2007年11月29日

TIP-OFF (33)

ピペンが1月11日にスウェーデンのスンツバル・ドラゴンズというチームで1試合だけプレーするそうです。(日本語記事
AP記事によると、1980年にスウェーデンへ交換留学したブルズのマイク・ウィルヘルムACが、スンツバル・ドラゴンズ(Sundsvall Dragons)の現チェアマンと友人で、そこから起こった話とか。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第10章:Liking Mike - 4


当時は今のように大学生がNBAフランチャイズを訪問することがなかったため、ソーンはちょくちょく国内の端から端まで情報収集の旅に出た。数年前には、ジェリー・スローンと一緒にミシガン州立大学のマジック・ジョンソンとユート・ヒースコート コーチに会いに行っている。トム・チェンバースを見学にユタ大学まで行き、ビル・カートライトをサンフランシスコ大学へ訪ね、スティーブ・ジョンソンと会いにオレゴン州立大学へ出かけた。今回、彼はレキシントンを訪れ、サム・ブーイやメル・ターピンと話をした。「ブーイは非常に明敏だった。ターピンはそれほどでもなかったが」と、ソーンは言う。ずんぐりしたプレイヤーにもともと乏しかった関心は、ジョー・B・ホール コーチの話を聞いて、さらに減少した。コーチは、厳しいダイエット中のターピンが、寮の部屋の窓からロープをたらして、こっそりピザを手に入れていたと教えてくれたのだ。

過去の経験と唐突な警告は、大いにソーンの役に立った。ブーイの印象は素晴らしかったが、故障で苦労したレスターのことを考えると、指名する気になれなかった。6フィート5インチでポストプレイヤーのバークリーについては、どう判断すればいいか誰にも分からなかった。ソーンの考えでは、ジョーダンかパーキンスが本命候補だったが、実のところ、ソーン自身はパーキンスにそれほど感銘を受けていなかった。ジョーダンをスカウトするためにノースカロライナ大学のゲームビデオを見たあと、パーキンスはまったく爆発的なパワーフォワードではないと感じたのだ。彼は、巨大なエネルギーの爆発を必要とするフランチャイズを好転させてはくれないだろう。

ジョーダンなら話は別だ。ソーンは以前から彼を知っていた。数年前、ワシントンで開催された高校オールスターゲーム(キャピタル・クラシック)に出場していたからだ。試合当日のジョーダンはあまり良いプレーをしていなかったが、何度か練習を見学したというワシントン・ブレッツGMのボブ・フェリーが、「間違いなくこの子がチームで1番の選手だ。練習ではあり得ない芸当を見せていたよ」と教えてくれた。ソーンはその言葉を胸の奥深くにしまった。その後、スカウトの仕事でチャペル・ヒルを訪れたとき、ディーン・スミスから、最新式のビデオデッキで再生するアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)の試合のテープを手渡された。これはかなりの厚遇である。ESPN以前の時代には、大学の試合の映像は本当に貴重だった。そして、スミスは夢中になってジョーダンのことを話した。

ソーン本人は、スミスが吹聴するほどジョーダンを素晴らしいと思わなかったが――「私には先見の明があると主張したかったけれどね」と、彼は笑う――少なくとも、旺盛な競争心と身体能力の高さは、彼が見たビデオでも浮き彫りになっていた。ジョーダンのジャンプシュートは、まだそれほど上手くなかった。「ひどくはないが、特に良くもなかった」と、ソーンは言う。けれども、いくつかの動きは、ソーンにとって認知不能で、初めて目にするものだった。ブルズのGMは、以前にもそのような現象を経験したことがある。ABAのニュージャージー・ネッツでアシスタントコーチをしていた頃に目撃したジュリアス・アーヴィングのプレーだ。現在のブルズのコーチ、ケビン・ロカリーが、当時のネッツのヘッドコーチだった。ソーンとロカリーは、アーヴィングの天性の才能のユニークさに驚嘆していた。 「ただただ頭を振り、『あれはどうやったんだ?』と言うようなプレーが、1試合に4度か5度はあった」と、ソーンは言う。ジョーダンの若い頃と同じく、アーヴィングも素晴らしいジャンパーを持っていなかった。彼には必要なかったのだ。ソーンが点検したテープの中のジョーダンは、アーヴィングほど並外れて特別には見えなかったが、何度か非凡な瞬間を――まばゆい未来の輝きを――閃かせていた。そして、決まった:ジョーダンこそ、ソーンの選択だと。



posted by まき at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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