2008年08月31日

TIP-OFF (70)

半袖では肌寒いくらいの日が続いたり、毎日毎日雷とスコール続きの変な8月が終わりますね〜。何だか最近、大して暑くもないのに夏バテ気味です(のに、夏痩せはしてくれない…)。やっぱり夏は夏らしい方がいいかも。猛暑でなければ…という条件付きで。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第16章:After the Fall - 2


契約から2日後、ブーイはトレーニングキャンプへ参加するためにポートランドにいた。これは特にブレイザーズにとって重要なことだった。なぜなら、昨シーズンは、ドレクスラーが契約を保留してトレーニングキャンプを数週休んだせいで、アジャストするのに予想以上の時間がかかったのだ。ブーイは、すぐにチームに貢献できると語った。ブロックショット、リバウンド、速攻の鍵になるといった、ケンタッキー大学時代と同じような役割を求められると考えたからだ。「自分はボールを奪って得点できる誰かに渡す」と、いかにも彼らしい控えめな目標を立てつつ。

そのわずか5日後、ブーイは故障した。チームメイトとのスクリメージで、相手の肘が肩甲骨の間に当たり、肋骨にひびが入ったのだ。この夏の間、ラムジーはブーイと3回面談し、体力強化のための綿密なウェイト・プログラムを与えた。それは役に立たなかった。そして、ブレイザーズの医師によるドラフト前の7時間のメディカル・テストは、今や絶望的に不十分に思えた。それがブーイのもろい骨を完全に予告できたわけではなかった。ただ、今回の怪我はすぐに回復したが、これからの問題に関して、残念で正確な前兆だった。

世間はしばしば、このケンタッキー大学のセンターがかなりの期間(1シーズンだけでなく)、堅実なドラフトピックだったことを忘れる――ブーイ本人は決して忘れなかったが。2週間後に肋骨骨折から復帰したとき、ブーイのリズムは狂っていたけれど、体と心は意欲的だった。11月初旬のある試合で、彼はカリーム・アブドゥル・ジャバーを相手に恥をかく。前半だけで17対0、最終的に27対4と得点で大差をつけられた。とはいえ、自分は学んでいるところだ、と彼は言った。とにかく時間が必要だ。「自分でもこの結果は気に入らないけれど、カリームがリーグにいる16年間で、他の誰も彼を止めていない。だから、自分には良い仲間がいると言えると思う」と、当時のブーイはクリスチャン・サイエンス・モニターのインタビューで語っている。

それに、僕は自分がこれから上達することも知っている。怪我のせいでトレーニングキャンプに参加できなかったことは、ルーキーのスタートにとって望ましい状況ではない。少なくとも、その間に新しいチームメイトについて知るべきことの一部を学べるわけだからね。今は、プレーしながらそういう知識を身につけなければならないし、同時に勝つことも考えなければならないので、ちょっとためらいがちかもしれない。ルーキーとして最初に感じたことの1つが、リーグ全体のレベルだ。ここまで対戦したセンター全員が、大きくて、力強く、ゲームについて僕より賢明だ。大学時代には、たぶん1人しか7フッターと対戦していないが、NBAには7フッターがゴロゴロいるんだ。

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2008年08月30日

108/200

今月のHOOPが創刊200号記念特別号だったので、何年ぶり?で買いましたよン。
表紙のイラスト、MJよりアイバーソンの方が大きいのは日向武史さんの好みなのか、時代の趨勢というものなんでしょうか? ざっと数えたところ、ここ何シーズンかは全然買っていないけれど、それでも108冊持ってます。

あと、最近のYouTubeの収穫。「やっぱ若いな〜♪」と10年前の麗しさを愛でました。98年のファイナル第5戦の試合前に放送されたインタビューらしいので、内容はたぶんこちらかと。





posted by まき at 19:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

TIP-OFF (69)

日本語がぐちゃぐちゃだけど、文章を整えるほど興味がない。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第16章:After the Fall - 1


サム・ブーイは、NBA史における居心地の悪い自分の境遇に、ほんの少しも恥ずかしさを感じていない。自分は史上最悪のドラフト選択などではない、それどころか、あの特別な1984年のドラフトでマイケル・ジョーダンより先に選ばれる権利を得たプレイヤーだと考える方を好む。

「信じられないかもしれないが、私は今でもそれを賛辞として受け取る」と、ブーイは言った。「それに、大方の人の見方もそうではないかと思うんだ。倒れた人を蹴る人間はいないよ。私の足の故障がぶり返すことは誰にも分からなかった。マイケルがあのような選手になることを知る人もいなかった。自分の名前が彼と一緒に語られるのを聞くと、彼より前にドラフトされたことでお世辞を言われている気分になるんだ」

およそ20年間、ブーイは晩餐会やバスケットボールの試合やコメンテーターとして出演した放送で同じことを言い続けてきた。彼は魅力的でも別格でもなかったが、ポートランドでの4年間と10年間のNBAキャリアは間違いなく立派なものだ。問題は最初からあった。契約交渉は予想より多くの時間を必要とし、どちらの側が希望した期間より数週間も長く続いた。ブーイの代理人、ラリー・フライシャーは、ポートランドからFAになったジム・パクソンの代理人でもあり、ブレイザーズが他チームからパクソンへのどんなオファーにもマッチすることができて、複雑なサラリーキャップのルールに拘束されないままでいられるように、まずブーイを先に契約してもらう必要があった。パクソンとの再契約が先になれば、ブレイザーズはサラリーキャップを超過してしまい、ブーイには最低保証額の7万5000ドルしかオファーできなくなる。プロセス全体が定期的にスケジュールされたリーグ・ミーティングによって滞り、フライシャーがアラン・ローゼンバーグ(不思議なことに、まだサンディエゴ・クリッパーズのプレジデントだったブレイザーズの弁護士)との話し合いの要点に入るには、さらにしばらく時間が必要だった。正反対の暗示をほのめかしていたにもかかわらず、フライシャーは、1年契約しか結ばないまま自分のクライアントにフリーエージェント市場を試させたくなかった。ブーイのすねの運命を誰が知るだろう? 複数年の保証は重要だった。「地元の人々にどう思われているか少し心配だった。サムは契約を保留する気か? 秋のキャンプに参加できるのか? と思われていないか」と、ブーイは回想する。「良くない意味で注目されたくなかった。僕自身はいつでもチームに加わる準備ができていたし。ただ、自分の契約を交渉してもらうためにラリー・フライシャーのような男を雇っているわけだから、彼の言うとおりにするしかなかったんだ」

交渉は長引いた。1位指名のオラジュワンと3位指名のジョーダンは、先にヒューストンやシカゴと契約をまとめていた。ブーイには個人のフィナンシャル・アドバイザーがいたことも交渉が長引く一因だった。1984年9月25日、ブーイはようやく、6年約500万ドル(その当時は大金)の契約に合意した。当時、ルーキーとして1年当たりのサラリーでブーイを上回ったのは、オラジュワンとラルフ・サンプソンの2人だけである。「時間の問題だということは分かっていたよ」と、ブーイはレキシントンの自宅でAP通信社に語っている。「僕はとにかく電話が鳴るのを待っていた」
posted by まき at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

1番になる。

高校最後のシーズンが終わるまでにイリノイ州でトップの選手になる!という意気込みらしいマーカスのインタビュー記事をざっと。

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(Photo by: Scott Powers/For the Sun-Times)

Chicago Sun-Times (動画あり)  フォトギャラリー

この夏、一貫したシュート力を身につける必要があると自覚したマーカス・ジョーダンは、ミドルショットの改善に取り組んだ。
そして、8月のJoy of the Gameで次々にシュートを決め、国中から集まったコーチやスカウトに自分のシュート力を示した。
すでに優秀なドライブ能力とそのジャンパーを合わせたら…
「今の僕はまったく別のプレイヤーだ」と、ジョーダンは言った。

改善されたジャンパーへのプロセスはジムでの長時間の練習で始まり、ポール・ピアースやレブロン・ジェームズのキャンプに参加したことでさらに上達した。
「ポール・ピアースやレブロンのキャンプで、自分のゲームに取り組む手助けをしてもらった。オープンになる方法を学び、ジャンプショットを決めることで今までより簡単にバスケットへ到達できることを知ったんだ」

ジョーダンはまず、キングウッド・クラシックで自分の進歩を確認した。オクラホマ大学へ進学するトミー・メイソン・グリフィンとマッチアップし、グリフィンの18得点に対して、すべてジャンパーで16得点をあげた。
しかし、この夏のピークはAAUのピーチ・ジャム・クラシック・トーナメントである。ライジング・スターズのコーチ、ブライアン・デイビスは、「ここでアクションを起こすんだ」と、ジョーダンを励ました。
ジョーダンは理解した。
「僕は世の中に自分と自分の名前を知らしめたかった。対戦する相手は全員やっつけたかった。そして、確実にメッセージを残したと思う」
全試合で20得点以上を記録し、ジョーダンはほとんどの関係者に強い印象を与えた。メイソン・グリフィンや、もっとランクが高いジョン・ウォールとのマッチアップでも引けを取らなかった。
「ピーチ・ジャムでの彼は本当に自分を主張できたと思う」と、デイビスは言う。「さまざまな方法で得点ができるから、ガードするのが難しい選手だ。ゲームのあらゆる面で成長したと思うよ」

ジョーダンとデイビスが驚いたことに、ピーチ・ジャムでの成功にもかかわらず、メジャーな大学からの関心は増えなかった。新しい勧誘は来ていない。
今のところ、ジョーダンのリストは、トレド大学、ネブラスカ大学、アイオワ州立大学とマイアミ大学フロリダ校などだ。
「たくさん電話がなかったことに驚かされたけど、まあいいよ。僕は自分が一流大学にふさわしい選手だと確信している。それを証明したい」
兄のジェフと同じようにイリノイ大学へ進学するのでは?という噂もあるが、ジョーダンは兄の後を追うつもりはない。
「イリノイは進学希望先に入っていない」と、ジョーダンは言った。「僕は自分の学校へ行って自分の状況をクリエイトしたい。ジェフと同じ学校へは行きたくないんだ」


posted by まき at 20:56| Comment(3) | TrackBack(0) | ファミリー | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

月曜日のこと

母校のノースダコタ大学から名誉博士号を授与されたフィル・ジャクソンが、学生や教職員やOBとの集会で、「これまでにコーチした最高のアスリートは誰ですか?」と質問され、MJでもピペンでもコービーでもシャックでもなく、「デニス・ロドマン」と答えたそうです。
「彼は48分間プレーすることができたし、たぶん、ゲームの最初より48分めの方が精力的にプレーできただろう。とんでもなく素晴らしいアスリートだった」

Orange County Register

●ブレイザーズのセンターだったケビン・ダックワース氏が死去。
バスケットボール・クリニックを開く予定だった月曜日の夜に倒れているところを発見されたそうで、まだ死因は不明。享年44歳。(合掌) 
Yahoo! Sports (AP)

追記:死因は鬱血性心不全を伴う肥大型心筋症。シカゴ・トリビューンによると父親と兄弟も同じ病気で亡くなっているそうです。(Chicago Tribune

●ロス五輪の代表メンバーでもあり、NBAを引退してからジャズミュージシャンとして成功したウェイマン・ティズディル氏(44歳)が、骨肉腫のため右脚の一部を切断。
Yahoo! Sports (AP)

2人とも現役時代のプレーをリアルタイムで見た記憶はあやふやなんですが、ダックワースは92年のファイナルで対戦しているし、ティズディルもサンズ時代にバークリーと仲が良かったんじゃないかな…。MJと同世代でもあり(2人とも1964年生まれ)、驚きました。


あと、シカゴ・トリビューンを辞めたサム・スミスに続き、ジェイ・マリオッティもシカゴ・サンタイムズを退職とのことで。ブルズはもうデリック・ローズのチームだし、なじみのコラムニストがいなくなると、ますますシカゴと縁遠くなる感じ〜。
posted by まき at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

TIP-OFF (68)

例のストーカー女性、「裁判所の命令に従います。もうつきまといません」という誓約と引き換えに、金曜日の夜、10日ぶりに釈放されたようです。で、さっそく、収監は「厳しくて」「非道」であると主張し、今後もジョーダンが自分の息子の父親であることを証明するために戦い続けると断言した・・・シヌマデイッテロ。

Erie Times

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第15章:Not Twins at All - 8


4年間一緒にプレーしたあと、オラジュワンとサンプソンの歩んだ道は大きく異なる。サンプソンの進路は、至るところで嘆かわしい結末につながる厳しい道だった。1988年にゴールデンステイトへトレードされてから、プレーしたのはひどいチームばかりで、膝の不具合も度重なり、失敗など考えられなかったキャリアは精彩を失った。NBAでの最後の4シーズン、サンプソンの平均得点は、6.4から4.2、そして3.0、最後には2.2まで落ち込んでいる。さらに、引退後はもっと悪いことが続いた。近代のNBA選手が現役時代に稼ぐ莫大な金額は、引退後も贅沢な生活を保証するように思わせる。にもかかわらず、サンプソンは、バージニア州北部に住む2人の母親の2人の子供に対して裁判所が命じた30万ドルの養育費を支払うことができず、2005年にリッチモンドで有罪を認めた。判決を下される前の2006年、サンプソンは偽証容疑で起訴されている。検察官によれば、当時46歳のサンプソンは、養育費に関する取調べ中に嘘をついた。2つの会社の相談役や広告契約と、スポーツ用多目的車のオーナーシップによる所得を隠していたとされる。サンプソンは保釈金を払って釈放されたが、旅行を制限された。2006年9月、郵便詐欺への有罪答弁と引き換えに、連邦検察官は偽証と不当な要求の容疑を撤回した。サンプソンは禁固2ヶ月を宣告された。

オラジュワンは慈善事業に忙しく、寄付を通じてヒューストンにモスクを設立する支援もした。2005年2月、そのモスク Islamic Da'Wah Center は、アメリカ政府がアル・カイダや他のテロ組織とつながりがあると主張する Islamic African Relief Agency や Holy Land Foundation for Relief and Development を含むチャリティーに8万ドル以上の寄付をしていたことが明らかになった。オラジュワンはこの報道にがくぜんとし、そのような関係について何の認識もなかったことを表明するために、ヨルダンのアンマンから記者たちと40分の電話会談を行った。彼は、資金は医療と学校を目的とするものだったと述べた。

自分の名前がテロリズムと関わることに結び付けられるのは受け入れがたい。2000年に彼らが資金を集めていたとき、我々はテロリストのことなど何も知らなかった。あの件は、我々の納税申告で公表されたものであり、何も隠しごとはない。極めてオープンで明らかなことだ。アンダーグラウンドなことは何もない。慈善援助組織のための資金集めだった。彼らの仕事やパンフレットを確認したら、長年そういう活動を行っている組織で、政府からも認可されていた。政府の認可があるから、さまざまなコミュニティに基金集めを訴えることもできたわけだ。我々は、募金した金のほとんどが団体の運営費に使われるようなところへは寄付したくない。

電話会見を終えると、オラジュワンは自分の勉強と私生活に引きこもった。2006年8月には、日本での世界選手権に備えるナイジェリア代表チームの指導を手伝うためにヒューストンへ戻り、12名のチームを招待して3日間の個人指導を行っている。オラジュワンは今、アメリカ国民であり、ヨルダンを本拠地とし、アフリカの母国を持つ、3つの大陸の世界人である。


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2008年08月25日

集まった人たち

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(Photo by: Cheryl V. Jackson Chicago Sun-Times)

シカゴ・サンタイムズの記事によると、Jordan Heads の撮影でユナイテッドセンターのジョーダン像に集まったファンは約150人らしいです。

Chicago Sun-Times

コレクションのために3つの仕事をかけもちしているシカゴの17歳とか、子供のコレクションのために特別な保管室を建てたお母さんとか、402足のジョーダン・シューズをコレクションしている地元の男性などがインタビューを受けたそう。
撮影の合間には参加者同士で互いのシューズを褒め合い、ある参加者は来月まで購入できないはずのFusion 3を履いていて注目の的となり。ユナイテッドセンターからブルズのスタッフも出てきて参加したりとか。
完成は来年の予定。製作者のカルバン・ファウラー氏は、「ポップ・カルチャーとかマイケル・ジョーダンやスニーカー全般に関心がある人なら誰にでもアピールする映画のはず。すべて自分の資金で制作した。完全に自分が好きだからやったことだ。家も2回借り換えたよ」

サンタイムズのフォトギャラリー  ★Flickrへの投稿
posted by まき at 20:44| Comment(5) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

米バスケ男子代表チームのCM

宮地陽子さんがブログで紹介されていた、マービン・ゲイの国歌斉唱と代表チームの練習風景をコラボレーションしたナイキのコマーシャルはこれなんですね。


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2008年08月24日

TIP-OFF (67)

スペインの頑張りで決勝戦が面白くなって良かったデス。
ただ、バスケットボールは一度も地上波での放映がありませんでしたね〜。
そりゃ、日本のバスケットボールは弱いけど…。弱いから誰にも省みられないし…。
星野JAPANとか反町JAPANとか、叩かれているうちが華ですよ。(^^;

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第15章:Not Twins at All - 7


オラジュワンの変化は明らかだった。彼は今、以前より大きなプレッシャーにさらされながら、以前より穏やかで頼りになる落ち着いたリーダーだった。フィッチは去った。サンプソンも去った。オラジュワンは、新任コーチのルディ・トムジャノビッチや新しいチームメイトと一緒に、ジョーダンが引退による不在の1994年と復帰したばかりの1995年に2度のNBA優勝を勝ち取る。ヒューストンで17年間プレーしたあと、トロントへ移籍して不遇な1シーズンを過ごし、1238試合に渡るレギュラーシーズン出場で、1試合平均21.8得点、11.1リバウンド、3.1ブロックという成績を残して引退した。

オラジュワンは1993年に帰化してアメリカ市民となり、1996年のアトランタ五輪で米国代表チームの一員として金メダルを獲得している。2002年に現役を引退したあとは、家族をヨルダンへ移して多くの人々を驚かせた。今、ヒューストンへ戻るのは夏の間だけだ。「1996年からヨルダンを訪れるようになり、いつも楽しく過ごしてきた」と、最近になって本人は説明している。

ヨルダンは6週間の集中アラビア語講座に出席するための夏の家だった。私はずっと、引退したあとでチャンスがあれば、フルタイムで勉強を続けたいと言い続けてきた。私の一日は、たぶん多くの人々の一日と同じだろう。子供たちを車で学校へ送り、自分の授業に通う。規則正しく運動して、電子メールをチェックし、宿題をする。また、ヒューストンへ戻り、自分のビジネスを管理するために時間を費やしている。

posted by まき at 19:37| Comment(2) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

刑期延長

たった1週間で「服役」や「刑期」とは言わないか?
とにかくまぁ、先週の水曜日に郡刑務所に収監された例のストーカー女性ですが、裁判所の接触禁止命令を守るという誓約書を提出したものの内容が不十分ということで、まだ釈放は許可されず、もう一度「四の五の言わずに」裁判所の命令に従うという文書を提出しなければ、このまま2〜6ヶ月の刑期を務めることになるだろうと。

msnbc.com (AP)

★flickrにマイケルの画像がまとめて投稿されていたんですけど、これなんか初めて見ました。母性愛を刺激されます。(^^;

greft.william's photostream

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2008年08月22日

Michael meets Michael

子供の頃、ゲータレードのボトルにプリントしてあるマイケル・ジョーダンの手形と自分の手を比べてみたりしていたマイケル・フェルプス。
今度はその手と握手ができそうだ。
フェルプスはジョーダンに会いたいというコメントを何度も繰り返した。
そして、ジョーダンはメッセージを受け取った。
ジョーダンの広報担当によると、「マイケル(ジョーダン)は光栄に思っており、お会いするのを楽しみにしています」
今はフェルプスのエージェントとコンタクトを取り、連絡を待っているところだという。
フェルプス本人とエージェント(オクタゴンのピーター・カーライル)は旅行中で連絡がつかない。オクタゴンのスコット・ホーナーは、ジョーダンが関心を示したと知ったら、フェルプスは興奮するだろうと答えた。

AP

おとといの夜と昨夜は男前!な上野投手の力投に見入っていたので、『TIP-OFF』が全然進まず、こういう小ネタがありがたい。(笑)

ソフトボール日本代表チーム、金メダルおめでとう!

あと、ベッカムが閉会式の五輪旗引き渡しセレモニーに出席とか。
だから、その次はシカゴ五輪に決まって、期待させてほしいのです。(^^)

それにしても、アメリカはリレーで何回失敗すれば気が済むんでしょーねー。
posted by まき at 20:21| Comment(6) | TrackBack(1) | MJ | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

ドキュメンタリー映画

今週の土曜日正午、数百人(数千人?)のエア・ジョーダンファンがユナイテッドセンターのジョーダン像に集合して、"Jordan Heads."というドキュメンタリー映画の最終シーンを撮影するのだとか。(chicagoist.com

制作4年。宣伝文句は「最も楽しみに待たれていたスニーカー・ドキュメンタリー」
世界の有名コレクター、ハリウッドのエンターテイナー、NBA選手、ヒップホップスター、ジャーナリスト、ブランド・マーケター、その他の有名なスニーカー愛好者が登場し、エア・ジョーダンが引き起こした社会現象やポップ・カルチャーへの影響に注目。
土曜日の撮影では、同じ場所で同時刻にエア・ジョーダンを履いている人数の世界記録樹立を狙っているそーデス。で、現在の記録はシカゴの中学校が1990年ごろに樹立したものらしい。(そんな記録があるんだ)

公式サイト 『この映画はスニーカーへの情熱と敬意と愛情を共有する人々に捧げる』

★ショーン・マリオンも登場するプロモーションビデオ(か?)


だから何?ですけども…。(^^;
posted by まき at 20:29| Comment(4) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

TIP-OFF (66)

いつのまにか8月も下旬になり、さすがに暑さも盛りも過ぎた感じで、夜はクーラーが要らなくなりました。そうなると少し寂しいのも毎年のこと…。外から帰って、シャワーで汗を流して、ユニクロのルームウェア1枚になって、冷たいダイエットコークをぐびぐびっとか。
また今年も生命満ち満ちる盛夏が終わるかぁ。(とか言ってると強烈な残暑ありがち)

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第15章:Not Twins at All - 6


「NBAの歴史は書き換えられた」と、元ダラス・マーベリックス人事担当重役のリック・サンドは言う。「うちは健康なサンプソンに勝てなかった。ツインタワーとの対戦では3勝17敗くらいだからね。しかし、サンプソンは怪我のせいで期待されたような選手になれなかったんだ」
フランチャイズが大騒動の渦中で、オラジュワン自身もまた、手に余る存在だった。「気が荒くて、クレイジーで、テクニカルファウルの多さはリーグ屈指だった」と、ブラインベリーは言う。「彼は『大ばか野郎』だったよ。今にも誰かを殴ってリーグから消えそうだった。MVPへの変身は、何よりも宗教的な目覚めが深く関わっていたと思う」
それは突然の変化でも天啓の変化でもなかった。オラジュワンはゆっくりと、真摯に、自分の家族やカルチャーにふさわしい姿を見出していったのだ。「私はイスラム教徒の家庭で育ち、両親は非常に信心深い人々だった」と、オラジュワンは最近、ヨルダンの自宅でそう著している。

当時の私は、宗教は「年寄り」のためにあると考える年代だった。若い頃は誰でも、英国や米国で勉強することの方に憧れるはずだ。宗教は若者の関心ごとではなかった。信心深い若者は「クールじゃない」と思われた。自分が宗教に真面目になろうと決めたのがいつだったか、はっきりと覚えていないが、プロ入り後数年たってからだと思う。イスラム教は生活様式であり、自分の宗教についてより多くの知識を得る機会があるようになれば、そういうライフスタイルを送って宗教の義務を果たすこともより容易になった。その知識はまた、忍耐と寛容の重要性を教えることによって、私のふるまいにも役立った。

チームをカバーしている記者たちにオラジュワンの変化が最も明らかになった瞬間があるとしたら、それは、彼が「Akeem」という綴りを使わないと決めたときだ。オラジュワンは、ヒューストンに滞在していた両親に新聞で正しい綴りを目にしてほしいと考えた。ブラインベリーが記者室で当日の試合の記事を書いていたとき、ロケッツの当時のPRディレクター、ジェイ・ゴールドバーグがやってきて、居合わせた記者たちに、オラジュワンの名前は「Akeem」でなく「Hakeem」であることを通知した。最初からそちらが正しい綴りだったのだが、オラジュワンは間違った綴りを許していたのだ。そもそも、名前の頭の「H」は非常に弱く、ほとんど発音しない。「Hakeemはコーランが語源で、AkeemはHakeemの発音を間違えて綴っただけなんだ」と、オラジュワンは説明した。「自分もコーランを詳しく勉強するようになって、綴りを訂正することに決めた」
Hakeemはアラビア語で「賢人、博士」を意味する。Akeemには何の意味もない。1991年にスペルを変更したとき、オラジュワンは「大したことではない」と言った。

「ただ原語の綴りを使うことに戻りたいだけだ。Akeemというのは、多くの人が僕の名前を英語に翻訳するときの習慣みたいなものだけれど、ナイジェリアにいた頃も高校の教師にスペルを間違えられたことはあるんだ。ヒューストン大学で最初にAkeemと綴られたときは、別に気にしなかった。だけど、帰郷すると、どうして名前を変えたのか母に聞かれて。ずっと、変更するのはすごく面倒なことだろうと思っていたんだけどね」
面倒なことはまったくなかった。記者たちは「Hakeem」と書き始め、それだけのことだった。変更に苦労したのは、少なくともしばらくは、オラジュワンだけだった。彼はしばらく、習慣で「Akeem」というサインを続けていた。
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2008年08月19日

昨日の続き

マイケル・フェルプスの会見動画:MJのイメージ映像挿入。

●Yahoo! Sports にも『Dream Team or Redeem Team? 』というコラムがあったので、チラッと読んでみたところ、ニューヨーク・ポストのマイク・バッカーロというコラムニストが最初に「ドリーム・チームより優れている」という議論を持ち出したような。
で、今日のコラムが昨日のコラムとまったく違う内容なら訳してみようかと思ったんですけど、結論は同じだった。まあ、普通そうだよね。
MJファンとしてのツボは再び――

何かがオリジナル・チームのアドバンテージに永久にバランスを傾けるなら、それはMJだ。1992年の夏、彼は29歳で、6度のNBA優勝と5度のMVPの真っ最中にいた(1年半の野球の道を選ばなければ、その数字はもっと伸びたかもしれない)。
彼は、紛れもなくゲーム史上最高の選手であるだけでなく、恐らく最も偉大なクラッチタイム・プレイヤーであり、さらに、ビル・ラッセルと並んで、とにかく勝つ方法を見つけることに最も長けていた。試合が最後のショットで決するとき、誰が彼の負けに賭けるだろう?
コービー・ブライアント、レブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイドはMJに一歩遅れをとる。
しかし、ジョーダンをディフェンスするコービーという考えは興味をそそる。
反対に、1992年のチームにはレブロンのような身体的な怪物がいない。とはいえ、レブロンに対するスコッティ・ピペンというマッチアップはとんでもなく素晴らしいだろう。

――そして、『全盛期のユーイング&ロビンソン&バークリー&マローンというインサイドに著しいアドバンテージがあり、勝負はそこで決まるだろう』とも。

ま、本当に『夢の』対戦だと思いますけど。
本気モードで戦うドリーム・チーム・・・夢ですね〜。


posted by まき at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

Dream Team vs. Redeem Team

マイケル・フェルプスが今1番会いたい人は、マイケル・ジョーダンとタイガー・ウッズなんだそうです。ナイキがすぐにも会わせてくれるっしょ。
Yahoo! News (AFP)  nbcolympics.com (AP)

ところで、今回のTeam USA の強さに、アメリカ国内では「Dream Team とどちらが強い?」という議論が白熱しているんだとか。ホント、何でも比べるなあ。
「違いはジョーダン」というカンザスシティー・スターのコラムがシカゴ・トリビューンにもシャーロット・オブザーバーにも転載されていたので、ま、ざっと。

Dream Team vs. Redeem Team: Which is better?
Jordan makes the difference
By Joe Posnanski
The Kansas City Star
Posted: Sunday, Aug. 17, 2008

一見したところでは話題にすることさえおかしく思えるかもしれない。ドリーム・チームには史上最高の50人のうちの10人がいた。そして、あなたが史上最高のチームを選ぶとしたら、マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、ラリー・バードから始めるのではないだろうか。

対戦相手は試合後にサインをねだり、記念撮影を頼んだ。ドリーム・チームは、相手が負けたことを誇りに思うほど優れていたし、そんなことはもう二度と起こりそうにない。

今年のチームはまったく異なる世界でプレーしている。近頃の対戦相手はアメリカチームと写真を撮ることになど興味がない。彼らは勝つことに興味がある。

そして、世界は米国バスケットボールの層の厚さに追いついていないが、偉大な選手の存在は層の厚さを打ち負かすことができる。今、中国には姚明が、アルゼンチンにはマニュ・ジノビリが、ドイツにはダーク・ノビツキーが、スペインにはリッキー・ルビオ(2009年のドラフトで1位指名されるかもしれない)がいる。彼らはアメリカのチームを恐れもせず、感銘も受けない。

だから、リディーム・チームは異なる強さと異なるフォーカスでプレーしなければならない。そして、ここまで彼らはそうした。ひたすら敵を追いかけ、2004年の大惨事に触発された獰猛さで、名将マイク・シャシェフスキーに鍛え上げられたタフネスで、プレーしている。今回、彼らは負けないだろう。

現在のチームにはドリーム・チームのようなスターパワーはない。世界的なオーラがあるのはコービー・ブライアントとレブロン・ジェームズだけだ。今のところ、殿堂入りが確かなのは、その2人とジェイソン・キッドだけだろう。

しかし、それはリディーム・チームに対する第2の議論を導く:彼らは若い。彼らはハングリーだ。これからもっと良くなる。1992年当時、ラリー・バードは35歳で引退間近だった。マジック・ジョンソンはほぼ33歳で、NBAから1年以上離れていた。ドリーム・チームで25歳以下は、ベンチに座って経験を楽しむために加えられた大学生のクリスチャン・レイトナーだけだった。

今年のチームには25歳以下が6人もいる。クリス・ポールは23歳ですでに世界最高の選手の1人だ。そして、もちろん、レブロン・ジェームズも。

若い選手たちは証明すべきことが多く、リディーム・チームはドリーム・チームより高いエネルギーレベルでプレーし、ドリーム・チームよりすさまじいディフェンスをし、ドリーム・チームには必要なかった目的意識を持っている。

それは魅力的な議論だ。個人的にはドリーム・チームがリディーム・チームに勝つと思う。まず、彼らにはより多くの勝ち方があった。リディーム・チームは素晴らしいチームだが、スローダウンされると最高の力を発揮できない。彼らは強さとプレッシャーとディフェンスと目的意識で勝っている。

ドリーム・チームはもっと多彩だった。マジックのリーダーシップ、バードの存在感、バークリーのパワー、デヴィッド・ロビンソンのバスケットの支配力、クリス・マリンのシューティング、ジョン・ストックトンからカール・マローンへのパッシング・・・あのチームは考えられるあらゆる方法で相手を負かすことができた。

2つ目の、大きな理由はもちろん、マイケル・ジョーダンだ。1992年、彼は全盛期にいた。史上最高のバスケットボール選手だと私は思う。彼は単に偉大なだけでなく、自分のチームを優勝させた・・・どんなことをしても。得点し、リバウンドし、相手をシャットダウンし、トラッシュ・トークをし、支配した。

結局、私は彼が違いだと思う。コービー・ブライアントはすごい選手だし、リディーム・チームの良きリーダーである。しかし、ジョーダンが彼の頭に入り込み、ドリーム・チームは勝つ方法を見つけると思う。

もちろん、白熱した議論が続くという事実は、強いアメリカが戻っているという良いしるしだ。

・・・あんまりざっとにならんかった。訳がざっと。(^^;
posted by まき at 21:14| Comment(3) | TrackBack(0) | NBA | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

9秒69

北京五輪陸上男子100メートル決勝のウサイン・ボルトの衝撃に言葉もないです。
も、ブログに書く気力まで奪われたけど(^^;記録。


最後まで全力疾走せずに9秒69のブッチギリ圧勝ってなんですのん。
200メートルも4×100mリレーも楽しみ!

そして、やはりプレッシャーに弱かったアサファ・パウエル…。
愛しいなぁ。(笑)

やっぱりかけっこが1番面白い!
でも、カール・ルイスやマイケル・ジョンソンの追っかけにならなかったのは、私が面食いだからでしょーか。

※追記:9秒96と打ち間違えていた・・・バカ!
posted by まき at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

プレイバック:東京2004

陸上競技の放送が始まる前にUPしておこうっと。
しかし、Michaelと言えばフェルプスなのは、今なら当然だと思うんですけど、「マイケル・フェルプスは史上最高のアスリートか?」て、アメリカのマスコミも相変わらずですねー。水泳選手とゴルファー(もちろんタイガー)やバスケットボール選手をどう比較するんだか。そういえば、ランス・アームストロングがツール・ド・フランスを7連覇したときも無意味な比較をしたがっていたけどなぁ。とりあえず、Michael Jordanで検索するとMichael Phelpsがズラズラです。

じゃ、またこちらで。
posted by まき at 19:46| Comment(4) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

プレイバック:香港2004

大掃除の原因だった来客(身内)とお盆の墓参り。で、沖縄旅行の間だけペットのカメを預かったんですけど〜カメってどこが可愛いんスか?(^^;

今日も時間がなかったのでアーカイブのアジアツアー第2弾で。
こういう同行レポートは、記者の主観なんか排除して徹底的にマイケルの動向を報告してくれる方が嬉しいんですけどね〜。

今回も長いのでこちらで。
posted by まき at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

自業自得

ま、ようやく、一応、マイケル関連のニュースなんですけども。

ミードヴィル在住のリサ・ミセリ(35歳)が、またもや、いかなる接触も禁じられているジョーダン側の弁護士に「脅迫的で下品なメッセージを3通残した」と訴えられ、水曜日の審問で法廷侮辱罪による7日間の服役を命じられ、ただちに手錠をかけられてクロフォード郡刑務所に移送されたとのこと。
法廷侮辱罪を回避するためには、精神鑑定を受け、裁判所の命令に従うという文書を提出するよう求められていたわけですが、「私は自分の息子がマイケル・ジョーダンというひどい父親に裏切られていると心の底から強く信じており、裁判所の命令には従いかねる」という文書を提出したそう。で、今後、接触禁止命令に従うという誓約書を提出しなければ、服役期間が2〜6ヶ月に延長されることもありうると。
リサの母親は、ことの成り行きに動揺していると語り、これは父性確定訴訟に対するジョーダン側弁護団の報復だと主張しているそうな。娘が娘なら親も親。それとも我が娘を盲愛?
やれやれ。

MeadvilleTribune  MeadvilleTribune  ErieTimes  ErieTimes



posted by まき at 20:02| Comment(2) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

プレイバック:北京2004

アウェイなのに「USA!」の大合唱だったという記事を「エア〜ボール」で読んで、マイケルも熱烈歓迎されていたもんね♪と、2004年のアジアツアー同行レポートを思い出しました。
さすがに元記事はリンク切れのようですが、sina.comの特集ページはまだ健在!

これ、まだ当時はブログをやっていなかったから、む〜ぶさんちの掲示板に書き込んだと思うんですけど・・・今日は急に真夏の大掃除をするはめになって忙しかったし、昔の訳を手直ししてUPしておきます。まあ、今さらなんですが。んで、日本語にするのがやたらと難しい英文だったから、あまり満足できない文章なんですけど。


長いので続きで。
posted by まき at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする
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