2008年12月05日

BLOOD ON THE HORNS (2)

BLOOD ON THE HORNS
The Long Strange Ride of Michael Jordan's Chicago Bulls

by Roland Lazenby  
Published by Addax Publishing Group Inc.


序文(抄訳) - 2
A Room with a View

1998年の春、ウィンターは再び、今まで何度も見送られたネイスミス・メモリアル・バスケットボール・ホール・オブ・フェイムの候補に選ばれた。もし今回も彼を選ばないなら、関係者は殿堂を閉鎖して鍵を投げ捨てるべきだ。

それこそ、私がこの本を執筆した理由なのである。6度目の優勝を目指すブルズは、権力闘争に巻き込まれ、崩壊しようとしていた。ろくでもない状況だ。そのせいで、最も優れたゲームの守護者たち、ジョーダンとウィンターのキャリアを終わらせ、ひいてはゲームそのものを脅かしそうだったのだから。

私は理由を知りたかった。

そして、この本はそれに答える試みである。

かつて、デトロイト・ピストンズでプレイヤーたちのエゴの操縦を余儀なくされたチャック・デイリーは、「ゲームはシンプルだ、が、人間は複雑だ」と言ったものだ。

ついでながら、ピストンズは2度優勝しただけで、自分たちの結びつきが完全に消耗していることを自覚させられた。内部に大きな問題を抱えながらも強くなり続け、6度の優勝を達成したことは、ブルズを形成した偉大な競争者たちへの素晴らしい証である。

要するに、ブルズを崩壊の瀬戸際へ押しやったものは何か?

簡単な答えはない。しかし、1つ答えを見つけなければならないとしたら、私は「ジェリー・クラウスGMの不安感」と言うだろう。

しかしまた、何がブルズを6回優勝させたか答える必要があるなら、「マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピペン」の次の答えは、「ジェリー・クラウスの不安感」であるだろう。

実際は、彼ら全員に崩壊の責任がある。ジェリー・クラウス。フィル・ジャクソン。スコッティ・ピペン。マイケル・ジョーダン。ジェリー・ラインズドーフ。テックス・ウィンター。ちょうど彼ら全員が、得も言われぬ甘美な、あまたの勝利の瞬間に関与していたのと同じように。

それは、クラウスを毛嫌いするマイケル・ジョーダンやスコッティ・ピペンを喜ばせる記述ではない。そして私は、ジョーダンやピペンの気に障るような記述をすることを、心からすまなく思う。なぜなら、彼らは素晴らしいバスケットボールチームの巨大なハートであるから。しかし、それは真実なのだ。

どうして彼らはクラウスをひどく嫌ったのか?

ピペンがクラウスを嫌った理由は、自分をトレードしようとしたことを最大の侮辱と考えたからだ。

ジョーダンもまた、ピペンをトレードしようとしたことと、ジャクソンとの不和のせいで、クラウスを嫌った。それはどちらもチームの競争力を阻害する行為であり、ジョーダンは何にもまして、戦いを邪魔するものは許さない。

それ故に、1998シーズンが終わるとき、ブルズファンはチームの権力闘争と崩壊の危機に直面した。それは、ジャクソンやウィンターやラインズドーフが、けりをつけ、前へ進もうとしながら動きが取れない状況での、クラウスとチームの2人のスーパースターとの支配の問題だった。あるいは、それに近い何か。

それは私に父のセットショットを思い出させる。彼は1930年代と40年代にウエスト・バージニア南部のセミプロリーグでプレーしていた。私は遅い子供だったので、父のプレーを見ることはできなかったが、思い出話はいろいろ聞かされた。当時最高のプロチーム、オリジナル・セルティックスとの対戦でシュートを決めた話など、本当かどうかは分からない。けれども私は信じている。父は私が生まれる前にひどいやけどを負い、h-o-r-s-eゲームか軽いワン・オン・ワンしかできなくなった。我が家のドライブウェイには12×12のコンクリートのコートがあったが、父はフープからゆうに30フィート以上ある横庭の楡の巨木の辺りからシュートをするのが好きだった。一方へフェイクし、前へ踏み出し、両目が見開かれ、両手セットのシュートが放たれ、小さな歓声がもれる。それは彼流のトラッシュトークだった。

もちろん、父からの本当のレッスンは、人生にはh-o-r-s-eゲームと同様の、広いパラメーターが必要だということだった。

ある日、権力闘争について話していたフィル・ジャクソンの言葉で、私は父のことを思い出した。ジャクソンは、クラウスがいかにして、常にピペンとジョーダンに対する何らかの支配を確立しようとしているか話していた。「すべてはコントロールの問題なんだ」とコーチは言った。「支配欲がすべてだ。コントロールの感覚を持つのは良いことだと思うが、個人の境界線は拡げなければならない。開放的な状況を狭めれば、誰かが四六時中フェンスに突き当たることになる」

巻き込まれた人々が大きければ、限界もそれだけ広くなるようだ。

そこから私は、素朴な考えに達した。主要人物全員を1つの部屋に集め、それについて論じさせたらどうだろう? 彼らは皆、怒りから行動し、互いを傷つけ合っている。彼ら全員が、それぞれに痛みを抱えていた。なぜ話をつけないのか? そこである日、私はジョーダンに尋ねてみた。

彼は私にいぶかるような視線を向けた。
「平和的な話し合いで?無理だね」
「どうしてもっと簡単にいかないんだい?ともかく話し合えば?」

「僕たち5人全員を1つの部屋へ押し込んで」と彼は言った。「お互いに自分たちの苦痛や悩みを告白し、すべてを乗り越えて先へ進む。うまくいくためには、そういう作業が必要だったね」
「あのさ、僕は自分の悩みの大半を早い時期に整理したし、今だって、以前と同じ完全性と決意で自分の仕事を続けているよ」

彼は暗に、クラウスが自分の痛みをやり過ごせず、それどころか、個人的な問題が勝利の妨げになることを許していると指摘した。それは、ジョーダンにとって、考えられる中で最大の罪悪である。

「痛みも苦悩も傷もすべてわきへ置き、自分がやるべきことを考えなければいけないんだ」と、ジョーダンは言った。「ただ悪意を抱えたまま座っているつもりなら、なぜ僕はキャリアを続けるべきなのか・・・もし僕がその瞬間を忘れていなかったら、100%の力を発揮しなかったり、報復を考えるだろう。でも、僕は勝利を心に前へ進んだよ」

パラメーターが、彼らを座らせ、決着をつけさせるのに十分な大きさでなかったことは明白だ。

したがって、この本はその部屋の非常に劣ったバージョンになった。すべてをテーブルの上に広げる試み。その部屋の光景。

ブルズのために。
彼らのファンのために。
私の父のために。

1998年6月15日
ローランド・レーゼンビー

posted by まき at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | BLOOD ON THE HORNS | 更新情報をチェックする
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