2008年04月15日

TIP-OFF (43)

もうシーサーで続けるつもりはありませんが、著作権侵害は不本意なので、なるべく気をつけたいと思います。TIP-OFF も全部は訳さないし、私の訳など当てにならないので、興味がわいたら購入して下さいね〜。(と…(^^;)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第12章:The Imperfect Fit - 3

カッツの支持は中堅幹部の危惧を軽くした。したがって、シクサーズはバークリーを選ぶだろう――たぶん。ドラフトの6週間前、シクサーズはバークリーをワークアウトに招いた。当時は珍しいことだったが、疑問符を解決するために必要なセッションと考えられたのだ。バークリーは292ポンド(約132.5kg)という体重でフィリーに現れた。「チームのドラフト構想はバラバラに崩れ始めた」と、ウィリアムズは言う。「ストックトンやソープやケーシーがどれくらい良い選手になるか知っていたら、喜んで指名しただろう」
ウィリアムズはバークリーに、ドラフト前にもう一度、計量のためにフィラデルフィアへ戻って来るよう告げた。その際は20ポンド減量してくるように、とも。
「体調を整えてきたまえ」と、ウィリアムズは言った。
「すっきりしてきます、ウィリアムズさん」と、バークリーは請合った。

少しの間、シクサーズにドラフトされるのは良いことに思われて、バークリーは本気で減量に取り組み、ドラフトの1ヶ月前にフィラデルフィアを訪ねたときは、277ポンドに減量していた。ところが、ドラフトの2日前、バークリーのエージェント、ランス・ラチニックが、すべてをひっくり返す情報をもたらす。シクサーズはサラリーキャップを超過しており、リーグが保証する最低賃金7万5000ドルしか払えない計算になるというのだ。それは、オーバーン大学を中退したバークリーの思惑から大きく外れる金額であり、4パーセントの手数料を受け取るラチニックの思惑からも外れていた。最終計量のためにヒューストンからフィラデルフィアへ向かおうとしていたバークリーとラチニックは、シクサーズの気を変えさせるために、ひたすら食べ続ける決心をした。
「夕食でデザートを3人前食べた。翌朝もパンケーキとミルクセーキを3〜4人前食べて、飛行機の中でも手当たり次第に食べ続け、空港に着いてからもう一度めしを食って、俺の体重は296ポンドになっていた。24時間で15ポンド増やしたんだ。俺を見たハロルド・カッツは、『頭がおかしいのか?』と言ったよ」と、バークリーは言う。

カッツはバークリーが太りすぎだったことしか覚えていない。フランチャイズはいずれ、バークリーと契約するためにサラリーを整理するつもりだったのだという。「いつでもそうだが、彼は少し物事を混乱させるね」
ドラフト前の数々の状況をふり返ると、バークリーはシクサーズの一員になりたいと思っていなかっただろう、とウィリアムズは言う。北東部のかなり大きなマーケットを有するスーパースター揃いのチームに誰が入りたくないだろう? しかし、当時のバークリーにとって、優勝争いは最優先事項ではなかった。差し当たって最も重要なのは金であり、きっちり体重を増やしたバークリーは、フィラデルフィアが他に目を向けるだろうと考えた。もしシクサーズがドラフトで指名順位を上げることができていれば、彼の予想は正しかった。カニングハムは定期的にディーン・スミスと連絡をとり続けていて、ジョーダンに夢中だった。ウィリアムズは、アンドリュー・トーニーとシクサーズの5位指名権をセットに、ブルズから3位指名権を引き出そうと努力していた。

その試みは失敗に終わった。そして、まだ活発にラインアップの改良を試みるシクサーズは、予想外の混乱、考え得る最もきまりの悪い状況に陥ったのだ。フィリーは、ドラフト指名権だけでなく、クリッパーズから1983年の新人王テリー・カミングスをも獲得しようとした。チームにとって大きな利益になると信じたカッツ自身がこの取引に身を入れたが、クリッパーズは交換にジュリアス・アーヴィングとシクサーズの2番目の1巡目指名権を求めてきた。ウィリアムズにとってはひどいジレンマであり、会談に関する話が西海岸からメディアにリークされて、あっという間にファンとの関係は最悪になった。アーヴィングは単なるバスケットボール選手ではなかった。彼は市民の誇りそのものだった。より若く、より速い選手の獲得は、フィラデルフィアにとって完璧に筋が通る取引だった。カミングスとバークリーとモーゼス・マローンは恐るべきフロントコートだろう。34歳のアーヴィングは1年170万ドルの契約を残し、1985年に契約が切れる。チームにとっては、レジェンドとして実際の価値より高い金額を要求される勝ち目のない交渉になりそうだった。したがって、カミングスとアーヴィングのトレードはさまざまな点で有益な取引だが、アーヴィング自身が同意しない限り、フィリーの誰も引き金を引かないだろう。ドラフト前日の深夜、カッツは直接アーヴィングと話をした。アーヴィングはたちまち非常に不幸な男になった。「寝耳に水の打撃だった」と、彼は言う。彼はフィラデルフィアのオーナーに警告した。「私がトレードに同意しても、市民には歓迎されないと思う」と。

そして、彼は正しかった。チームとしてのシクサーズは熱心なサポートを受けていなかったが、アーヴィングは別だった。フィラデルフィアのウィルソン・グード市長は、「もし彼がよそへ行くなら、私もついて行く」と言った。

シクサーズはあわてて手をゆるめ、取引が成立寸前だったことさえ否定した。「当時、ジュリアス・アーヴィングはフィラデルフィア・セブンティシクサーズだった」と、カッツは言う。それでもカッツは、アーヴィングを絡めたトレード話がもう1つあったことを認め、成立を喜んで受け入れただろう。ブルズのジョナサン・コブラーCEOとの直接会談で、カッツは、アーヴィングと将来のドラフト指名権をジョーダンをドラフトする権利と交換したいと交渉した。「私が実際に行った交渉はそれだけで、ブルズを口説き落とすことはできなかった」と、カッツは言う。2人のスーパースターが交換されていたら、きっと歴史的な日になっただろう。しかし、もちろんアーヴィングは下り坂には遠かったが、コブラーは提案についてブルズの経営陣と真剣に話し合うことさえなかった。まだ新聞売り場に「裏切り」の見出しが躍る中、ウィリアムズにとって極めて不都合な時間を選んで、ドラフト当日がやって来る。その朝、ウィリアムズの妻は息子のマイケルを出産した。午後よりは良かった、と、ウィリアムズは思った。彼は出産に立ち会うことができ、病院からシクサーズのドラフト本部があるクォリティー・インへ直行した。「大急ぎで部屋に入り、ものすごい恐怖とおののきを感じながら、チャールズ・バークリーの指名を宣言した」と、ウィリアムズは言う。バークリーは、ニューヨークのフェルトフォーラムで、ワシントンかどこか、サラリーキャップに余裕があるチームが自分を億万長者にしてくれることを願っていた。

「奴らは俺の名前を告げた」と、バークリーは言った。「そして俺は思った、『くそっ、なんてこった』」


posted by まき at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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