2007年11月21日

TIP-OFF (31)

シーズンが始まるとやっぱり読むヒマがありません。そして、そろそろ親の年賀状も手伝ってあげないとならないし。(^^;
あ、そうだ、イリノイ大学はデュークに66対79で負けました…。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第10章:Liking Mike - 2


ジェリー・ウエストがどれだけあっさり自分をこけにしたか、柔らかなウェストバージニア訛りでソーンは語る。彼が口にする「ジェエ・リィィ・ウエスト」は、三音節の神の名のように聞こえた。エホバのような唯一絶対神。ソーンは、この至高のバスケットボール選手について語るだけで、今でも信じられないように口をあんぐり開けるだろう。彼の笑い声にさえ、心に響くものがあった。のろまなシカゴ・ブルズのゼネラルマネージャーとして7シーズン、呆然とするような挫折に何度も直面しながら、ソーンが比較的思慮分別を保てたのは、自分の限界を受け入れるこの能力があったからだ。

1983−84シーズン、ブルズは再び多くの試合に負け、平均7000人以下のファンしか入らないアリーナには閑古鳥が鳴いていた。彼らには大したプロフィールがなかった。低調で、安っぽく、活気のないチームだった。そして、ソーンは、自分が行った今までの高順位のドラフト指名が何も問題を軽減していないことに気づき過ぎていた。

それらの失敗も、ある程度は理解できるものだ。当時のドラフトは今よりもずっと賭けの要素が強かった。スカウトの人数は少なく、大学の試合のビデオもほとんど手に入らない。フィラデルフィアのパット・ウィリアムスGMは、大学生を2〜3年NBAでプレーさせ、関係者全員が彼らの本当の能力を理解したあとで、ドラフトを開くべきだという持論を唱えていた。「そうすれば1人のGMもクビにならないだろう」と、ウィリアムスは言った。そのような条件なしに、ソーンの指名は凡庸から悲惨にまで及び、さらに、彼の運も悪かった。マジック・ジョンソンが1位指名された1979年のコインフリップで、ブルズはレイカーズに敗れている。その日、ソーンはシカゴの注目を一身に浴び、大きな希望を胸にニューヨークへ旅し、NBAコミッショナーのオフィスで「裏」をコールした。伝統的に、楽観主義者は「表」をコールする。しかし、ソーンは生来、逆張り投資家だった。それまでの人生は、裏を選ぶことで幸運を得てきた。もちろん、今回は手ひどく裏切られたが。マジックがシカゴへ行っていたら、リーグの歴史はすべて書き換えられ、素晴らしいライバル関係も書き直されていただろう。結局、レイカーズは80年代に5度の優勝を飾り、ブルズはデイビッド・グリーンウッドという大きな失望の憂き目に遭った。

彼に何ができたろう?何も。不運なだけだ、とソーンは考えた。だが、サンフランシスコ大学のシューティングガード、クィンティン・デイリーを指名した1982年のドラフトには、自分でも本当にうんざりし、かなりの自責を感じた。デイリーは極めて有能なガードで、バスケットボールの能力的には全体7位が当然の選手だ。彼の次に選ばれたのは、堅実なフォワードのクラーク・ケロッグである。しかし、ソーンは、デイリーを危険な選択にさせた数多くの赤信号やコート外での問題を無視した。ブルズがドラフトで指名するまでに、デイリーはサンフランシスコ大学のキャンパスにある寮の部屋で看護学生を暴行して告訴された。結局、女性とは示談による和解を交渉したが、このルーキーがシカゴで受け入れてもらうつもりなら、若干でも公の改悛が求められた。その代わりに、デイリーは、反抗的な態度というより、無関心さを表わした。謝罪や反省の誠実なメッセージなら役に立ったかもしれない。それは用意されていなかった。ドラフト当日、シカゴのスポーツ記者たちが、自分のいくつかの行動を後悔しているかどうか質問したとき、デイリーは答えた。「いや。俺はただ、すべての出来事を過去のものにして、ブルズのためにプレーし、長く成功したキャリアを送ることに集中するつもりだ」

その年の秋、デイリーがブルズの一員として初めての試合に出場する頃、シカゴ・スタジアムの外で女性団体がピケを張り、すでにドラフトを後悔していたソーンは、自分のオフィスで頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。デイリーは、長いけれども大方は無意味なキャリアで、ドラッグに手を染め、体重の問題を抱え続け、その度にソーンはひどくバツの悪い思いを味わった。「そういう悪評の一部しか知らないでいられたら・・・」と、誰に言うともなく、彼はつぶやく。デイリーの指名だけでなく、他にもまずい選択を続ける過程で、ソーンは、1979年にシドニー・モンクリーフを、1980年にキキ・バンダウェイを、1981年にはトム・チェンバースとローランド・ブラックマンを、そして1983年にはクライド・ドレクスラーを指名し損ねた。彼のロスターは、優勝候補とまではいかなくとも、もっと強力だったかもしれない。


posted by まき at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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