2007年09月06日

TIP-OFF (12)

このアマレの無防備なコメント(Go New York Go!)、『敵方のまったく無邪気なセリフにも個人攻撃をされたと曲解する激烈な闘士(by スキップ・ベイリス)』ボブキャッツ某オーナーの耳に入っているでしょーか。残念ながら、オーナーにはどうすることもできませんが。(笑)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 6


この記者会見で明らかになったことは特にない。ドラフトに関する記者たちの知識が、スミスコーチよりずっと少ないということを除いて。当時のスミスは、ほぼ1ヶ月先にあるヒューストンとポートランドのコインフリップの結果次第で、ドラフト1位から5〜6位指名までをだいたいリストアップすることができた。何のニュースもない記者会見の質疑は、メディアにほとんどコネがないことを証明していた。数人の記者はジョーダンがシクサーズに5位指名されると予想しており、元ターヒールズのビリー・カニングハムがコーチをしているというロマンチックな連想から、フィラデルフィアをどう思うか質問した。「シクサーズは好きじゃないんだ」と、ジョーダンは打ち明けた。「レイカーズが好きだ」
他の記者は、アキーム・オラジュワンのアーリー・エントリー(事情通にはほぼ既成事実だった)が選択に影響するかどうか尋ねた。「アキームは本人にとってベストの選択をするだろう」と、ジョーダンは答えた。「僕は自分の決断が他人の決定に左右されるとは思わない。もし(ユーイングが)エントリーするつもりでも気にしない。僕は自分のことだけを考えて答えるつもりです」
すでに、ジョーダンはスミスから、もしオラジュワンがプロ入りを決めても自分が4位以下で指名されることはないと教えられていた。同じ3年生のパトリック・ユーイングは、最終的にジョージタウン大学残留を選択することになる。
地元新聞は慎重に進展を伝えた。「ジョーダンはまだUNC残留を確信していない」:ウィンストン・セーラム・ジャーナル。あるいは、ザ・ジャーナルのレノックス・ローリングのように、もっと鋭敏な記者たちは、この会見のあとで起こったことに注目した。ジョーダンがゴルフに行く一方で、スミスコーチは高名なエージェントのドナルド・デルと車で出かけた。これは明らかなシグナルである。スミスはすでに、ビジネス代理人の展望が永久に変わる計画を立てていた。当時、トップ・エージェントの間では分裂騒ぎが起こっていて、デル、レイ・ベントン、デイビッド・フォークは1つの方向へ向かい、リー・フェントレス、フランク・クレイグヒルは別の方向へ袂を分かった。その成り行きで、ジョーダンはデル&フォークと契約し、パーキンスはフェントレス&クレイグヒルに仕事を任せた。「理想的な方法だったと思う。双方に競わせ、誰が最高の仕事をするか確かめようと考えたわけだ」と、スミスは言う。

まもなく、ダラス・マーベリックスのディック・モッタとボビー・ワイスが、パーキンスと面談するためにキャンパスを訪れた。「よろしくと挨拶して、4位指名の候補が僕とメル・ターピンの2人だと教えてもらっただけだけどね」と、パーキンスは回想する。4年生のサムが去ることは周知の事実だった。ジョーダンの引き留めを期待する地元は、最終的に母親が影響を与えてくれることを期待していた。しかし、最後の記者会見が5月5日土曜日の午前11時に設定されたとき、希望はほぼ消えたのだ。当日の朝刊で、ローリー・ニュース・アンド・オブザーバーは、「ジョーダンはNBAを選ぶだろう」と、正確に予告した。それでも、確実な証拠は何もなく、ほとんど状況証拠による推測だったが。金曜日の午後、ジョーダンは再びスミスと話し合い、頭をクリアにするために少しゴルフをした。その夜、スミスから関係者に、ジョーダンはまだ決心がついていないと伝えられ、本人は両親や兄のラリーと会っていた。それから彼は、普段より遅く、ピーターソンや数人の友人と一緒に外出した。ジョーダンは決定的に人生を変える選択の難しさを身に沁みて感じていた。

「前夜は一緒にレッド・ロブスターへ行った」と、ピーターソンは言う。「帰り道でもまだ少しその話題が続いたね。彼が話したがったものだから。私は、『お父さんやお母さんは何て?』と聞いたよ。それから一緒に寮の部屋へ戻った。静かな夜だったな。2人ともかなり早くベッドに入ってね。翌朝、彼は記者会見のために起きて、服を着替えながら、『なあ、俺はまだ自分がどうするか分からないんだ』と打ち明けてくれた」
「決心した方がいいぞ。人を待たせているんだから」と、ピーターソンはジョーダンに言った。「君はNBAでプレーしたいんだろう?」
「わからない」と、ジョーダンは答えた。「お前はもっとプレータイムがほしいだろう?バズ」
「もっとプレーはしたいよ。でも、お前と一緒にプレーしたいんだ」
まだ決めかねていると言い残してジョーダンがドアから出て行くとき、ピーターソンはベッドに横たわったままだったが、「彼がいなくなると直感した」
「でも、彼にとってそれは簡単なことではなかったはずだ。ノースカロライナ大学での生活は本当に快適だったから。今、私が自分の(コースタル・カロライナ大学の)選手たちに、『いつかファミリーの一員であることを懐かしく思うようになる』と言っているように、マイケルもきっと感じただろう。ケニー・スミスが降りてきて夜中まで話し込んだことや、ハーディーズのシナモン・レーズン・ビスケットや、私が語るノースカロライナの山々の話を恋しく思うだろうと」
チームメイトの多くは、ジョーダンは去ることができないだろう、大学に残るだろうと最後の最後まで信じていた。
「行ってしまうとは思っていなかった」と、ケニー・スミスは言う。「彼は大学を愛していたし、学生でいることを気に入っていた。そういうことの何もかもをとても大事に思っていたよ。私は記者会見にも行かなかった。どうして行く必要がある?結局、何も宣言しないだろうと考えていたんだ。彼はまだ授業に出席していて、期末試験や単位のことを心配していた。もし自分がNBA入りを考えていたら、寮に住むつもりもなかったし、テストのことなんか気にしなかっただろう」


posted by まき at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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