2007年09月11日

パパラッチ気分

「マイケル・ジョーダン追っかけブログ」と名乗ってはいても、Yahoo! でニュース検索をして、シカゴ・トリビューンとシカゴ・サンタイムズのブルズ欄をチェックするくらい。所詮マスコミが報じてくれる記事を拾っているだけなのです。
個人ブログも探したら、もっといろいろ目撃情報があるんだろうなぁ、とは思いつつ、そこまですると公開されていない私生活まで侵すことになる感じで、ファンとしてどうよ?と思うわけで。

ま、そこまでやるの面倒だし。(^^;
何かイベントがあれば、NIKETALKの情報を当てにするくらいですかね。

ところが、つい最近よそ様で知った画像投稿サイト Flickr
私の知らないマイケルがいる〜♪ カナダ遠征のジェフリー(13番)も。

051017.jpg 050805-3.jpg 0903.jpg

8月11日にシカゴでソフトボール?

UP0910-Chicago.jpg 0811-softball.jpg 0811-ferrari.jpg

どんどん進んでいったら、「ハイランドパークのジョーダン邸売り出し中(※ホントか?)」とか「MJの別荘(※ホントか?)」とかあって、だんだんパパラッチしている気分になってきましたが…。
でも、これから楽しませていただこう。


posted by まき at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

TIP-OFF (13)

ドラフトから2ヵ月半、すっかりほとぼりが冷めたせいかビミョーに飽きてきた…。
あんまり面白くなってこないし。(←人のせい)
まーまー、数年後に「訳しといて良かった」と思うかもしんない。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 7


5月5日までに、いくつかのことがクリアになった。オラジュワンとバークリーはプロ入りし、ユーイングは大学に残る。他に有名選手のアーリーエントリーはなく、唯一、ウェイマン・ティズデイルだけがジョーダンと同じく決断に時間をかけていたが、結局もう1シーズン大学でプレーを続けることに決めた。
ドラフト指名順の予測は、わざわざ何度もポートランドへ電話をかけた記者たちによって、かなり明らかになっている。ブレイザーズのスチュー・インマンGMが、ビッグマンが必要なチーム事情−−1位指名ならオラジュワン、2位指名ならブーイを選ぶ−−を包み隠さず話したからだ。ジョーダンはコインフリップの結果次第でヒューストンかシカゴへ行く、ということは、今や誰もが知るところとなった。
アーリーエントリーの決定は5日の深夜までに郵送しなければいけない。当日さらにもう1度コーチと話し合ったジョーダンが、ついに記者会見場に現れたとき、チャペルヒル残留の希望はほぼ消えたが、それでもなお楽観的な学生たちは、自室からぞろぞろ出て来て、ニュースを待ちながら廊下をさまよっていた。いずれにせよ、スミスは奇妙な言葉で必然の内容を宣言した:「今回、私たちはマイケルが大学資格を廃棄通告すると発表します」
ジョーダンが言うには、この決心は時のはずみだった。「実を言うと、決めたのはほんの1時間半前です」と、ジョーダンは打ち明けた。「それまでは本当に自分でもどうするか分からず、フィフティ・フィフティでした。今のまま楽しい学生生活を続けることと、より良い将来を天秤にかけて。今朝もコーチに相談しました。コーチや両親に助けられ、ぎりぎりで決断できたと思います。それまでは本当に結論が分かりませんでした。さまざまなことを考えなければなりませんでしたから」

「お金のことは大きかったです」と、ジョーダンは認めた。「お金は私たちひとりひとりの生活に大きな部分を占めています。誰が知るでしょう?来年、僕はこの世にいないかもしれず、たった今、チャンスは目の前にあるのです。僕にとって、あらゆることが明るく輝き、有意義な未来が待っていると感じました。だから今、自分が若いうちにスタートした方がいいと決めたのです」
いつものとおり傍らに同席しているジョーダンの両親は、自分たちの意見を変えていなかった。ジェームズ・ジョーダンは完全に満足しており、デロリスはがっかりしていた。彼女は最初からずっと、息子に学位を取得してほしいと願っていたのだ。土壇場になって、ディーン・スミスは興味深い選択肢、妥協案を提示した。ジョーダンはドラフト指名を受け、契約にサインし、1984−85シーズンにはNBAに加わらず、大学で授業に出席するという考えだ。それは成功しなかったし、成功しないことも分かっていた。その代わりコーチは、デロリスのために、マイケルから学位を修了するという約束を取りつけた−−ジョーダンはその誓いを守るだろう。
記者会見で、ジェームズ・ジョーダンはいつものように軽妙に話し始めた。

私が不満に思うことは何もありません。まず第一に、私がプレーするわけではありませんからね。第二に、私自身は息子の在学中からかなり良い仕事に就いていたと付け加えることができます。マイケル本人も家庭の事情を考慮する必要はないことを知っていました。私たちはちゃんとやっていますから。息子が自活するようになれば、自然の成り行きとして、私の手取りは増えるでしょう。もう、2ドル、3ドルと小遣いをやる必要はなくなるわけですから。マイケルは21歳になりました。男が21になれば、自分のことは自分で決められるものです。

デロリスは沈んでいた。若い頃、進学先のタスキギー・インスティチュートでホームシックにかかり、教育を受けるチャンスを自ら手放している彼女は、ずっとそれを後悔してきた。タスキギーからウィルミントンに帰郷した自分を母親が次の列車で追い返してくれていたらと思うのだった。
彼女は夫や息子と違う角度からバスケットボールを見ていた。つまり、バスケットボールは目的のための手段にすぎなかったのだ。そして、その目的とは、大学教育に他ならない。素晴らしい大学のアカデミックな空気を吸って、マイケルはキャンパスで4年間を過ごすはずだった。デロリスは、クラスメイトと一緒に卒業を迎え、卒業証書を受け取る息子の写真を撮りたいと願っていた。「息子とロスリンがカロライナに入学したことは、私の夢の1つでした」と、母親は説明した。「私は当時、『2人とも学位を取得してほしいの。私は、卒業式に出席して、通路を歩いてくるあなたたち2人の晴れ姿が見たいわ』と伝えました。そう、それは私の考えでした。でも、それは私の夢だったのです」
それは母親のファンタジーであり、たぶん現実的ではなかった。大学に残る道を選んだフィル・フォードは、ごくまれな例外である。
「年収50万ドルが約束され、8ヵ月後には学位を取得するために帰校する機会も与えられるとしたら・・・それでも大学に残って勉強を続けたいと言う学生もいないことはないでしょうが・・・」と、スミスコーチは言った。「ほとんどの学生は去るでしょう」
ジョーダンは去った。パーキンスも去った。ディーン・スミスはポケットを裏返し、自ら進んで自分の宝をNBAの悪徳資本家の手に渡したのだった。

posted by まき at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

4日のMJ

0904-1.jpg


ここんとこ空振りばかりなので週一くらいしかチェックしていなかったGetty Imagesにて。ガブリエル・ユニオン&リュダクリス主催のポスト・レイバーデー(9月の第一月曜日)パーティー@アトランタだそーです。
なんか、とろんとして眠そう。

ガブリエル・ユニオンといえば、ダービーの時おしゃべりしていた女性かな。

posted by まき at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | 更新情報をチェックする

2007年09月08日

HALL OF FAME 2007

07HOF.jpg

今年の殿堂入りメンバーは、フィル・ジャクソン(NBA優勝10回)、テキサス・ウェスタン大学1966年優勝チーム、故メンディー・ルドルフ(NBA審判)、ロイ・ウィリアムス(ノースカロライナ大学コーチ)、ミルコ・ノヴォセル(ユーゴスラビア五輪代表コーチ)、ペドロ・フェランディス(レアル・マドリードを率いてスペイン・リーグで12度優勝)、ヴァン・チャンセラー(WNBA4連覇)
※フィルの優勝回数は現役時代を入れると10回でしたね。m(__)m

☆カート・ガウディ・メディア・アワード:マルコム・モラン、アル・マッコイ
☆マニー・ジャクソン(Basketball's Human Spirit)アワード:ディケンベ・ムトンボ

Phil-induction.jpg

フィル・ジャクソンのエスコートはビル・ブラッドリー。
スピーチでは、恩師である故レッド・ホルツマン氏と、テックス・ウィンター、ジョン・バック両アシスタントコーチに感謝。
さらに、「今ここにいるのはジョーダンのおかげかどうか」と尋ねられ、「Yes, it is.」
"It was the result, of course, of the magnificent play of Michael Jordan, who had the insight to incorporate his teammates, those lesser angels, into his realm,"

その他、ゲームの進化のためにコートのサイズとバスケットの高さの変更を考慮してほしい、とも述べたそうです。

Roy.jpg

ロイ・ウィリアムスのエスコートはディーン・スミスとラリー・ブラウン。
"my family at home, and my family on the court."に謝辞。

フィルがちっとも殿堂入りしないと思ったら、コーチは【引退から満5年経過 or コーチ歴25年】が選考基準なんですね。今年でその基準を満たしたそうです。
BJ・アームストロング、ビル・カートライト、クレイグ・ホッジス、スティーブ・カー、アシスタントコーチのジミー・ロジャーズ、フランク・ハンブレン、ジム・クレモンズ、CBA時代のアシスタント チャーリー・ローゼン、ニックスのチームメイト ウォルト・フレージャー、アール・モンローも出席。コービーからは祝福のビデオメッセージ。
ロイ・ウィリアムスさんはカンザス時代の教え子のニック・コリソン、ポール・ピアース、UNCトリオ(マーヴィン・ウィリアムス、レイモンド・フェルトン、ショーン・メイ)と歓談。

0907NickCollison.jpg 0907-Pierce.jpg 0907-UNC.jpg

Phil-HOF.jpg family.jpg<家族&関係者こんな感じに

◆ESPNでフィルの動画を見たら、青いシャツのマイケルがチラッとコメントしてますね。あ、そういえばスポーツセンター、チェックしなかった…。最近はもう、スポセンなんて意識にないからなぁ。
posted by まき at 20:03| Comment(4) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2007年09月07日

イリノイ大カナダ遠征総括

ブルース・ウェバーHCのコメントから、ジェフリーの部分だけ。(^^;

ジェフリー・ジョーダンの運動能力はなかなかだ。スモール・ラインナップを組む必要があったときに、何度かビッグプレーをしてくれた。かなりのクイックネスがあり、素晴らしいプルアップ・ジャンパーはチーム1だと思う。スリーポイントはまだうまくないが、これから上達するだろう。今後はもっとポイントガードでプレーする必要があるね。

あちらでの注目はすごかった。彼個人の記者会見まであったのだから。ジェフリーの代わりにマイケルがいるのかと思うくらいだったよ。本当に驚いた。

カナダのファンは、どうして彼が先発していないんだ?くらいの反応でね。今後、シーズンが始まるときも、かなりの注目が集まるだろうが、それほど大きな問題になるとは思わない。本人にキャンパスでの様子を尋ねたら、誰かに追いかけ回されたり、しつこくつきまとわれたことはないと言っていた。カナダでは違ったが。私たちが夕食に行こうと歩いているだけで、人々が立ち止まり、「ジェフリーがいる!」と騒がれたよ。


マーカスの動向は意外と報じられないけど、やっぱり長男は大変ですね〜。
レブロンみたいに子供の頃から実力で目立っているならまだしも、いわゆる「親の七光り」で騒がれるのは辛いところも多々あるだろうに、きちんと良い青年に育って。


posted by まき at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ファミリー | 更新情報をチェックする

2007年09月06日

TIP-OFF (12)

このアマレの無防備なコメント(Go New York Go!)、『敵方のまったく無邪気なセリフにも個人攻撃をされたと曲解する激烈な闘士(by スキップ・ベイリス)』ボブキャッツ某オーナーの耳に入っているでしょーか。残念ながら、オーナーにはどうすることもできませんが。(笑)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 6


この記者会見で明らかになったことは特にない。ドラフトに関する記者たちの知識が、スミスコーチよりずっと少ないということを除いて。当時のスミスは、ほぼ1ヶ月先にあるヒューストンとポートランドのコインフリップの結果次第で、ドラフト1位から5〜6位指名までをだいたいリストアップすることができた。何のニュースもない記者会見の質疑は、メディアにほとんどコネがないことを証明していた。数人の記者はジョーダンがシクサーズに5位指名されると予想しており、元ターヒールズのビリー・カニングハムがコーチをしているというロマンチックな連想から、フィラデルフィアをどう思うか質問した。「シクサーズは好きじゃないんだ」と、ジョーダンは打ち明けた。「レイカーズが好きだ」
他の記者は、アキーム・オラジュワンのアーリー・エントリー(事情通にはほぼ既成事実だった)が選択に影響するかどうか尋ねた。「アキームは本人にとってベストの選択をするだろう」と、ジョーダンは答えた。「僕は自分の決断が他人の決定に左右されるとは思わない。もし(ユーイングが)エントリーするつもりでも気にしない。僕は自分のことだけを考えて答えるつもりです」
すでに、ジョーダンはスミスから、もしオラジュワンがプロ入りを決めても自分が4位以下で指名されることはないと教えられていた。同じ3年生のパトリック・ユーイングは、最終的にジョージタウン大学残留を選択することになる。
地元新聞は慎重に進展を伝えた。「ジョーダンはまだUNC残留を確信していない」:ウィンストン・セーラム・ジャーナル。あるいは、ザ・ジャーナルのレノックス・ローリングのように、もっと鋭敏な記者たちは、この会見のあとで起こったことに注目した。ジョーダンがゴルフに行く一方で、スミスコーチは高名なエージェントのドナルド・デルと車で出かけた。これは明らかなシグナルである。スミスはすでに、ビジネス代理人の展望が永久に変わる計画を立てていた。当時、トップ・エージェントの間では分裂騒ぎが起こっていて、デル、レイ・ベントン、デイビッド・フォークは1つの方向へ向かい、リー・フェントレス、フランク・クレイグヒルは別の方向へ袂を分かった。その成り行きで、ジョーダンはデル&フォークと契約し、パーキンスはフェントレス&クレイグヒルに仕事を任せた。「理想的な方法だったと思う。双方に競わせ、誰が最高の仕事をするか確かめようと考えたわけだ」と、スミスは言う。

まもなく、ダラス・マーベリックスのディック・モッタとボビー・ワイスが、パーキンスと面談するためにキャンパスを訪れた。「よろしくと挨拶して、4位指名の候補が僕とメル・ターピンの2人だと教えてもらっただけだけどね」と、パーキンスは回想する。4年生のサムが去ることは周知の事実だった。ジョーダンの引き留めを期待する地元は、最終的に母親が影響を与えてくれることを期待していた。しかし、最後の記者会見が5月5日土曜日の午前11時に設定されたとき、希望はほぼ消えたのだ。当日の朝刊で、ローリー・ニュース・アンド・オブザーバーは、「ジョーダンはNBAを選ぶだろう」と、正確に予告した。それでも、確実な証拠は何もなく、ほとんど状況証拠による推測だったが。金曜日の午後、ジョーダンは再びスミスと話し合い、頭をクリアにするために少しゴルフをした。その夜、スミスから関係者に、ジョーダンはまだ決心がついていないと伝えられ、本人は両親や兄のラリーと会っていた。それから彼は、普段より遅く、ピーターソンや数人の友人と一緒に外出した。ジョーダンは決定的に人生を変える選択の難しさを身に沁みて感じていた。

「前夜は一緒にレッド・ロブスターへ行った」と、ピーターソンは言う。「帰り道でもまだ少しその話題が続いたね。彼が話したがったものだから。私は、『お父さんやお母さんは何て?』と聞いたよ。それから一緒に寮の部屋へ戻った。静かな夜だったな。2人ともかなり早くベッドに入ってね。翌朝、彼は記者会見のために起きて、服を着替えながら、『なあ、俺はまだ自分がどうするか分からないんだ』と打ち明けてくれた」
「決心した方がいいぞ。人を待たせているんだから」と、ピーターソンはジョーダンに言った。「君はNBAでプレーしたいんだろう?」
「わからない」と、ジョーダンは答えた。「お前はもっとプレータイムがほしいだろう?バズ」
「もっとプレーはしたいよ。でも、お前と一緒にプレーしたいんだ」
まだ決めかねていると言い残してジョーダンがドアから出て行くとき、ピーターソンはベッドに横たわったままだったが、「彼がいなくなると直感した」
「でも、彼にとってそれは簡単なことではなかったはずだ。ノースカロライナ大学での生活は本当に快適だったから。今、私が自分の(コースタル・カロライナ大学の)選手たちに、『いつかファミリーの一員であることを懐かしく思うようになる』と言っているように、マイケルもきっと感じただろう。ケニー・スミスが降りてきて夜中まで話し込んだことや、ハーディーズのシナモン・レーズン・ビスケットや、私が語るノースカロライナの山々の話を恋しく思うだろうと」
チームメイトの多くは、ジョーダンは去ることができないだろう、大学に残るだろうと最後の最後まで信じていた。
「行ってしまうとは思っていなかった」と、ケニー・スミスは言う。「彼は大学を愛していたし、学生でいることを気に入っていた。そういうことの何もかもをとても大事に思っていたよ。私は記者会見にも行かなかった。どうして行く必要がある?結局、何も宣言しないだろうと考えていたんだ。彼はまだ授業に出席していて、期末試験や単位のことを心配していた。もし自分がNBA入りを考えていたら、寮に住むつもりもなかったし、テストのことなんか気にしなかっただろう」
posted by まき at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

十年一昔

【J SPORTS HOOP! NBA GREATEST GAME】
☆90/91 ファイナル第3戦 レイカーズ vs. ブルズ
9月14日(金) J sports PLUS 20:00〜22:00
9月15日(土) J sports PLUS 11:00〜13:00
9月18日(火) J sports ESPN 25:00〜27:00

☆92/93 カンファレンス ファイナル第4戦 ブルズ vs. ニックス
9月28日(金) J sports PLUS 23:05〜25:05
9月29日(土) J sports PLUS 17:00〜19:00
9月30日(火) J sports ESPN 10:00〜12:00

93年のカンファレンスファイナルは第5戦の方が名勝負だと思いますが…。
今までの【GREATEST GAME】はほとんどがシリーズ最終戦だったので、第3戦とか第4戦を放送してくれるのは嬉しいです。
ま、ビデオ持ってるんだけどさ。(^^)
私がジャバーやドクターJを「過去の人」としてしか知らないように、今の若いNBAファンにとってMJは「GREATEST GAME」で見るだけの人、なんでしょうねぇ。

nba_dream_teams.jpgそうそう、久々に強かったチームUSA(^^; ESPNはさっそく元祖ドリームチームと比較しているみたいです。
Dream Team still the best ever ... or is it?

詳しく読む気もしませんが、ミーハーなESPNが比べるくらいだから、「やっぱ絶対元祖よね♪」という結論にはなっていないと確信します。
きっと、数年前ならムキになっていたかも。(笑)
こういう心境の変化(別にいいよ、という)は、やっぱり十年一昔なんだなぁ、と思う今日この頃。

でも伝説の人だろうと追いかけ回すのはやめないヨン。
posted by まき at 21:19| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2007年09月04日

ジェフリーのTATOO

0421Classic-Jeff.jpgもう1つカナダの記事を読んでいたら
ジェフリーのタトゥーについての記述が。
上腕ニ頭筋の内側部分に
"Relentless" と "Confidence"
だそうな。

<4月21日にはまだなさそうだし…
大学生になってとうとう入れたのね。
どこらへんかな?

あんまりイタズラ書きみたいにしないでね。(^^;


一応、記事は〔続き〕で。







続きを読む
posted by まき at 21:12| Comment(0) | TrackBack(1) | ファミリー | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

イリノイ大学初黒星

プレシーズンのエキジビションでカナダ遠征中のイリノイ大学。
金曜日:カナダチャンピオンのカールトン大学に74対72(OT)で勝利。
土曜日:オタワ大学に73対56で勝利。

この2試合では3年生と4年生の活躍しか報じられていなかったのですが(シカゴ・トリビューンで)、モントリオールに移動した日曜日のコンコルディア戦は、カナディアン・プレスの記事があり。カナダの無名大学がDTの有名校に勝ったからかな。(^^;
以下ざっと。

Canadian Press
チームは敗れても、マイケル・ジョーダンの息子は注目の的だった。
日曜日の試合、1年生ガードのジェフ・ジョーダンは長めにプレーしたが、イリノイ大学は82対86でコンコルディア大学に番狂わせを喫した。ファイティングアレーネイは月曜日のマックギル戦で4日間4試合のカナダ遠征を終える。

コンコルディア大学の小さな体育館に詰め込まれた600人の観客は、ほとんどがジョーダン目当てだったが、ドウェイン(28得点)&ダミアン(24得点)・バックリー兄弟の活躍を目撃した。

ジョーダンは15分のプレーで7得点&3リバウンド&1スティール。
「小さな体育館は高校時代を思い出して楽しいです」
学業的なメリットを考慮し、何校かの奨学金を断ってウォークオンでイリノイ大学に入学したジョーダン。今季の先発に名を連ねることはないだろうが、堅実な選手に成長できるのではないか、とブルース・ウェバーHCは言う。

バスケットボール選手として、ジョーダンの名字は重すぎるのではないかという恐れも感じるが、10代の若者は冷静に受け止めているように見える。
金曜日のデビュー戦では報道陣にもみくちゃにされたが、何とか対応した。次の試合は騒ぎも少し収まった。「シーズン序盤は多くの注目を浴びるだろうが、時間とともに落ち着くと思う。本人は非常に冷静だし、まったく注目は求めていない」と、ウェバーは言い添えた。

そういうことには高校時代で慣れた、とジョーダンは言う。「だから、大学レベルで慣れるのは前より簡単です」
「とにかく、自分は自分がやるべきことをするだけなので。周囲の期待に付き合っていたら、良いプレーはできません。自分がチームのためにできることをしようと心がけるだけです」

第4Q途中、コンコルディアが78対60とリードした場面で、それまで2得点だったジョーダンが最後の反撃のために投入された。
「自分ではけっこう良いプレーができたと思います。これからもディフェンスとシュートに取り組み、ハードなプレーを続けなければなりません」

父親が手を貸してくれるのは、自分からアドバイスを求めたときだけだと彼は言う。そうでなければ、「彼はほとんど干渉してきません」
マイケル・ジョーダンは、息子の高校の試合の多くを観戦したが、カナダへは来なかった。

終了ブザーと同時に喜びに沸くコンコルディアのメンバーとファン。
「ディビジョンTのチームに勝つのは素晴らしいことです」と言うドウェイン・バックリーは、終盤のタイトな場面でジョーダンがアレーネイを落ち着かせているようだったと述べた。そして、マイケル・ジョーダンに憧れながら育った自分にとって、「史上最高の選手の息子と対戦して、良いプレーができたなんて、まるで夢のようです」


posted by まき at 20:49| Comment(2) | TrackBack(0) | ファミリー | 更新情報をチェックする

2007年09月02日

TIP-OFF (11)

英語の意味が分かっても、日本語にするのはまた別問題で…むぅぅ。
でも、日本語にしておかないと読み返したいときに困る。というか読み返す気になれない。
というか、きっともう一度英語を読み返す気力はない。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 5


プロ転向についてのジョーダンの矛盾した感情を理解するには、彼の家族に対する忠誠心の深さを理解しなければならない。マイケルは、子供たちに惜しみない愛情を注ぐジョーダン家の5人の子供の三男として生まれた。一家の子供たちは皆、それぞれの才能に恵まれていたが、やがて、マイケルは選ばれた者であることが明らかになる。他に6フィート以上の家族がいない中で、彼の体格だけが急成長したのだった。5歳の時の不運な事故で、アスリートとしてのキャリアが危うくなったこともある:家でまき割りを手伝おうとして、斧で足の親指を切り落としそうになったのだ。その時、彼は裸足だった。近所の人が灯油をふりかけ、奇跡的に傷は治った。伝説的なキャリアはこうして救われた。足が速かったため、“ラビット”というあだ名だったレイニー高校の2学年と3学年の間に突然4インチ近くも身長が伸び、高校のチームメイトだった兄のラリーとほとんど1フィートも差がついた。背を伸ばしたかったら靴の中に塩をまいておけばといい、という母親の教えは、マイケルだけに効き、ラリーには効かなかったようで、ラリーの身長は5フィート7インチで止まってしまった。マイケルは背番号に23を選ぶことで兄に敬意を払った。それは、45番を着けているラリーの半分でも上達したいという意味をこめた番号だった。

マイケルの両親は、ターヒールズの応援を1試合も欠かしたことがない。必要ならば、息子の驚くべきプレーを楽しむために、ハワイへもヨーロッパへも旅行した。ノースカロライナ大学がインディアナ大学に敗れ、NCAAトーナメントから敗退したあとも、カレッジのプレイヤー・オブ・ジ・イヤーを受賞する息子を見守るために、シアトルまで大陸を横断した。マイケル本人も両親が近くでサポートしてくれることを大いに喜んでいた。もし、ノースカロライナ大学を退学し、どこか遠くの見知らぬ町に引っ越したら、両親はすべての試合に訪れることができなくなるだろう。それはきっと地理的に不可能だ。ジョーダンはまた、ディーン・スミスにも少なからぬ忠誠心を抱いていた。そして、たぶん最も重要なことは、ジョーダンが母親に地理学の学士号を取得すると約束していたことだった。たとえ実用的な理由は何もなかったとしても。そこで、彼は決断を延期し、学校の皆には残るつもりだと伝えた−−差し当たり。それは彼らの聞きたいことでもあったし、ジョーダンは協調的だったのだ。とにかく、彼の時間のほとんどはバスケットボールに費やされることになる。チャペル・ヒルではまだ授業が続いていたが、ジョーダンはインディアナ州ブルーミントンのオリンピック代表選考会に招集された。彼が選ばれることは誰にでも予測できたが、2度のカットを切り抜けてキャンパスに戻ったジョーダンは、4月26日にカーマイケル・ジムで地元メディアのための記者会見を開いた。授業はちょうど終わったところだった。そして、もちろん、集まった記者たちが知りたがった唯一のことは、彼がノースカロライナ大学にとどまるかどうかだった。発表の最終期限までもう2週間もなかったのだが−−書類には5月5日の消印が必要だった−−それでもまだ、決定的な言葉は何もなかった。チャペル・ヒルにとっては明らかに重大事であり、チームの今後は彼の決断にかかっていたのだが。

ぎこちない記者会見だった。スミスはまず、何も重要なことは発表されないとストレートに言明し、進行を始めた。「本人は前々から残ると答えていますよね。私はいろいろ状況を調査しているところです。最後に決めるのは本人とご両親だが、それはまだ時期尚早。5月6日(午前零時のデッドラインが過ぎて)になれば、皆さんも結果を知るだろうし、そんなに先のことではないはずですよ」
開襟のポロシャツを着たジョーダンは、4本のマイクロフォンの前に座り、スミスの言葉を繰り返した。

僕はここに残るつもりで、来シーズンを楽しみにしているところです。コーチはいつも選手たちに気を配り、本人にとって最善のことを望んでくれますが。今も、僕の人生にとって何がより良い道か、あらゆる状況を調査してくれています…両親は僕より人生経験が豊富ですから、僕も両親のアドバイスを考慮に入れるでしょう。母は僕にとっての教師ですが、彼女の考えは分かっているつもりです。でも、父はおどけ者なので、何を考えているのか分かりません。本当に。僕は両親にどんなプレッシャーもかけたくありません。ただ、今週末には両親や家族と話し合いたいと思っています。


posted by まき at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2007年09月01日

9月の予定

イベント7−8日 9th Annual Trent Tucker Celebrity Golf & Poker Tournament

Celebrity Dinner and Poker Tournament
Date: Friday, September 7, 2007
Location: Canterbury Park
Shakopee, MN

Celebrity Golf Tournament
Date: Saturday, September 8, 2007
Location: Rush Creek Golf Club
Maple Grove, MN

trenttucker.org フォトギャラリーだけでなく、プロモーションビデオとして昨年の動画も見られるようになっていました。

JordanEwing.jpg JordanPippen-5.jpg


モータースポーツAMAレース
・August 31-Sept. 2 Road Atlanta, Braselton, GA
・Sept. 15-16 Mazda Raceway Laguna Seca, Monterey, CA

こちらはすっかり忘れがち。(^^;
そういえば6月のインタビューもバイクのことばかりなので放置したままだ…。

ぴかぴか(新しい)8日 フィル・ジャクソン、ロイ・ウィリアムズ殿堂入りセレモニー(※7日だった) 
         Naismith Memorial Basketball Hall of Fame
posted by まき at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。