2007年09月10日

TIP-OFF (13)

ドラフトから2ヵ月半、すっかりほとぼりが冷めたせいかビミョーに飽きてきた…。
あんまり面白くなってこないし。(←人のせい)
まーまー、数年後に「訳しといて良かった」と思うかもしんない。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第2章:Decision Time - 7


5月5日までに、いくつかのことがクリアになった。オラジュワンとバークリーはプロ入りし、ユーイングは大学に残る。他に有名選手のアーリーエントリーはなく、唯一、ウェイマン・ティズデイルだけがジョーダンと同じく決断に時間をかけていたが、結局もう1シーズン大学でプレーを続けることに決めた。
ドラフト指名順の予測は、わざわざ何度もポートランドへ電話をかけた記者たちによって、かなり明らかになっている。ブレイザーズのスチュー・インマンGMが、ビッグマンが必要なチーム事情−−1位指名ならオラジュワン、2位指名ならブーイを選ぶ−−を包み隠さず話したからだ。ジョーダンはコインフリップの結果次第でヒューストンかシカゴへ行く、ということは、今や誰もが知るところとなった。
アーリーエントリーの決定は5日の深夜までに郵送しなければいけない。当日さらにもう1度コーチと話し合ったジョーダンが、ついに記者会見場に現れたとき、チャペルヒル残留の希望はほぼ消えたが、それでもなお楽観的な学生たちは、自室からぞろぞろ出て来て、ニュースを待ちながら廊下をさまよっていた。いずれにせよ、スミスは奇妙な言葉で必然の内容を宣言した:「今回、私たちはマイケルが大学資格を廃棄通告すると発表します」
ジョーダンが言うには、この決心は時のはずみだった。「実を言うと、決めたのはほんの1時間半前です」と、ジョーダンは打ち明けた。「それまでは本当に自分でもどうするか分からず、フィフティ・フィフティでした。今のまま楽しい学生生活を続けることと、より良い将来を天秤にかけて。今朝もコーチに相談しました。コーチや両親に助けられ、ぎりぎりで決断できたと思います。それまでは本当に結論が分かりませんでした。さまざまなことを考えなければなりませんでしたから」

「お金のことは大きかったです」と、ジョーダンは認めた。「お金は私たちひとりひとりの生活に大きな部分を占めています。誰が知るでしょう?来年、僕はこの世にいないかもしれず、たった今、チャンスは目の前にあるのです。僕にとって、あらゆることが明るく輝き、有意義な未来が待っていると感じました。だから今、自分が若いうちにスタートした方がいいと決めたのです」
いつものとおり傍らに同席しているジョーダンの両親は、自分たちの意見を変えていなかった。ジェームズ・ジョーダンは完全に満足しており、デロリスはがっかりしていた。彼女は最初からずっと、息子に学位を取得してほしいと願っていたのだ。土壇場になって、ディーン・スミスは興味深い選択肢、妥協案を提示した。ジョーダンはドラフト指名を受け、契約にサインし、1984−85シーズンにはNBAに加わらず、大学で授業に出席するという考えだ。それは成功しなかったし、成功しないことも分かっていた。その代わりコーチは、デロリスのために、マイケルから学位を修了するという約束を取りつけた−−ジョーダンはその誓いを守るだろう。
記者会見で、ジェームズ・ジョーダンはいつものように軽妙に話し始めた。

私が不満に思うことは何もありません。まず第一に、私がプレーするわけではありませんからね。第二に、私自身は息子の在学中からかなり良い仕事に就いていたと付け加えることができます。マイケル本人も家庭の事情を考慮する必要はないことを知っていました。私たちはちゃんとやっていますから。息子が自活するようになれば、自然の成り行きとして、私の手取りは増えるでしょう。もう、2ドル、3ドルと小遣いをやる必要はなくなるわけですから。マイケルは21歳になりました。男が21になれば、自分のことは自分で決められるものです。

デロリスは沈んでいた。若い頃、進学先のタスキギー・インスティチュートでホームシックにかかり、教育を受けるチャンスを自ら手放している彼女は、ずっとそれを後悔してきた。タスキギーからウィルミントンに帰郷した自分を母親が次の列車で追い返してくれていたらと思うのだった。
彼女は夫や息子と違う角度からバスケットボールを見ていた。つまり、バスケットボールは目的のための手段にすぎなかったのだ。そして、その目的とは、大学教育に他ならない。素晴らしい大学のアカデミックな空気を吸って、マイケルはキャンパスで4年間を過ごすはずだった。デロリスは、クラスメイトと一緒に卒業を迎え、卒業証書を受け取る息子の写真を撮りたいと願っていた。「息子とロスリンがカロライナに入学したことは、私の夢の1つでした」と、母親は説明した。「私は当時、『2人とも学位を取得してほしいの。私は、卒業式に出席して、通路を歩いてくるあなたたち2人の晴れ姿が見たいわ』と伝えました。そう、それは私の考えでした。でも、それは私の夢だったのです」
それは母親のファンタジーであり、たぶん現実的ではなかった。大学に残る道を選んだフィル・フォードは、ごくまれな例外である。
「年収50万ドルが約束され、8ヵ月後には学位を取得するために帰校する機会も与えられるとしたら・・・それでも大学に残って勉強を続けたいと言う学生もいないことはないでしょうが・・・」と、スミスコーチは言った。「ほとんどの学生は去るでしょう」
ジョーダンは去った。パーキンスも去った。ディーン・スミスはポケットを裏返し、自ら進んで自分の宝をNBAの悪徳資本家の手に渡したのだった。



posted by まき at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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