネディ、モハメド・アリ、ジョニー・デップ、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソン、MJ☆(順不同)らしい。(もう1人はよく分かんないんです(^^; NFLニューイングランド・ペイトリオッツのトム・ブレイディかも?)

10年前には『今年最もスタイリッシュな男』が掲載された日本版GQを買いましたけど、この特集も日本版に載るかな?

GQ: The 50 Most Stylish Men  Michael Jordan
GQ50-MJ.jpgあなたが6フィート4インチ以上で、アメリカ人に見えて、旅行好きなら、想像可能なあらゆるアクセントで名前が呼ばれるのを聞いたはず:Mee-kel Hordan! Em-hay! あなたが白人でも太っていても75歳でも問題にならない。マイケル・ジョーダンはまだどこにでもいる。MJの最後の優勝から9年、若き大物たちはもっとたくさんジャージを売っているかもしれないが、ダカールの少年がダブダブのバギーと格好いい黒のキックスと前腕のリストバンドとスカルプ・モイスチャーを身にまとい、日曜日の練習にやって来る理由ではない。ヒズ・エアネスは、まったく支配的で、とても近づきやすいヒーローだった。そして、素晴らしい微笑とスコッティ・ピペンとナイキ(84年の三色のエア・ジョーダンはNBAが禁止したくらいクールだった)からの少しの助けを受けて、ジョーダンは10年以上、世界一有名なアスリートとして過ごした。世界中のボーラーが彼になりたかったと公言し、今でもトライしている。

・禿げ頭は、はげかかった頭より格好いい。ジョーダンは我々にこれを教え、ブルース・ウィリスやマーク・メシエもそう証明した。

posted by まき at 14:54| Comment(0) | TrackBack(1) | MJ | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

折り返し

AJ9-practice.jpg


50MB / 100MB になりました。
この分なら2年後の殿堂入りセレモニーまでもちますね。
これからは情報量も減るだろうし…。

まぁ、2年後にニーズがあるかどうか分からないけど。(^^;
てゆーか、今だって自分のためにブログやってるようなものなので(ここに書いておくと検索が楽なんですよ)、何が何でも殿堂入りまでは続けるつもりです。

あ、もちろん、いつもアクセスしていただく皆様には感謝いたしております。m(__)m

たまに、いつまでMJファンやっているのか自分で不思議に思うんだけど、こればっかりは理屈じゃないからしょうがない〜。これからもMJひと筋の当ブログをどうぞヨロシク。
posted by まき at 20:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

バイクレース雑誌

NT-ROADRACER.jpgインタビューが載っているらしいんです。
NIKETALKの投稿

AMAに関するインタビューにはあんまり興味がないから助かった。(^^;
6月のインタビューもまだ(あ!)放置したままだし〜。

表紙はアーロン・イエーツで。
そういえば、先週末のAMAレース最終戦で、ジェイク・ホールデン(キャリア初優勝)とイエーツがワンツーフィニッシュしてました。

NT-magazine.jpg 070916.jpg

審議が入って暫定とかいう話だったけど…。
posted by まき at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | バイク | 更新情報をチェックする

2007年09月21日

TIP-OFF (17)

ピペンがフィンランドで2試合プレーする契約交渉中だそうです。(Go New York Go!
ロドマンはあちこちでゲスト出場してきたけど、今度はピペン。やっぱりプレーしたいってことなんですかね〜。6桁にならないギャラが目当てとは思えないし。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 4


選考会でバークリーのルームメイトになったのは、ナイトと候補選手たちの緩衝役と目されたインディアナ大学のスティーブ・アルフォードである。まだ19歳のアルフォードは、バークリーが何かクレイジーなことをするたびに、あるいは、どこかの企業のスポークスマンになるという脇道に興味を示すたびに、信じられないといった様子で頭を振った。
「ナイトコーチも私も彼が大好きだった」と、アルフォードは言う。「彼はオフェンスの動かし方を知っていた。サイズはなかったが、クイックネスとジャンパーがあったし。チャールズは素晴らしい人間だったよ。彼にとって、五輪代表に選ばれることが広告契約の獲得と同じくらい重要だったかどうかは知らないが」
「彼のスタートは誰よりも好調だった。みんな、彼のことをクレイジーだと思っていたが、それも彼の輝きの一部なんだ。本当に彼はマイケルよりも目立っていた」

バークリーとナイトの関係について、アルフォードの見解は周囲と異なっている。他の選手たちは、2人が素晴らしい愛情で結ばれているというより、もっとネガティブな関係に感じていた。バークリーはサム・パーキンスと違い、大人しくコーチに怒鳴られたり、黙ってルールを受け入れたりしない。ナイトが練習に遅れて来たとき、バークリーはダブル・スタンダードがあることを指摘せずにおかなかった。
バークリーは個性でもプレーでも目立っていた。選考会が進むうちに彼の自信もどんどん増し、ナイトが自分の壮大な計画を邪魔するのではないかという心配は消えて、公の場でも奔放になった。
「本当のところ、俺はそんなにたくさん食べるわけじゃない」と、ワシントン・ポストのインタビューでは語っている。「ただ、多少食べ続ける傾向がある。そこを何とかできたら、ヘラクレスみたいになれるんだけどな」
彼は新しい仲間たちの前で悪党ぶるのが好きだった。自分が太っていると思われれば、その理由を証明してやった。寮の各部屋には、毎晩1人1枚の割り当てで2枚のピザが届けられたが、「私は一切れでも食べられたらラッキーだったよ」と、アルフォードは笑う。

最初のカットは、5日間のワークアウトが済んだ4月21日。72名の選手は32名に選り抜かれ、選考委員長のデイブ・ギャビットがアルファベット順に名前を読み上げた。「名声や新聞の切り抜きで選んだ選手は1人もいない」。ウィスコンシン・スティーブンス・ポイントという小さな大学から来た6フィート2インチのテリー・ポーターは、水疱瘡で2日間練習を休んだが、それでも選考に残った。学業不適格でセント・ジョンズ大に進学できず、短大でプレーしていたウォルター・ベリーを除けば、ディビジョンT以外の大学から招待された選手はポーターだけだった。
ちょうどモンタナ大学のラリー・クリストコビアックが水疱瘡にかかったため、週末のスクリメージに32名の選手が必要だったナイトは、バージニア工科大学のデル・カリーをリストに復帰させた。次のラウンドには4人のセンターが生き残っている:ユーイング、サザーン・メソジスト大学(SMU)のジョン・コンカック、ミシガン大学のティム・マコーミック、アーカンソー大学のジョー・クライン。ほとんど無名だったのは、セント・ジョセフ大学のモーリス・マーティンとゴンザガ大学のジョン・ストックトン。カール・マローンもバークリーやパーキンスと一緒に最初のカットを通過した。シラキュース大学のパール・ワシントンやサンディエゴ州立大のマイケル・ケイジ、ビラノバ大学のエド・ピンクニー、ジョージア工科大のマーク・プライスは選にもれた。

ストックトンは以前、ソルトレーク・トリビューンのインタビューで、初めてマローンを知ったのがこの選考会だったと語っている。小さな大学からやって来た見込みの薄い者同士、2人で一緒にランチを楽しんだという。「友好的な関係というのは少なかった。別に、お互いを値踏みしたり、にらみ合っていたわけではないけれど。とても静かな関係だったんだ。そういう場所で、僕たちは親しくテーブルを囲んだよ」
ストックトンも他のアスリートと同様に、トライアウトの目的が五輪代表に選ばれることだけでなく、ドラフト順位を上げる絶好のチャンスだと自覚していた。選手たちは、常にナイトの本心を探ろうとした。どうすれば、アーカンソー大学のエディ・サットンが「ボビータイプ」と名付けた選手になれるのか、正確に理解しようと試みた。カットのたびに、ナイトは短いスピーチをする。それは、名簿に名前が見当たらない選手たちの痛みを和らげるはずだった。「このチームに選ばれなかったことは、君たちの未来に何も影響しない。君たちの未来を築くのは君たち自身なのだ」
誰も頷かなかった。選手たちは、ここで32名のラウンドを勝ち抜くことが、ドラフト1巡目指名を確実にする早道だと知っていたのだ。「名前がRまで来ると、僕の心臓は止まった」と、ストックトンは述懐している。「そのあと、自分の名前を耳にしたら、止まっていた時間を補うために脈が一気に速くなったよ」
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2007年09月20日

細いふくらはぎ

今頃になってNIKETALKにシニア・フライトスクールの(たぶん)写真が上がってた。
「このシューズ、何?」って。

NT-camp.jpgそれより、この写真が何!? SportsIllustrated PICTURES なんてウォーターマーク、初めて見た。そりゃあ、SI.comは時々しかチェックしないから、取材してくれてたのを見落としたかもしれないけど(トホホ…)、SI.comの写真に透かしなんか入ってたっけ?

それにしても、相変わらず細いふくらはぎですねー。
『究極の身体』にも、「ジョーダンのふくらはぎは細い」と特筆してありましたよ。なんでも、ふくらはぎの筋肉が発達するような足の使い方(拇趾球でフロアを蹴る)をしていては、第一歩で敵を出し抜くなんて無理なのだそうです。


bluedunk-SI.jpgちなみに、SI PHOTOSを捜索していて、これを拾った♪
"Walter Iooss Jr.'s Favorite Shots" (やっぱり透かしはないよねぇ)

「私はこれを“ブルー・ダンク”と呼びます。場所はイリノイ州のライルで、駐車場の一区画を赤に、もう一区画を青に塗りました。マイケルが撮影用にどのユニフォームを着用するか次第で、どちらを使うか決めるために。それと、ちょうどいい影を投げかけることができるように、移動式のゴールを1台搬入しました。私は移動クレーンに乗り、雲間から太陽が差し込むのを待ちました。太陽光の完璧な角度が得られるのは、わずか15分ほどです。さもなければ、高すぎるか低すぎる。マイケルのことは長年撮影しましたが、その中でもこのショットが気に入っている理由は、彼が若くて元気いっぱいだからです。これは1987年、もうずいぶん昔のことです。彼にはまだ髪がありました。他にも自分が撮影したジョーダンのショットで好きなものは何枚かありますが、これはかなり気に入っている1枚です」

posted by まき at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | バスケキャンプ | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

ボブ猫リニューアル

心機一転か、いろいろ変更するみたいで。

●10年間 www.bobcats.com でHPを運営していたモンタナ州のヤマネコ繁殖業者から、5万ドルでURLを買取。最初は2004年に2000ドルでの権利譲渡を打診したものの断られ、今までずっと www.bobcatsbasketball.com で我慢していたわけ。
念願かなった公式サイトは、ジェラルド・ウォレスとジェイソン・リチャードソンをフィーチャーしてリニューアルするそうデス。

●第2ロゴも追加。
bobcats_logo2.gif bobcats_logos.gif 

●プレミアムシートの販売に力を入れており、60あるラグジュアリー・スイートのうち57が売約済み。1試合1000ドルの値段がつくフロアシートは完売。(昨シーズンの観客動員数は30チーム中27位…)

●フロアをトラディショナルなデザインに変更。

●ユニフォームの書体を変え、よりクラシックなデザインに。チームカラーをオレンジ&ブルーからブルー&オレンジに段階的に切り替え。今季はロード25試合でブルーを着用し、来季はロード全試合でブルー着用。(つまり、カロライナブルー信者のオーナー好みに?(^m^))

●Presbyterian Hospital, Mecklenburg County Parks and Recreation, Charlotte-Mecklenburg Schools とパートナーシップを結ぶ。

で、現在はサウスカロライナとノースカロライナの6都市をキャラバン中。
Photo Gallery

◆就任記者会見で「プレイオフ出場に失敗したら落胆する」とコメントした新HCのサム・ヴィンセントは、「ボストンやオーランドが強化した今でも8位に入れると思うか?」という質問に、「8位にはこだわらない。ホームコートアドバンテージを目指す。目標は高く掲げるべきだ」と返事。
2月と3月はカレッジのトーナメントにボブキャッツアリーナを明け渡して長期遠征が続くため、シーズン序盤でダッシュをかける必要があり、プレイヤーに自信を持たせるためだろう、とボーネル記者は好意的です。
posted by まき at 20:42| Comment(2) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

TIP-OFF (16)

ほんとに何にもないなぁ〜今頃どこ行ってんだろう。(ホットケ?(^^))

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 3


NBAのGMたちは比較的自由なアクセスが許されたため、ロッド・ソーンは体育館を歩き回っていた。「コートが何面かあったので、行ったり来たり選手を観察したものだ。練習の最後はメインコートでゲームがあった。ある時はマイケル・ジョーダンとチャールズ・バークリー、パトリック・ユーイング、ジョー・デュマースがチームを組み、相手を叩きのめしていたよ。バークリーは本当にすごかったんだ。ドクターJ以外のプレイヤーが、ディフェンスリバウンドを奪い、自分でボールを運び、ダンクでフィニッシュするところは初めて見た」

午前中、コーチたちは各ポジションごとに別れた選手たちを指導する。夜のゲームは白熱し、コート上のベスト2がマイケル・ジョーダンとチャールズ・バークリーであること−−必ずしもこの順ではなく−−は、ほぼ全員が同意するようになった。ジョーダンの力量は期待通りだったが、まだあまり知られていなかったバークリーは、コートを疾走し、あらゆる場所で敵をぶちのめし、仲間たちを激高させた。ユーイングのチームを相手にした練習試合では、バスケット周辺でユーイングに競り勝ち、リバウンドを奪い、あらゆる面で自分より半フィートも長身のセンターを相手にアンストッパブルであることを証明した。
「最初の週は1日に3セッションあった」と、後年NBA審判になったレオン・ウッドは言う。

早朝、昼、夕方。早いうちは、ケンタッキー大のパール・ワシントンやアントワン・カーが目立っていた。その後、チャールズ・バークリーが第一週を完全に支配したんだ。彼は自分の力を証明したがっていた。自分がトップ5に属することを全員に理解させたがっていた。でも、ボビー・ナイトの監督下で2ヶ月も3ヶ月もプレーしたがっていたとは思わない。第一週が終わって最初のカットが発表されたあと、チャールズは少し体重を落とすように命じられたが、逆に体重を増やしたんだ。だけど、あの第一週、彼はリバウンドを奪い、コートのエンドからエンドまで走り、ダンクした。観客を喜ばせるためにダンクしていたよ。彼は自分のゲームをしようとしていたが、その戦いにはナイトが勝った。まあ、最初から分かっていたことだけれど。

そのような当然の報いが来るまで、バークリーは自分のゲームを続けた。ある練習試合で記者たちは、ディフェンスリバウンドを奪い取り、ダウンコートをドリブルし、6フィート8インチのマーク・アラリーに突進するバークリーを畏怖しつつ注目した。バークリーはフロアに倒れた。アラリーはコート外に吹き飛んだ。バークリーは何事もなく立ち上がり、18フィートのジャンパーを沈めたのだった。あるいは、小柄だが気の強いジョン・ストックトンが、ブラインドサイド・ピックで倒され、バークリーに向かって拳を振り上げたこともある。高校生だったダニー・マニングもバークリーにぶちのめされた。
バークリーはそうやって全員を相手に文字どおり幅をきかせた。「彼は左手で僕を押さえつけて、右手でダンクしたよ」と、ノースウェスタン大学のマーク・ハルセルはスポーツ・イラストレーテッド誌に語っている。「きっと邪魔されたくなかったんだろう。あいつとは友達でいるべきだと思い知ったね」

バークリー本人は、チームに選ばれるかどうかあまり気にしていないと繰り返していた。ブルーミントンが目標ではなく、本当はもっと大きな計画があったのだ−−広告契約を確保し、ドラフトの指名順位を上げること。当初、人々は彼が全員にショックを与えようとしているだけだと考えた。それは少なくとも部分的には真実で、バークリーは自伝の"I May Be Wrong, But I Doubt It,"で、こう語っている。「まず第一に、俺はボビー・ナイトが好きではなかった。第二に、俺がオーバーンを後にしたのはプロになるためだ。ひと夏バスケットボールに専念するなんて真っ平だったのさ。俺の目的はドラフトの順位を上げること、ワークアウトで精神的にも肉体的にもプロへの準備を整えることだった。オリンピック選考会には参加したかったよ。そこでちょいと暴れて、ドラフトの順位を上げたかったわけさ」

選考会でもオーバーン大学でも、バークリーの目的は他人と違っていた。多少の楽しみと、なにがしかの金。しかし、選考会で関係者に感銘を与えるためにはナイトが必要だった。バークリーは、体重のせいで選考会から締め出されることを心配していた。当時の体重は280ポンドで、ナイトは215ポンドを希望していたのだ。今まで体重過多の選手を指導したことがあるかどうか質問されたとき、ナイトは「もう長いあいだ、ない」と答えた。
ガラにもなくうろたえたバークリーは速成のダイエットを試みたが、二度と自分の食欲を裏切らないだろうと誓う厳しい教訓を学んで終わった。暴食ボーイはよみがえった。

選考会での暴食ボーイの雄姿っす
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2007年09月17日

TIP-OFF (15)

本当に書くことが何もないんで、去年の9月をチェックしてみたら、今年はトレント・タッカー主催イベントの記事も写真も全然出回っていないことに気づいた…。
こうして徐々に情報が減っていくんだなぁ。99年の引退直後は、ゴルフのプロアマに出場したとか、ヤンキースタジアムで野球観戦とか、どっかの高校の1日校長をしたとか、何でもかんでも報道されたのに。あの頃ならここも人気ブログかも。(笑)
別に人気ブログになりたいとは思わないんだけど、マイケルが過去の人になっちゃうのは(もうなってるか…)残念。
まあ、「プレイヤーとしてのマイケル・ジョーダン」に興味はあっても「引退後のマイケル・ジョーダン」に関心ない方が普通なのかな。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 2


当時の選考プロセスは、大勢のトッププレイヤーが何が何でもアテネ行きを避けた2002年とは違う。1984年当時、あいまいな態度をとる招待選手はほとんどいなかった。まだ誰もがオリンピックを経験したいと強く望んでいたのだ。
トップレベルのカレッジ・プレイヤーで選考会への参加を辞退したのはサム・ブーイとケニー・スミスだけだが、彼らの事情は十分理解できるものだった。ブーイは、ボイコットで幻となった1980年のモスクワ五輪代表に選ばれている。現在の彼は、度重なる足の故障から回復途上であり、目前に迫るNBAドラフトを考慮すれば、あえて故障の危険を冒す余裕はなかった。また、もし代表チームに加わったとしても、パトリック・ユーイングの控えになるだろう。辞退という決断が「非愛国的」と取られることを少し心配したが、今は怪我の可能性とバツの悪さを避けるべきだった。「自分がチーム入りする必要はないと思ったので、参加したいという願望もモチベーションもまったくなかった」と、ブーイは説明している。ケニー・スミスが選ばれる可能性はさらに低かった。NCAAトーナメント直後に左手首の手術を行い、まだピンが入ったままだったのである。

当初の計画では、4月16日から22日までインディアナ大学のキャンパスで行われる五輪選考会に、48名から64名のカレッジ・プレイヤーを招くことになっていた。その後、チームは16名までカットされ、NBAオールスター・チームとの練習試合を重ねて、7月15日の登録締め切りまでに12名に削られる。ナイトの目安は、センター2人、ガード3人、スイングマン7人の陣容だった。ほとんどの学生は授業を休むことになるが、気にする者はまずいない。招待状を発送する際、どうしても64名に絞りきれないことが判明し、さらに10名がリストに追加された。

74名の候補のうち、72名がチャレンジを引き受けた。オール・アメリカンの4人−−ユーイング、ジョーダン、パーキンス、ティズデイル−−は最終ロスター入りが確実なので、実際に残っている枠はたった8名である。
とにかく、彼らは集まってきた。才能も経験もかなりさまざまで、セント・ジョンズ大学のクリス・マリンやケンタッキー大学のメル・ターピン、メンフィス州立大のキース・リー、カリフォルニア州立大フラートン校のレオン・ウッドのような有名選手もいれば、まだ10代のダニー・マニングやウォルター・ベリーもいる。ケンタッキー大学が最多の4名招待されていたが、サム・ブーイは辞退。ノースカロライナ大学は、やはり辞退したケニー・スミスを含めて3名。ルイヴィル大学がランカスター・ゴードンを筆頭に3名。オーバーン大学からはチャールズ・バークリーとチャック・パーソン。1992年に結成されたドリームチームの半数が、すでにこのブルーミントンのキャンプでプレーしている。

最初の6日間はドリルとスクリメージの連続で14セッション。一般向け、メディア向け、NBAスカウト向けと別々に公開され、インディアナ大学のアッセンブリー・ホールに1万7000人以上の観客を集めることもあった。ナイトは、フットボールの監督のように現場から距離を置き、上階に作った仮設のプラットホームからコートを見下ろしていた。「俺たちは品評会の牛みたいなものさ」と、パーキンスは回想する。マスコミが取材を許可されるのは水曜日の練習だけで、ナイトや選手たちのインタビューはほとんど行わないと通告されていた。もし図々しく選手たちと話をするレポーターがいたら、たとえ普段の挨拶だけでも取材許可証を取り上げられる可能性があった。それでも、1ヶ所に集結した素晴らしいタレントを観察できる機会に、記者たちは興奮していた。「みんな、菓子屋にいる子供みたいな気分だったよ」と、当時のボストン・ヘラルド記者チャーリー・ピアースは言う。ナイトがメディアと話すとき、記者会見はちょくちょくスパーリング・セッションに変わったけれども。

公開スクリメージでも「5」?
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2007年09月16日

萌え

asayan.jpg


乙女(?)心が刺激されて、とても好きな1ショットです。
さすが小池義弘さん撮影。

※PENTHOUSE平成7年11月24日増刊号asayan JUMPMAN より

closeup.jpg やっぱりこの表情だろうなぁ。 ぽ。
posted by まき at 20:05| Comment(8) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

TIP-OFF (14)

ちょうどサム・ブーイの章にさしかかったところで、グレッグ・オデンがシーズンを全休するかもしれないというニュース。残念ですね〜まだ19歳だし、今後のキャリアに影響がないことを祈ります。

さて、こちらはブーイの章etc... を省かせていただき、いっきにオリンピック・トライアルへ。(^^;
マイケル以外の人について読みたくないわけじゃないんだけど、今のところはギブです…。
マイケルじゃないと本当に集中力が続かないので〜。(英語を読むのは気力!(笑))

第3章:The Achilles Shin (サム・ブーイ)
第4章:Out of Africa, into Texas (オラジュワン)
第5章:The Well-Rounded Recruit (バークリー)
第6章:Spokane Man (ストックトン)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第7章:Trial by Knight - 1


84年当時のボビー・ナイトコーチは、粗野で、熱気に満ち満ちていた。彼を五輪代表チームの監督に起用する考えは、他国に対する外交的な侮辱にもなりかねず、多くの点で物議をかもす選択に違いなかった。NCAAで2度の優勝歴を誇る名コーチでありながら、ナイトはカウボーイ以上に荒っぽい。1979年には、パンアメリカン・ゲームのために訪れたプエルトリコのサンファンで、うかつにも練習用ジムの入り口に立ちはだかった警官ともみ合いになり、加重暴行罪で有罪判決を受けている。本人は裁判に出廷せぬまま、懲役6ヶ月罰金500ドルの判決を下され、米国本土の聖域へ逃げ帰って、プエルトリコ準州も身柄の引渡しは求めなかった。さらに、1981年には、ニュージャージー州チェリー・ヒルのカクテル・ラウンジで、ルイジアナ州立大学のブースターと口論になり、ちょっとした乱闘に巻き込まれている。

ナイトにはトラブルがついて回った。長く、しばしば過激なキャリアに渡って、コートに椅子を投げつけたり、自分の選手を窒息させたり、レイプを軽んじたり、タフネスぶりの実証として牛追いムチを振るうことで有名になった。しかし、当時の米国オリンピック委員たちは、速やかに代表チームを形成するには彼が最も適任だと知っていた。ナイト本人も、この仕事を極めて真剣に引き受けている。プレイヤーのスカウトに数年かけ、スタッフとして22名のアシスタント−−うちの1人はナイトの師でもあり、1960年のローマ五輪で大成功を収めたピート・ニューウェル−−を集めた。ナイトにはケミストリーを生み出す才覚があり、彼がにらみをきかせているだけで、規律と敬意が要求されるのだった。

当時の米国は、まだ誰もが認めるバスケットボールの世界チャンピオンだった−−たとえ低下の兆候がすでに表れていたとしても。米国アマチュアチームは、1972年のミュンヘン五輪決勝でソビエトに敗れ、その後、1982年に全米を転戦したソ連チームは、カレッジのトップチームを相手に7勝1敗の好成績を収めている。米国が1980年のモスクワ五輪をボイコットした報復として、ソ連は1984年のロサンゼルス五輪を欠場しそうだった。ナイトが代表チームを組織し始めた頃にはまだ明らかになっていなかったが、結局、冷戦対決は起こらない。ナイト本人は、ソ連もユーゴスラビアも出場し、スペインや西ドイツやイタリアより強敵になると警戒していたのだが。やがてすぐ、多くの国々が国際試合で米国にとって困難な敵になるが、ロス五輪ではまだ、アスレティックで洗練された米国と本当に戦う用意ができている国はなかった。NBAの『ドリームチーム』が必要だという議論は全くなく、ナイト率いる18名のコーチや委員が選んだカレッジのスターは素晴らしかった。

ナイトは慎重にスタッフと側近を選んでいた。アシスタントコーチは、デイトン大学のドン・ドノハーとアイオワ大学のジョージ・ラベリング、バンダービルト大学のC・M・ニュートン。ナイトが最も頼りにするコーチたちだ。
代表選考プロセスが始まるとき、ナイトは「個人の能力に加え、我々が求めるプレーとどのように適合するか、ということで選考を行うつもりだ」と、ニューヨーク・タイムズに語っている。「私に最終決定権があるかどうかは承知していないが、発言権はあるはずだ。それがトップなのか、しんがりなのか、中程度なのかは知らんが」

posted by まき at 19:45| Comment(0) | TrackBack(1) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

FIBA殿堂入り

そんなのもあるんですね。
加盟各国から推薦された200名以上の候補者の中から20名が選ばれたそうで、USAからはビル・ラッセル(NBA優勝11回・1956年メルボルン五輪金メダリスト)とディーン・スミス(ノースカロライナ大学で2度全米優勝・1976年モントリオール五輪優勝監督)とアン・マイヤーズ・ドライスデール女史(UCLA時代に4年連続オール・アメリカン選出・モントリオール五輪銀メダリスト)だけだそう。
オスカー・ロバートソンもマジック・ジョンソンも落選したらしいです。

マイケルなら金メダル2個持ってるし、1983年のパン・アメリカンでも優勝しているし(USAは1983年以降パン・アメリカンで1度も優勝していません)、国際大会でも貢献してると思うんですが。
(カテゴリはディーン・スミス絡みでUNCにしとこ)


パン・アメリカンの写真はこちら
posted by まき at 20:39| Comment(6) | TrackBack(0) | UNC | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

シーズンの展望

あと3週間でトレーニング・キャンプ。そこで、シャーロット・オブザーバーのリック・ボーネル記者によるボブキャッツ10の疑問。

今オフシーズン最高の仕事
ドラフト8位指名とジェイソン・リチャードソンの交換。ウォリアーズにトレードしたブランダン・ライトの身体能力は魅力だが、リチャードソンはボブキャッツ待望の接戦でのゴー・トゥ・スコアラーになれる。

今オフシーズンにできなかったこと
まだエメカ・オカフォーとの契約延長が成立していない。3月にマイケル・ジョーダンが「できるだけ早く契約を結びたい」と述べていたことを考えると少し驚きだが。10月下旬までに長期契約を結ばなければ、来年の夏には制限付きFAになる。MAXプレイヤーではないかもしれないが、チーム内の最高給には値する。

怪我で失いたくない選手
まず、ショットブロッカーのオカフォー。次はチームにエネルギーとハッスルプレーをもたらすジェラルド・ウォレス。3番目にポイントガードのレイモンド・フェルトン。

今オフで失ったもの
経験とリーダーシップ。ブレヴィン・ナイトとジェイク・ボスクールはゲームと自分の役割を理解していた。デレク・アンダーソンとも再契約しないようなら、チーム内で最も賢く経験豊富な3人がいなくなる。アンダーソンはIQと万能性とリーダーシップでこのチームに適している。

フェルトンは増した責任に耐えられるか
フェルトンがポイントガードの長期的な解答であろうとなかろうと、定着させざるをえない。ナイトをバイアウトしたのもそのためだ。フェルトンの身体能力は素晴らしい。問題はチームメイトをどれだけ良くするか、である。昨シーズン、彼のFG試投数はチーム1で、シュート成功率は38%だった。ポイントガードとして望ましいことではない。

のるかそるかのシーズンに直面しているのは
ショーン・メイはコンディショニングと改善への献身を証明する必要がある。昨シーズン、バーニー・ビッカースタッフHC(当時)は、メイの「自己管理能力」を問題にしていた。メイがきちんとメッセージを受け止め、整った体調でキャンプに現れることをチームは願っている。

プリモズ・ブレゼッチは下り坂か
昨年夏の世界選手権出場がシーズンのプレーに悪影響を及ぼし続けた。チームには必要な選手であり、休養で体調を整え、自信の回復が望まれる。

アダム・モリソンに必要なもの
適当な耳栓。ルーキーシーズンの大部分で人目を気にして自意識過剰なふうだった。モリソンはシューターというよりスコアラーだ。もっとドライブし、シュートセレクションをクリエイトし、大学時代の尊大なまでの勝気さを取り戻す必要がある。

新コーチのサム・ヴィンセント
ディフェンスにフォーカスした賢明なコーチであり、いずれは成功するだろう。しかし、ルーキーは誰でもミスをする。ビッカースタッフの30年の経験は過小評価されてきた。

で、プレイオフは?
可能性は45パーセント。この夏はボストンとオーランドも目立つ動きをした。クリーブランド、シカゴ、デトロイト、トロント、ボストン、ニュージャージーはプレイオフに残るだろう。そうなると、ボブキャッツはディビジョン2位以内に入らなければならない。ボブキャッツにとって、マイアミ、ワシントン、オーランドがいるディビジョンの2位以内は確実だろうか?


う〜ん、ネッツはプレイオフ当確かなぁ?あそこもキッドとカーターの健康しだいでは。
ファンの方には申し訳ないが、ウィザーズ蹴落としてプレイオフぴかぴか(新しい)が私の第一希望。(^m^)

posted by まき at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ボブキャッツ07オフ | 更新情報をチェックする
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