2008年05月31日

TIP-OFF (51)

コメント欄でも書きましたが、シャーロット・オブザーバーのトム・ソレンセンは、「30歳にもなろうというのに、まだジョーダンの抑揚や癖や歩き方をマネする」コービーが好きではなく、でもロバート・オーリーが所属するチームは到底応援できず、西カンファレンス・ファイナルではレイカーズを応援したが、ファイナルでレイカーズとセルティックスが対戦したら、オーリーが元レイカーズだったせいでセルティックス応援に傾くだろう、なのだそうです。
Charlotte Observer
私も今回はアンチ・スパーズの立場から初めてレイカーズを応援しましたが、レイカーズが相手だとたちまちリーグの寵愛を失い、妙に邪魔者扱いされるスパーズを哀れに思ったりなんかまでしちゃいまして。(^^;
ま、セルティックスとピストンズにもそんな傾向はあったかもしれませんが、ファイナルはKG&レイ・アレン(ついでにピアース)初優勝を応援したいと思います。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第6章:Spokane Man - 4


ストックトンは、ジョーダンやパーキンスやブーイと違い、あるいはバークリーほどにも、一流大学の栄光やメジャーなトーナメント経験と縁がなかった。ゴンザガでの彼のキャリアは、引き出しにしまいこまれたスクラップブックの切抜きや個人のスナップ写真でしか見ることができない:

1981年2月28日、1年生のシーズン:将来のNBAプレイヤーを2人擁する全米ランキングのサンフランシスコ大学を79対67でアップセットした。ストックトンの役割は限られていたが、おそらく、これが大学で経験する最大の勝利だったろう。

1981年12月20日、2年生のシーズン:ストックトンの8得点、4スティールを含む21−4の反撃で、ボイシ州立大学に59対58で逆転勝利。

1982年12月10日、3年生のシーズン:ボイシ州立大学に勝ったホームゲームで18得点。

1983年12月2日、4年生のシーズン:65対63で勝利したロードのアイダホ州立大戦で23得点。レギュレーションの最後にオーバータイムに持ち込む同点シュートを決め、残り6秒でフリースローを2本とも成功させて勝利を確実にした。

1983年12月12日:2試合で41得点を記録し、ゴンザガを5勝1敗のスタートに導き、ウエスト・コースト・アスレチック・カンファレンス(WCAC)の週間MVPに選ばれる。

1983年12月29日:ファー・ウエスト・クラシックの1回戦で17得点してゴンザガを73対57の勝利へ導く。

1984年2月13日:ホイットワース大とポートランド大を破り、ゴンザガ大学史上初の1000得点&500アシストを達成して、WCACの週間MVPを共同受賞。

1984年3月10日:WCACのMVPとオールWCACに選出される。

その他のオールWCACは、ロヨラ大学のフォレスト・マッケンジーとキース・スミス、ペッパーダイン大学のビクター・アンガー、サンディエゴ大学のマイク・ホイットマーシュとアンソニー・ルース、セントメアリーズ大学のデイビッド・ブーンとポール・ピケット、サンタクララ大学のニック・バノスとハロルド・キーリング。

その中で、ストックトンだけがプロバスケットボールのサクセス・ストーリーとなった。マッケンジーはサンアントニオで計6試合42分の出場に終わる。スミスはミルウォーキーで42試合に出場した。ニック・バノスはフェニックスでの2シーズンで68試合に出場。ハロルド・キーリングはダラスで20試合プレー。率直なところ、WCAC出身選手に対する一般的な期待値はそんなものだった。アダム・モリソンの高いドラフト順位が騒がれ、ゴンザガ大学がNCAAトーナメントのリージョンで第3シードにランクされる時代はまだ遠い先のことだ。2006年4月19日にキャンパスで開かれたモリソンの記者会見は、現在の恵まれたゴンザガ大学バスケットボール部のステータスを如実に表わしている。
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2008年05月30日

ヘインズのCM

08Hanes.jpgチャーリー・シーンと共演したヘインズのCMが6月2日からテレビ放映されるそうです。

Press Release

新しいシャツとボクサーブリーフのキャンペーンで、チャーリー・シーンは熱狂的なMJファンという設定。
そのうちWEBで見られますよね。

(Photo: AdWeek.comより)

その1: "Phone Toss,"
ホテルを出ようとしたところでジョーダンに気づいたシーン。すぐさま車に駆け寄り、すでにジョーダンが着用していることも知らず、ヘインズのLay Flat Collar Undershirtを熱心に勧める。ジョーダンが車を走らせ始めてもしゃべり続け、ディナーに誘い、しつこく電話番号を尋ねるが、ジョーダンが答えてくれないので、自分の携帯をコンバーチブルの後部座席に投げ込んで「電話して」と見送る。(※誤訳を訂正しました。m(__)m)

その2: "Valet,"
ゴルフコースから戻ってきたジョーダン。彼を見つけたシーンは、車をバックで走らせながら話しかけ、自分がはいているNo Ride Up Boxer Briefsを見せようとする。ジョーダンはvalet standにぶつかりそうなことを教えようとするが、時すでに遅し。


■本日、スパーズ負けろ!は叶ったものの、レイカーズが勝っても全然嬉しくないということも判明しました。こうなったら、KG&レイ・アレンに1回くらい勝たせてあげたいかな。
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2008年05月29日

28日のMJ

080528-predraftcamp.jpg

(AP Photo/Reinhold Matay)


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プレドラフトキャンプ

27日からオーランドで始まっているNBAプレドラフトキャンプ。
シャーロット・オブザーバーによれば、ラリー・ブラウンの下で長年アシスタントを務めてきたデイブ・ハナース前ニックスAC(UNC出身)がボブキャッツのゴルフシャツを着てコーチと一緒にドリルを観察していたそう。フィル・フォードACがスタッフに残ることは確認済みで、ジェフ・ケイペルACも残留だろうとのこと。また、エリック・スノウにもアプローチ(公式に引退したら…ということで)したらしいです。

で、地元紙の話題はこれだけなのに、どういうわけかNYポストがマイケルのインタビューなんか成功していまして。ま、大した内容ではないんだけど、オーランドにいるかいないかは判明しました。(残念ながら写真は見つからず

New York Post

マイケル・ジョーダンはニックスのポストトーマス政権(プレジデントのドニー・ウォルシュとマイク・ダントーニ新コーチ)を称賛した。
"I love Donnie," と、まれなインタビューでジョーダンは語った。 "I think they're going to do OK. They'll be fine."
「(ダントーニは)コーチができることを証明した。彼には、かなりの勝利を収めたプログラムがあった。それがニューヨークで異なるとは思わない」
4日間のキャンプが開幕した夜、ヒズ・エアネスはディズニー・ワールドのミルクハウスに到着し、大きな葉巻を手に、大きな予測をした。ラリー・ブラウンはニューヨークでうまくいかなかったが、シャーロットでは異なるだろうとジョーダンは言う。
「これは何か大きなことの始まりさ。私はハッピーだ。私とラリーのためにうまくいきそうだからね。彼は間違いなく組織のためにうまくやってくれると思う」
ブラウンのニックスでの失敗とアイザイア・トーマスの役割に関しては、「他の人たちの人間関係や起こったことについてはコメントできない。私としては、ボブキャッツのためにベストなことを実現しようとしているのであってね。君も知ってのとおり、アイザイアについてのコメントはできないよ」

ニューヨークのメディアは、ラリー・ブラウンさんのボブキャッツHC就任時も「エラーからエアーへ」とか面白がっていたからな〜。
デイブ・ハナース前ニックスACについては、『まだ公式にはなっていないがブラウンのスタッフに加わっている。大喜びのハナースは、ニックスとの契約から解放してくれたウォルシュに感謝を述べた』となっていました。
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2008年05月28日

バックボード粉砕

マイケルのは初めて見ました。
1986年の夏にイタリアで行われたナイキのエキジビションゲームだそうです。



ゲームのハイライト (02:51)


今日はマイケルの記事があったんですけど、読むのが間に合わないのでまた明日。(^^)ゞ
posted by まき at 21:05| Comment(4) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

TIP-OFF (50)

今日の朝日新聞一面トップは「著作物の利用緩和へ ネット時代に対応」という記事でした。
asahi.com

ホント、こんなマイナーなブログで画像を貼るたびに罪の意識を感じたくないので、少し緩めてほしいデス。ま、こっちは言い訳できないけど。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第6章:Spokane Man - 3


1980年当時のゴンザガ大学には、他の地元校、ワシントン州立大学やポートランド大学のような設備もリクルート資金もなかった。1965年に完成したマーティンセンターには歴史があったが、すべてが良い歴史ではなかった。正式に開館する前から、花形センターのゲーリー・レフマンがウインド・スプリント(※歩幅を広げ、力を抜いて短距離を走るトレーニング)の最中に壁に激突し、腕を折った。アリーナの照明はひどく暗く、それほど大きな建物でもないのに、上段の座席が見えないほどだった。しかし、素晴らしい時期もあったのだ。ストックトンが1年生だったシーズンと4年生だったシーズンは、平均観客数が初めて3000人を超えた。2年後、ストックトンの勝利の遺産のおかげもあって、アリーナは450万ドルかけて改築されるだろう。

運動部の予算は本当につつましく、ヒロックがロサンゼルスまでリクルート旅行をする余裕もなかった。その気になれば、シアトルのワシントン大学はストックトンを盗めたかもしれない。しかし、彼らは最小限の行動さえ起こさなかった。ただ、ゴンザガにはゴンザガの魅力があり、いくつかの約束も示した。彼らの前2シーズンの成績は16勝10敗と16勝11敗で、「堅実なプログラムを持つことで知られていた」と、ヒロックは言う。「我々はハードで賢いバスケットボールをしていた。毎年ステップアップし、どこかの強豪校を倒し、カンファレンス3位でシーズンを終えたんだ。非常に良いチームだったペッパーダインと、他のどこかに続いて」

ジャック・ストックトンは、リクルーティングの訪問客を非常に慎重に接待した。自宅を訪れたどのコーチも、同じキッチンテーブルの同じ場所に座らせるようにした。誰にも全くアドバンテージはない。ジャックの商売がスポーケンや地元大学とつながりがあっても。息子のジョンは、父親と同じくらい地域に根ざしていた。近所の小学校に通い、高校もすぐ近くだった。さらに、地元を去りたいという願望がまったくなかった。ストックトン家の男性陣には放浪癖がなかったのだ。ついに、ジョン・ストックトンはイースターサンデーにフィッツジェラルド コーチに電話をかけた。「僕はモンタナへ行くつもりです…」と、彼は話し始めた。ゴンザガ大学のスタッフがストックトンのいたずらっぽいユーモアを初めて知ったのが、まさにこの瞬間である。なぜなら、ストックトンはまだセンテンスを終わらせていなかった:「…来年、あなたがあそこで試合をするときに」。これはゴンザガにとって良い知らせだった。そして、非常に良い知らせになろうとしていた。

やがて、ジャックの息子はバスケットボールができる、ということが判明する。彼は自分のゲームを次のレベルへ、そしてさらに上のレベルへ、上げていくことができた。第1学年はドン・ボールドウィンというポイントガードのバックアップとして始めたが、2年目でスターターに昇格し、3年生で完全にスターになった。それに応じて、ゴンザガの運命も変わる。ストックトンの第1学年のシーズンは19勝8敗で、4年間の通算成績は64勝45敗、マーティンセンターは突然、毎試合満員になった。「彼はチームメイトに非常に好かれるリーダーだった」と、やがてシカゴ・ブルズのプロ人事担当ディレクターになったヒロックは言う。「辛辣なことやら皮肉やらも大いにしゃべって、にぎやかだったよ」

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2008年05月26日

私の本だな/ビデオ編

何もネタがなくてスミマセン。も〜ね〜マイケルのニュースはゼロ。去年や一昨年もこんな感じだったかと、自分のブログを見てみたら、ここの話題が今よりチョッと広範囲で、軽くガックリきました。まあ、ボブキャッツ以外への関心が薄れたのは確かだけど。かと言ってドラフト情報を熱心に追いかけるほど知識がないし…。

<MJ>
●マイケル・ジョーダン 僕といっしょに空を飛ぼう
●マイケル・ジョーダン プレイ・グラウンド
●エア・タイム
●アバヴ&ビヨンド
●マイケル・ジョーダン オフ・コート

<ブルズ>
●ハイアー・グラウンド シカゴ・ブルズ1987/88
●ラーニング・トゥ・フライ シカゴ・ブルズの初優勝ドキュメント
●アンタッチャブルズ  '91-'92優勝への軌跡
●スリー・ピート! 栄光の3連覇全記録
●NBAスーパー・ファイナル'93 NBAファイナル第6戦完全収録
●アンストッパブルズ '96優勝全記録
●シカゴ・ブルズ 1996-97NBAチャンピオンシップ・シーズン/ブルズV5全記録
●アンフォゲッタブルズ シカゴ・ブルズV6全記録

<その他>
●ドリームチーム イン バルセロナ1992
●バスケットボール伝説 その誕生からドリームチームまで
●NBAワイヤード
●1997NBAオールスター・ウィークエンド/NBA50周年・夢の祭典

<輸入版ビデオ>
●SPACE JAM
●Michael Jordan HIS AIRNESS
●MICHAEL JORDAN to the MAX
●The NBA's 100 GREATEST PLAYS
●UPSETS & UNDERDOGS
●GREATEST NBA Finals moments
●NBA at 50
●The BEST of inside STUFF
●COLLEGE BASKETBALL'S GREATEST GAMES
●Blue Heaven A History of UNC Basketball

<DVD>
●アルティメット ジョーダン
●NBAダイナスティシリーズ シカゴ・ブルズ 1990s
●マイケル・ジョーダン・トゥ・ザ・マックス
●マイケル・ジョーダン HIS AIRNESS
●スペース・ジャム
●THE BIG BOYS SHOW NBAオールスター・ゲームの裏側

<CD>
●スペース・ジャム オリジナル・サウンドトラック
●スペース・ジャム オリジナル・スコア・アルバム
●MICHAEL JORDAN to the MAX THE ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK
●CHICAGO BULLS GREATEST HITS vol. 1
●CHICAGO BULLS GREATEST HITS vol. 2
●CHICAGO BULLS GREATEST HITS vol. 3


本当にリスト作成が必要なのは自分で録画&ポンテルで購入したゲームのビデオなのですが…実際、何があるか把握できていないよ。
posted by まき at 21:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

TIP-OFF (49)

アトランタやクリーブランドで勝てなかったセルティックスがデトロイトで勝つとは思いませんでしたが…ホームでの敗戦がwake up call になったんでしょーか。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第6章:Spokane Man - 2


ジョンのバスケットボールに関して、父親は多くを期待していなかった。「背が小さすぎたからね」と、ジャックは言う。「どこか一校からでも勧誘されたら素晴らしいことだと思っていた。ただ、ジョンはどんどん上達し続けていたよ」。実力は日を追うごとに成長したが、身長はまだ小さく、依然としてジョンは多くの点でレーダーから外れていた。彼のチーム指向のスキルを見分けるのは、それほど容易なことではなかったのだ。

ゴンザガ大学のダン・フィッツジェラルド コーチは、1978年に就任して以来、ずっと状況を改革してきた。当時のアシスタント、ジェイ・ヒロックは、フィッツジェラルドが体育部長に専念することを決めた年にヘッドコーチに昇格した。2人は、この地元の若者を追いかけるべきかどうか熱心に討議した。フィッツジェラルドは、ある試合でストックトンの活躍を目の当たりにしたことがあり、彼をリクルートすることに決めて帰って来た。ヒロックはフィッツジェラルドより懐疑的だった。「うちにはもう、ゴンザガ・プレップの白人選手は必要ないでしょう」と、彼はフィッツジェラルドに言った。さらにヒロックは、率直に言って、ストックトンの父親が地元で酒場を経営していることも気がかりだった。

ヒロックは決して厳格一方な人間ではない。たまには、「新聞配達」(ゴンザガのスラング:朝刊が配達される直前まで、レイニアービールを片手に徹夜でバスケットボールを論じ合うこと)もする。それでもヒロックは心配した。キャンパスで非常に目立つアスリートの気を散らすことは何もかも。「自分の裏庭からリクルートすることを好まないコーチは多い」と、彼は言った。それでも、コーチ陣は高校の試合でストックトンをスカウティングし続けた。それは彼らにとって十分に安上りなリクルート旅行だった。彼らは、ストックトンがリバウンドを奪い、ダウンコートを駆け抜け、バスケットへドライブしてレイアップを沈めたり、アシストパスを出すところを何度も目撃した。そして、まだ確実にうまくいくとは思えないストックトンを追うことに決めた。

ストックトンはバスケットボールの一流校から奨学金のオファーを受けていなかった。しかし、アイダホ大学、モンタナ大学、シアトル・パシフィック大学、ワシントン州立大学、そしてゴンザガ大学が関心を示し、結局、アイダホとモンタナとゴンザガが奨学金を提示した。バスケットボールの名声という点で、当時のゴンザガは現在のゴンザガと全く異なる。ホームのマーティンセンターは公式定員が2800名(ギューギュー詰めなら4700名まで収容可能)だったが、しばしば上段の観客席が閉鎖されるほど人気がなかった。「今と昔の最大の違いは注目だ」と、ストックトンのチームメイトで、ゴンザガ大学の職員として働いたこともあるケン・アンダーソンは説明する。「私が現役選手だった頃は、スポーケンの町をぶらつくことができたし、誰も私を知らなかった。新しいアリーナは6000席を超える。まるで一流大学のアリーナのように見えるよ。ほんの少し小さいだけだ。マーティンセンターは今、バレーボール部が使っている。高校の体育館だって、もっと立派なところがいくらもあるはずだ」

新しいマッカーシー・アスレチックセンターは、467日間かけて建設され、2004年の秋にオープンした。ただ単に、マーティンセンターの東側の壁を取り壊し、観覧席を増設するだけで済まそうという議論もあったが、その頃はもう、ゴンザガ大学バスケットボール部は重要な存在で、十分な数の法人ブースターが、2500万ドルの請求書の大部分を支払うために並んでいた。マッカーシー・ブラザーズ、ゴンザガ大学同窓会、そして、ソルトレークシティーのメディア王が最高額の寄贈者だった。今では全座席が背もたれ付きで、シーズンチケットの価格は400ドルから3700ドルにもなる。新アリーナには特大ビデオスクリーンが2面、コーチ陣のための贅沢なオフィス、堅木製のロッカーが備わり、広いコンコースには偉大なOBたちの壁画が描かれている。ダン・ディカウ、ブレーク・ステップ、そしてもちろん、ジョン・ストックトン。

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2008年05月24日

3年前の60 Minutes

久しぶりにYouTubeへ行ったら、2年7ヶ月前の『60 Minutes』がUPされていました。
日本での放送は関東ローカルでしたから、まだ未見の方はどうぞ♪
番組に関してここで何度か書いていますが、まとめはこちら → 60 Minutes(完)

Michael Jordan Interview [60 Minutes] - Part 1 of 2 (08:06)


Michael Jordan Interview [60 Minutes] - Part 2 of 2 (06:03)


というか、去年の4月16日に「Yahoo!で見ることができる」と自分で書いてますね。(^^;
posted by まき at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

TIP-OFF (48)

マイケル情報が何もない日は、これやりながら、プレイオフ見ながら。昨日は、「初めて私が応援してやっているのに負ける気?」と、レイカーズと言うよりコービーを叱咤激励しつつ。

ところで、TIP-OFFは

プロローグ:The Flip
第1章:The View from Chapel Hill
第2章:Decision Time
第3章:The Achilles Shin
第4章:Out of Africa, Into Texas
第5章:The Well-Rounded Recruit
第6章:Spokane Man
第7章:Trial by Knight
第8章:Embracing Defeat
第9章:Finishing the Picasso
第10章:Liking Mike
第11章:The Safe Pick
第12章:The Imperfect Fit
第13章:Sweet Sixteen
第14章:Portland Selects Sam Bowie
第15章:Not Twins at All
第16章:After the Fall
第17章:A Different Kind of Star
第18章:Far from Eden
第19章:Charles in Charge
第20章:The Player's Player
エピローグ

という構成になっていまして、とりあえず第3〜6章は省いてきましたが、第13章を訳してからストックトンのことをもっと知りたくなったので、ここで第6章に戻ります。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第6章:Spokane Man - 1


“ジャックとダンのバー・アンド・グリル”は今、単なる居酒屋どころではなく、改築され、拡張され、飾りたてられて、2006年2月27日にはスポーケンの史跡にも登録されている。市議会の投票は満場一致だった。未成年者にアルコールを提供し、ワシントン州酒類販売取締局に300ドルの罰金を科されてから1年もたっていないことは無視された。ノースハミルトン通り1226番地は有名だった。それは、1933年に禁酒法が失効して以来ビールを提供し続けてきたからだけではない。レンガ造りの2階建ての建物は、カトリック大学のメインキャンパスから1ブロック離れたゴンザガ・パイオニア教育協会の本部として、1909年に建てられた。そこには昔、薬局と肉屋と、“ジョーイの酒場”と“スナッピー・ビアー・パーラー”という2軒のバーが営業していた。「ジョーイ」はジョーイ・オーガスト、ゴンザガ大学のボクシング部のコーチで、最初にこの建物を運動選手のたまり場に変えた男だ。マイナーリーグのスポーケン・インディアンズで投げていた頃、トミー・ラソーダはジョーイの店の常連だった。古いレンガには何らかのカルマがあったのだろう。なぜなら、ジャック・ストックトンはここで1961年に自分の店を開き、その1年後、彼の妻はジョンという名前の非凡なアスリートを産んだのだった。

“ジャックとダンのバー・アンド・グリル”に入っても、ジョン・ストックトンの写真やトロフィーやビデオクリップはどこにもない。「Jazz」という単語を描いたステンドグラスの飾りと、チームロゴの大きなラグがあるだけだ。「私はここで45年働いている。だが、自分の写真は1枚も飾っていない。ジョンは店番をしたこともないんだ。なのに、どうして、あいつのものを壁に飾る必要がある?」と、ジャック・ストックトンは言う。ぶっきらぼうなふりはしているが、もちろん、息子のことを聞かれれば、誇らしげに何でも話してくれるだろう。ジャック・ストックトンは自分のバーと全く同じ地域で育った。「78年間で4ブロック移動したよ」と、本人は言う。海軍を退役してから友人と一緒に店を始め、子供たちを大学に通わせた。酒場の近くで息子を育てることを心配したことはない。自分もそういう環境で育ったし、ジョンはまったくトラブルと無縁の子供だったからだ。食卓ではいたずらっ子だった、とジャックは言う。しかし、人前では本当に無口な子供だった。ジョンがリラックスするのは家族のそばにいるときだけだった。やがて、そこにチームメイトや妻の家族も加わるが。


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2008年05月21日

長編ドキュメンタリー!?

こっちの方がどっひゃー。かも。

いつものように Michael Jordan でニュース検索したら、カンヌ国際映画祭でスパイク・リーが「マイケル・ジョーダンの長編ドキュメンタリーを監督する」ことを明かした、という記事があったんです!

comingsoon.net (しかし、伏字だらけで意味不明だけど(たぶん)失礼なコメントばっか)

え!ホントの話?と、情報元とされるVariety へ・・・。

VARIETY
スパイク・リーはマイケル・ジョーダンの長編ドキュメンタリーを撮影することになっている。
彼は、来年のフェスティバルには映画と一緒にジョーダンも連れて来たい、とカンヌの観衆に語った。
そのドキュメンタリーにはNBAが資金提供しており(※訂正)、ジョーダンのキャリアの最後の2年(2001-02, 02-03)間にNBAのカメラが撮影した多数の未公開映像も含まれる予定。
「マイクはカンヌに来たがっているから、うまくいけば、僕らは来年ここにいるだろう」

そう言えば、今はコービーのドキュメンタリーを撮影しているらしいですね。
数日前、エア〜ボールで紹介されていました。(動画あり升)

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ドラフト指名順位確定

080520Bulls-win.jpgどっひゃー。
確率1.7%だったブルズが1位指名権ゲット!
これはもう、シカゴ出身の大型PGデリック・ローズで決まりでしょうか。
ブルズ、運がいいな〜。確率9位から1位を引き当てたのは、今のシステムになった94年以降で最大のジャンプアップらしいです。かなり羨ましいな〜。
(どうせ2001年に1位を無駄にしたとかは言いっこなし。(^^;)
あおりを食ったボブキャッツの指名順は8位から9位に後退してしまいましたとさ。
(AP Photo/Bill Kostroun)

 1.シカゴ・ブルズ
 2.マイアミ・ヒート
 3.ミネソタ・ティンバーウルブス
 4.シアトル・スーパーソニックス
 5.メンフィス・グリズリーズ
 6.ニューヨーク・ニックス
 7.ロサンゼルス・クリッパーズ
 8.ミルウォーキー・バックス
 9.シャーロット・ボブキャッツ
10.ニュージャージー・ネッツ
11.インディアナ・ペイサーズ
12.サクラメント・キングス
13.ポートランド・トレイルブレイザーズ
14.ゴールデンステイト・ウォリアーズ
15.フェニックス・サンズ(via アトランタ)
16.フィラデルフィア・セブンティシクサーズ
17.トロント・ラプターズ
18.ワシントン・ウィザーズ
19.クリーブランド・キャバリアーズ
20.デンバー・ナゲッツ
21.ニュージャージー・ネッツ(via ダラス)
22.オーランド・マジック
23.ユタ・ジャズ
24.シアトル・スーパーソニックス(via フェニックス)
25.ヒューストン・ロケッツ
26.サンアントニオ・スパーズ
27.ニューオーリンズ・ホーネッツ
28.メンフィス・グリズリーズ
29.デトロイト・ピストンズ
30.ボストン・セルティックス

NBA.com に指名予想の一覧がありますけど…ボブキャッツはケビン・ラブ(UCLA)が多くて、アンソニー・ランドルフ(LSU)、ディアンドレ・ジョーダン(Texas A&M)、ダニロ・ガリナーリ(イタリア)か。
オブザーバーのボーネルさんはテキサス大学のD.J.オーガスティンがラリー・ブラウン好みのポイントガードだろうと書いています。5−11と小柄だが、知的で、パスを第一に考える純粋なプレイメーカーだそう。

ロッド・ヒギンスGMとバズ・ピーターソン選手人事担当ディレクター(Director of Player Personnel)のコメントは Bobcats.comで。
posted by まき at 20:16| Comment(3) | TrackBack(0) | ボブキャッツ08オフ | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

レギュラーシーズン各賞

あぁ・・・_| ̄|○
ま、ホーネッツは初めてのプレイオフですもんね〜。
かくなるうえはMVPに期待します。
ということで、去年にならって各賞受賞者でもまとめておこうかと。

Most Valuable Player コービー・ブライアント(LAレイカーズ)
mvp_080506.jpg
(Noah Graham/NBAE/Getty Images)

All-NBA Teams
FIRST TEAM
ケビン・ガーネット(ボストン)
レブロン・ジェームズ(クリーブランド)
ドワイト・ハワード(オーランド)
コービー・ブライアント(LAレイカーズ)
クリス・ポール(ニューオーリンズ)

SECOND TEAM
ダーク・ノビツキー(ダラス)
ティム・ダンカン(サンアントニオ)
アマレ・スタウダマイアー(フェニックス)
スティーヴ・ナッシュ(フェニックス)
デロン・ウィリアムス(ユタ)

THIRD TEAM
カルロス・ブーザー(ユタ)
ポール・ピアース(ボストン)
ヤオ・ミン(ヒューストン)
トレイシー・マグレディ(ヒューストン)
マニュ・ジノビリ(サンアントニオ)

Defensive Player of the Year ケビン・ガーネット(ボストン)

All-Defensive Team
FIRST TEAM
ケビン・ガーネット(ボストン)
コービー・ブライアント(LAレイカーズ)
マーカス・キャンビー(デンバー)
ブルース・ボウエン(サンアントニオ)
ティム・ダンカン(サンアントニオ)

SECOND TEAM
シェーン・バティエ(ヒューストン)
クリス・ポール(ニューオーリンズ)
ドワイト・ハワード(オーランド)
テイショーン・プリンス(デトロイト)
ラジャ・ベル(フェニックス)

Rookie of the Year ケビン・デュラント(シアトル)

All-Rookie Team
FIRST TEAM
アル・ホーフォード(アトランタ)
ケビン・デュラント(シアトル)
ルイス・スコラ(ヒューストン)
アル・ソーントン(LAクリッパーズ)
ジェフ・グリーン(シアトル)

SECOND TEAM
ジャマリオ・ムーン(トロント)
ファン・カルロス・ナヴァロ(メンフィス)
サディアス・ヤング(フィラデルフィア)
ロドニー・スタッキー(デトロイト)
カール・ランドリー(ヒューストン)

Sixth Man Award マニュ・ジノビリ(サンアントニオ)

Most Improved Player ヒドゥ・ターコルー(オーランド)

Sportsmanship Award グラント・ヒル(フェニックス)

J. Walter Kennedy Citizenship Award チャウンシー・ビラップス(デトロイト)

Executive of the Year ダニー・エインジ(ボストン)

Coach of the Year バイロン・スコット(ニューオーリンズ)

スタッツリーダー
得点:レブロン・ジェームズ(クリーブランド) 30.0PPG  J-Rich 13位 21.8PPG
リバウンド:ドワイト・ハワード(オーランド) 14.2RPG  エメカ・オカフォー6位 10.7RPG
アシスト:クリス・ポール(ニューオーリンズ) 11.6APG  レイモンド・フェルトン7位 7.4APG
スティール:クリス・ポール(ニューオーリンズ) 2.7SPG  J-Rich 14位 1.4SPG
ブロック:マーカス・キャンビー(デンバー) 3.6BPG  オカフォー12位 1.7BPG
FT成功率:ペジャ・ストヤコビッチ(ニューオーリンズ) 92.9% 
FG成功率:アンドリス・ビードリンス(ゴールデンステイト) 62.6%  オカフォー12位 53.5%
3P成功率:スティーブ・ナッシュ(フェニックス) 50.4%  マット・キャロル8位 43.6%
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2008年05月19日

TIP-OFF (47)

特に思い入れはないセルティックスとキャブスだから、早朝の生中継を最後の1時間だけ気楽に見ました。
印象に残ったのは、PJ・ブラウンの良い仕事っぷりと、キャブスって本当にレブロンの 1 on 1 頼みなのね〜という今さらな事実。でも、やはり決戦をライブで見るのは面白かったです。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第13章: Sweet Sixteen - 4


そうやって何年もタフなシーズンをくぐり抜けたあと、1984年の春は、フランチャイズの歴史にとって多少とも意気上がる時期だった。ユタ・ジャズはレギュラーシーズンを45勝37敗で終了し、2ゲーム差でダラスを押さえてミッドウェスト・ディビジョンのタイトルを獲得、プレイオフの1回戦も初めて突破した。1試合あたりの平均得点はリーグ5位の115得点。29歳のエイドリアン・ダントリーは、レイデンをイライラさせることもあったが、平均30.6得点を記録するリーグの得点王で、シュート成功率も56パーセントと高かった。ダレル・グリフィスは正真正銘のシューティングガードであり、アベレージは20得点。ドラッグ問題から立ち直ったジョン・ドリューは有能なスコアラーに戻り、ルーキーのサール・ベイリーとブロックショット王になったイートンがインサイドに十分なディフェンスを供給した。

それでも、これだけの成功と都市で唯一のプロチームというステータスにもかかわらず、1984年の春に、ジャズは必ずしも地元に定着したアトラクションではなかった。レイデン父子は、ホームアリーナであるソルトレーク・パレスでドラフトパーティーを催し、もう少し興味を喚起したいと願った。それはきっと素晴らしい祝典になるだろう。「当時のフランチャイズの人気は今と比べものにならなかったが、無料のホットドッグとコークで、2〜300名の人々にアリーナへ来てもらうことができた」と、スコット・レイデンは言う。ジャズの経営陣は、ドラフトの早い順位を電話でモニターし、ストックトンをどこにも盗まれなかったことで大喜びしていた。会場のファンにも各チームの指名選手が知らされ、程なく、16位の順番が来た。「あなたが発表したらいかがです?」と、フランク・レイデンはオーナーのバッティストーンに尋ねた。バッティストーンは勧められるまま、マイクロフォンへ進み、観衆に向かって、「今回、ユタ・ジャズはゴンザガ大学のジョン・ストックトンを指名する」と発表した。観客席から、丸められたホットドッグの包装紙や無料のコークの紙コップが飛んできた。ソルトレーク・トリビューンの担当記者、レックス・ヘンフィルは、何よりも観衆の不気味なほどの沈黙を強く記憶している。「ファンはジョン・ストックトンのことを全く知らなかった」と、スコット・レイデンは言う。「私たちが(TVアナウンサーの)ディック・ストックトンを指名したと思ったんだ」
バッティストーンは観客の反応に唖然となって退却し、フランク・レイデンに向かって、「どうして君が私に発表を任せたがったか分かったぞ」と言った。

しかし、他の人々はストックトンを知り、彼を求めていた。「数チームから金銭トレードを持ちかけられたし、うちは貧乏だった」と、フランク・レイデンは言う。「だが私は、『1巡目指名権をトレードしてはならない』というパット・ウィリアムズの言葉を覚えていた」
ストックトンを指名してから間もなく、ジャズのドラフト対策本部の電話が鳴った。相手はポートランドのスチュー・インマンGMだった。ストックトンを獲得するためにトレードアップを試みていたインマンは、「君たちはトレードのために彼を選んだのか?」と尋ねた。彼は、ジャズがもう一人ポイントガードを欲しがるとは思えなかったのだ。19位指名権を持つブレイザーズは、ファット・リーバーの代わりになるプレイメーカーがどうしても必要だった。ジャズよりもずっと。その話は忘れてくれ、とレイデンはインマンに答えた。たぶん、一つには、ストックトンが本物だということを知るために、インマンの判断を十分尊重していたから。「私は、ナイアガラ大学にぴったりな、有能で小柄なカトリック教徒の青年をつかまえたと思っていた」と、フランク・レイデンは言う。「自分たちがジョー・モンタナを手に入れたことを知らなかった。自分たちがカール・マローンというジェリー・ライスを手に入れることを知らなかったように」

やがて、バスケットボール関係者のささやきは正しかったことが判明する。分別が必要だったのはソルト・パレスの観衆の方だった。
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2008年05月18日

バイクレースへの情熱

今週末はカリフォルニア州でAMAレースですが、マイケルは行っていないらしい。
ドラフトの準備で忙しいのでしょうか。
ラリー・ブラウンさんに「100%のコミット」を念押しされちゃったしね。(^^;

今季スーパーストック部門で6戦中2勝したアーロン・イエーツのコメントによると、「彼が来るのは全レースの4分の3くらい」で、「自分に手伝えることは何でも言ってくれといつも言っているし、本当にオートバイが大好きなんだよ」とのこと。
4分の3も現地観戦しているのですね。

THE PRESS DEMOCRAT


ところで、神になってもいいよと言った途端、Kobe could be on pace to pass by MJ というコラムなんかあったりして〜。(笑)
以前だったらむきになって読んだのでしょうが、ま、言われているうちが華ってもんですよね。
――「次のマイケル・ジョーダン」は忘れろ。古い質問はもうすぐ、「誰が次のコービーになろうとしているか?」に変わる――とか言ってるうちはまだまだ。

それでもなんでも、スパーズが相手ならコービー応援しますから。
あらゆる手を尽くして勝利にこだわるのも1つの道だとは思うけど、それは覇道であって、昔のピストンズのように王道のベビーフェイスに倒されるのが宿命・・・というプロレスのような展開を希望。(^^)

posted by まき at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | バイク | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

ホーネッツ必勝祈願

私はサンアントニオの観客が嫌いなので、スパーズがホームで勝った試合は見ません。
だから、さっきYahoo! Sportsで Cheap shot, Bob? というコラムを読むまで、昨日の試合のことを知りませんでした。



は〜やっぱりね。
100歩譲ってオーリーのハードファウルは「This is Playoff!」だとしても(オーリーが嫌いな私に公平な判断はできないので)、サンアントニオの観客は最低〜。あんな場面でわざわざ「オーリー」コールをするなんて、人としてアウトでしょう。

マイケルがクリーブランドで活躍するようになったのは、ハードファウルを受けて倒れたとき、痛めつけられている自分を見て歓喜する観客にムカついたから、というような逸話はどこで読んだのだっけ…。(※)

次の第7戦、クリス・ポールが“神”になりますように。

・・・もしそれが叶わなかったら、スパーズとのシリーズ限定でコービーが“神”になってもいいよ。(^^;

(※追記:『スパイク・リーのバスケットボール・ダイアリー』でした。96年10月、スパイクとの会話の中で、「どうしても負かしたいチームはある?ニックスかい、ピストンズかい、セルティックスかい?」と質問されたマイケル本人が、「ファンのせい」でキャブスを1番負かしたいと答えています)

posted by まき at 18:03| Comment(4) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2008年05月16日

TIP-OFF (46)

英語って、英語って主語が多過ぎ〜。どうにもこうにも日本語にならず四苦八苦しましたが、ま、意味が通じればいいや、と観念。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第13章: Sweet Sixteen - 3


たぶん、フランク・レイデンのポジションが十分安全だったから、良く知られていない選手を指名する決断もできたのだろう。レイデンはフランチャイズの大黒柱の1人だった。300ポンドの体重と偉ぶったブルックリンのバックグラウンドにもかかわらず、手袋のようにチームにぴったりだった。「笑いは敗戦を楽にする」。ジャズで生き抜いた秘訣について、彼は常にそう説明するだろう。母親が出産直後に亡くなったため、生まれたばかりのフランクと2人の姉たちは、もとボクサーだった港湾労働者の父親の手で育てられた。プレーグラウンドでバスケットボールの腕を磨き、フォート・ハミルトン高校の頑丈なガードに成長したフランクは、ボールを手にするたびに撃ちたがるシューターとして知られた。それはコーチングにとって好ましいことではなかったが、バスケットボールの日程が教職員のストライキに脅かされた時期、初めてベンチでの仕事をもらった。レイデンは、地元のキリスト教青年団に所属するチームを同時にいくつも掛け持ちし、プレーとコーチをするようになった。自分の罪のない不誠実さを隠すために、ラッシュ・ラルーやハッピー・デイリーのような有名人の名前を借りて。

レイデンはニューヨーク州北部にあるナイアガラ大学から奨学金をもらい、ヒュービー・ブラウンとルームメイトになった。大学の1年生を指導してからコーチングのとりこになり、程なく、ロースクールに通う計画を断念した。その決断は簡単だったという。なぜなら、どこのロースクールからも入学を認められなかったのだ。大学卒業後はニューヨーク州パチョーグにあるシートンホール高校のコーチとなり、やがて、ナイアガラ大学に戻って、1968年から76年までコーチを務めた。1970年にはチームを初めてのNCAAトーナメントへ導いている。とは言え、レイデン本人は、実際にチームを率いたのはカルビン・マーフィーだと言うだろう。自分は任せていただけだと。レイデンには自虐的ユーモアがあった。それは、ジャズのように長年苦闘を続けるフランチャイズで、アシスタント・コーチ、コーチ、ゼネラル・マネージャー、チーム・プレジデントとして29年間運営に関わるために最適な資質だった。

ニューオーリンズでの1977−78シーズンは、彼にとって最も奇妙で最も不穏なシーズンだったろう。真のジャズ、アドリブ奏者のピストル・ピート・メラビッチが膝を壊した。オーナー株は持ち主が変わり、チームは移転を計画していた。そのシーズンが始まる前、1977年6月のドラフトで、レイデンはちょっとしたイタズラ心を起こし、チームの7番目の指名権をNBA史上初めて、デルタ州立大学の女子選手、ルシア・ハリスに使った。「その後、彼女の妊娠が判明したので、私たちは2人の人間をドラフトしたことになるのさ」と、レイデンは笑う。彼がドラフトでふざけたのはそれが最後ではない。1985年の7巡目では、個人的な好みでハーバード大学のキース・ウェブスターを指名している。レイデンはハーバードにバスケットボール部があるのかどうかも良く知らなかったが、ウェブスターはトレーニングキャンプで非常に好印象を与え、もしジャズにグリーンとストックトンがいなければ、ロスターにも残っただろう。「ピッツバーグであった最後のプレシーズンゲームで、カットする直前だった彼をキャプテンに任命し、マイケル・ジョーダンとマッチアップするところを写真に撮ってやったんだ」と、レイデンは回想する。「そのあと、私が悪い知らせだと思うことを告げると、彼は、『コーチ、気にしないで下さい。僕はハーバードを卒業して、UCLAのロースクールに行くつもりです。いつか、自分でチームを所有したとき、あなたのことを思い出します』と言ったよ」

1979年、ジャズはニューオーリンズから移転した。アリーナの賃貸契約を破らないようにスーパードームのドアがロックされる直前、自分たちの備品と共に逃走したのだ。フランチャイズはスポーツ史上最も不似合いなニックネームをそのままにした。当初はフランチャイズの名前を変える議論もあったが、共同オーナーのサム・バッティストーンは、賃貸契約を要求すると共に自分を盗聴したニューオーリンズの役人や政治家への変わらぬ不快感の象徴として、ニックネームとチームカラーを残すことに決めた。ソルトレークシティはメジャーなプロスポーツで最も小さなマーケットでもあり、レイデンは構想を絶望的だと思った。ソルトレークシティでの最初の4シーズン、彼の悲観はもっともに見えた。ユタ・ジャズは一連の災難とドタバタ喜劇の繰り返しに苦しみ、すべてのシーズンで5割をかなり下回っている。1979年10月15日、ソルト・パレスでの最初の試合で、レイデンは、自分がGMだけでなくサンドイッチマンの役割も演じていることに気づいた。大量の無料チケット配布にもかかわらず、開幕戦のアリーナは半分以上が空席だった。コミッショナーのローレンス・オブライエンに惨状を目撃されたくなかったレイデンは、ウエスト寺院へ向かう通行人を誰かれなく呼び入れるよう、大声で受付に命じたが、招待を受ける市民は少なかった。ユタに移った最初の3シーズン、ジャズの観客動員は平均7665人だった。早い時期の状況は非常に悪く、ファンから試合開始時刻の問い合わせがあると、「何時ならいらっしゃれますか?」と答えたくらいだ、とレイデンは言う。
posted by まき at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

ドリームチームのDVD

たかさんに教えてもらったドリームチームのDVD!

ドリームチーム 〜バルセロナ五輪 1992〜

DVD-BARCELONA1992.jpgAmazon.co.jp

7月25日発売予定

参考価格: ¥ 2,940 (税込)
価格: ¥ 2,264 (税込)

時間:182分

※本編映像(53分)は1996年に発売された「NUMBER VIDEO ドリームチーム イン バルセロナ 1992」(発売元:文藝春秋/ポリグラム株式会社)と同じものですが、特典映像及び収録音声は本商品に新たに追加されたものです。

ということで・・・

【映像特典】
計120分を超える特典映像を満載!
1.バルセロナ五輪バスケットボール男子決勝戦「アメリカ×クロアチア」+バルセロナ五輪バスケットボール男子表彰式:初ソフト化
2.練習シーン:初ソフト化
3."ドリームチーム”インタビュー:初ソフト化(インタビュー選手:ディビッド・ロビンソン/マイケル・ジョーダン/パトリックユーイング/クリス・マリン/ラリー・バード/チャールズ・バークレー/マジック・ジョンソン/クライド・ドレクスラー/クリスチャン・レイトナー)
特典映像の練習風景とインタビューは激レア映像でファン必携の1枚!

なんですと!?
練習シーンですよ、練習シーン!!きゃー♪練習シーンだけ120分でお願いしたい!(笑)
超嬉しい☆彡

たかさん、いつもありがとうございます!m(__)m
posted by まき at 21:07| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

よっしゃー!

あまりにも心配で、心配で、再放送が始まる前に結果だけ確認してしまいました。
これで安心して観戦できます。
でも、まだようやく第ニ関門突破という感じですかね…。

SI-WIooss.jpg今日はまたSI.comで気を惹かれる写真集をば発見。
約300回もスポーツイラストレーテッド誌の表紙を飾ったウォルター・ヨース・ジュニアが150枚の画像を選んで256ページの写真集に仕立てたということで〜。

一部がこちら → Walter Iooss Athlete

きっと私の知らないアスリートも登場するだろうと思いつつ、何が「欲しい」の決め手になったかと言えば、表紙に記載されているINTRODUCTION BY MICHAEL JORDANの文字。(〃▽〃)
こうやって置き場所もないのに本ばかり増えるのです。

Amazon.co.jp紹介ページ

posted by まき at 20:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

憧れ男性ちぇっく

やってみました。

まきさんの憧れの男性について
大人な顔立ちの真面目な感じの男性が好みなようです。

それでは次に、それぞれの項目について詳しく分析をしてみましょう。まず、雰囲気ですが、まきさんの場合落ち着きのある男性が好みのようです。ごく一般的な普通の男性です。
次に知的属性評価ですが、割と知的な男性が好みのようです。男は顔じゃない、学歴よ!という人に多く見られるタイプです。
そして、割と真面目な男性が好みです。小さい頃学級委員長などに憧れたのが初恋といった感じです。
男性の体型に関しては、中肉中背で良いよ。太ってたり、ガリガリじゃなかったら別に体型は気にしないよ。と言った感じです。

さて、見た目からみた男性的な傾向ですが、時に男らしい男性が好みなようです。昔、男子の制服姿にグッと来たタイプです。
次に顔的な好みですが、一見さっぱりしてそうですが、ハーフっぽい日本人にない顔が好みなようです
そして、相当大人っぽい感じが好みです。ガキは引っ込んでろ!と言わんばかりの大人好きです。一まわり上でも全然付き合える感じです。

そんなあなたにオススメなのは…

1位 佐藤浩市 (274.8点)
2位 平井堅 (273.6点)
3位 阿部寛 (267.4点)

【 憧れ男性ちぇっく http://checker.from.tv


[相当大人っぽい感じが好みです。ガキは引っ込んでろ!と言わんばかりの大人好きです。一まわり上でも全然付き合える感じです。]

ウハ〜これピッタリ。ただ、今の年齢になると、ひと回り上はちょっときついかも。(^^;
知的な人は好き。でも、[顔じゃない、学歴よ!]とは思わない。学歴と知性は別だし。
あと、真面目なばかりじゃつまらないと思ってますけどね〜。
それから、憧れの体型が中肉中背ってことはないッス。背が高くて肩幅の広い人が憧れです。ドラゴンボールだったらピッコロ(大魔王じゃない方ネ)が1番好きです。(笑)

ということで、佐藤浩市はけっこうイイ線かも。阿部寛はちょっと細すぎ。
で、何と言っても マイケル・ジョーダン にとどめを刺しますね♪

※「憧れ女性ちぇっく」もありましたヨ。
posted by まき at 21:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする
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