2008年08月16日

プレイバック:東京2004

陸上競技の放送が始まる前にUPしておこうっと。
しかし、Michaelと言えばフェルプスなのは、今なら当然だと思うんですけど、「マイケル・フェルプスは史上最高のアスリートか?」て、アメリカのマスコミも相変わらずですねー。水泳選手とゴルファー(もちろんタイガー)やバスケットボール選手をどう比較するんだか。そういえば、ランス・アームストロングがツール・ド・フランスを7連覇したときも無意味な比較をしたがっていたけどなぁ。とりあえず、Michael Jordanで検索するとMichael Phelpsがズラズラです。

Selling his name, not his game

By DAN LEBATARD
Miami Herald Tuesday, Jun 29, 2004

タイムズスクエアとラスベガスを合わせた街のバルコニーで赤ん坊をあやしている状態を想像させるような狭苦しいダウンタウン。東京都心は刺激過多だ。

けれども、マイケル・ジョーダンが街頭を見て回ったとき、東京はうやうやしく距離を与えた。彼が巨大なスポーツ用品店の小さなコーナーを訪れたときは、礼儀正しい拍手で歓迎した。静かな可愛いバスケットボール・コートの落成式で、赤と白と青のリボンを金色のはさみでカットしたときは、行儀が良いスペースをたっぷり与えた。式典を中止するしかなかった北京の暴動のような騒ぎは一切なかった。彼は他の都市でのように群がられたりしなかった。北京では、ジョーダンがステージ上で祝福した高校チームの選手たちでさえ、セキュリティーに引き離されるほどだったのだが。

東京はジョーダンが初めてのアジアツアーで滞在した他のどの都市より近代的で、アメリカ的だ。だから、ジョーダンの頭は雑踏の中で、ほとんど誰の頭より高いところにあったけれど、自分たちの間を歩く彼の姿を見る市民も、不慣れには感じられなかった。

北京では、若者たちが街頭のあちこちでジョーダンを護衛する警官に追いかけられ、数十人の青服の警官が群衆の一部を懸命に阻止し、数十人の緑服の軍人が他の群衆を制するために手を結び合って壁となり、スーツ姿で耳に受話口を付けたシークレットサービスは、ジョーダンのバンが停車するたびに四方八方に広がった。香港では、「God Mr. 23」「No Mike, No Life」「Bless us, Flying One」などのサインを掲げたファンが、ジョーダンの一瞥を得ようとホテルの外で待ち続けていた。そして台湾では、空港の大群衆は息も詰まるほどで(ジョーダンが一般客のように手荷物引渡所まで歩いたので、それは長時間続いた)、人々は自分の足を見ることも、恐怖を覚えてダッシュで逃げることを考えたジョーダンを――本人の言葉によれば、「これは称賛から悲劇に変わりうる」から――見ることもできなかった。

しかし東京は、プラダで何事もなく買い物ができたように、ジョーダンに行動の自由を与え、あまり感動していなかった。

かつて、若いチームメイトが好んだヒップ・ホップを彼は何と呼んだ? 子供の騒音? さて、それはこの街でも、西洋があらゆる方向から流れ込むように、騒々しく彼を包囲した。ダウンタウンの1つの店先のスピーカーからはリュダクリスが、通りを挟んだ真向かいの店からはジェイZが鳴り響いていた。10代の若者たちは、トゥパックのTシャツを着て、エミネムを真似た髪を見せびらかしている。中年になっても若いままであろうとして、弱ったひざでもう1つの山に登ろうとしたジョーダンは、ここでフライングマンであり続けることを、より困難に感じるだろう。なぜなら、東京はアメリカのように、次のゲームへ、次のチャンネルへと、万事がリモートコントロールのような速さで非常に急速に動いている。明日のバイヤーたちは、万里の長城を登っている1人の神話上の霊的フォースを見ないかもしれない。むしろ、ジャンプスーツを着た、ただの41歳の退職した男を見るのかもしれない。 

消費者の次世代は、ジョン・マッデンをオークランド・レイダーズのコーチとしてではなくビデオゲームの監修者として知っている。そしてジョーダンは、自分のことをただ、映画『スペース・ジャム』の中でバッグス・バニーと一緒に跳ね回る男としてだけ知る子供たちに出くわすと言う。アメリカではアニメ・キャラクターだろうと、北京では神であろうと、ジョーダンは、未来の消費者にとって適切であり続けるためには自分自身を再び創造する必要があること、また、この種のゲームでは新鮮な若さの泉にとどまる必要があることを知っている。

それゆえ、彼はここで自分のゲームではなく自分の名前を売った。彼はまた、自分の目的が「ブランドを拡大し、消費者と接点を持ち、ブランドの将来はアジア抜きに考えられないことを皆に理解させる」ことだと言い、それについて正直だった。彼は、ここで自分がスポーツの大使としてどうあるべきか考え、いくつかのつまらないスケジュールもやり過ごそうとしなかった。

それで、北京で畏敬の念に打たれているコレクターたちへの彼の最後の言葉は、「コレクションを続けてください」だった。タキシードとイブニングドレスを着た日本のテレビ局の2人組には、最新のエア・ジョーダンモデルを視聴者から最も良く見える場所に置いてくれるよう頼んだ。ジョーダンがホテルの会議室で、韓国、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピンから飛行機でやって来た記者たちとインタビューを行った際、彼の新しいスニーカーが1足、他には何も乗っていない――まるでそのために用意されたような――会議室のテーブルの中心に置かれていた。

その男は、かつてハゲ頭をクールなものにした。だから多分、フットウェアをアートに変えることもできるだろう(彼の高価なスニーカーは、CD-ROMを付録にしてスチール・ケース入りで売られた)。彼のスニーカーは、現在乗っているオートバイであれ、戦闘機であれ、お気に入りの高級車であれ、自分が関心を持ったものをモデルにして作られてきた、とジョーダンは言う。彼は、1998年のニューヨークでの最後のゲームで1984年モデルを履いたときのこと、そのシューズが信じられないほど重く、ソフトな着地に慣れた足に試合後どれだけの水ぶくれができていたかを思い返して、自分が今までに提供したアドバイスと、プライドをかけた製品向上について語る。

しかし、これは彼がスポーツから与えられた全パワーを使う道か? スニーカーのセールスマンになることが? ソールの宣伝に全力を注ぐことが? 彼はそれに関して常にかなり一貫している。それは、周知のとおり、彼が故郷ノースカロライナ州で論議の的になったジェシー・ヘルムズについて意見を述べることを忌避した理由だ。ジョーダンいわく、「共和党員もスニーカーを買う」から。

アジア横断中のジョーダンの体育館への訪問は、若者向けに巨大スクリーンで上映されるナイキの昔のコマーシャル――ジョーダンのプレーや勝利のシーン、さらにはトーク・シーンでさえなく、ちょうど彼については退屈な部分の――付随的なビデオ映像で始められた。そうやって若い頃の自分がスクリーンに浮かび上がるときこそ、彼は常に最も晴れやかになるように見え、フラッシュバルブもまたそうだった。それらの瞬間、驚くばかりのイルミネーションがほとばしり、小さな星々が巨大なスターの周りではじけ、彼の周囲は明るく輝くのだった。

ジョーダンは、自分がラグジュアリー・スイートに宿泊しているホテルの50階で、ツアー唯一の1対1のインタビューを受けた。ヒップホップ雑誌やスポーツテレビ局、バスケットボール出版社と会うために、彼は狭苦しいホテルの部屋から部屋へジグザグに行き来し、カメラマンは慌ててベッドの向こう側へ裸足で走った。それは、彼のどんな一瞥も喜んで受け入れた3都市でのありきたりな共同記者会見の陳腐さではなく、親密さの錯覚を与えたけれども、話題の要点はすべて事前に承認されなければならなかった(「ナイキは質問を商標認可した」ある広報担当者は真面目にそう言った)。もし、あなたがジョーダンに広州の“搾取工場”への初めての訪問(メディアは同行を許されなかった)についてしつこく尋ねたら、ナイキの代理人は本当にあなたの背中を突いただろう。

その旅行中にたった1回、レブロンをひと噛みすることも意に介さない老いた鮫の姿を垣間見せ、ジョーダンが公に牙をあらわにした瞬間がある。それは、このホテルの一室で起こり、彼の磨き抜かれた企業イメージには好ましからざるジョーダンの側面を明らかにした――巧妙な操作、支配、コントロール欲求を。ツアー期間中には何千枚ものありきたりな写真が撮影されたが、これこそ最も真に迫ったスナップショットだったかもしれない。

ある日本のTVリポーター[※となっていますが、質問内容を考えるとHOOPの宮地陽子さんのことだと]が、ジョーダンのワシントンでの在職期間がどれほど気まずく終わったか話題にしたがって、ナイキのブランドに認可された台本から逸脱したのだ。部屋の後方では、ジョーダンの側近たちが、ブツブツ不平を言いながらインタビューに介入しようと身構えた。ジョーダンは無言のまま彼らを片手で制した。彼は自分で処理するだろう。

「君はそういう質問をできないはずだよ」と、彼は言った。

リポーターは食い下がった。それはなかなか良い線の質問だったから。

「私はとても辛抱強くしている」と、ジョーダンは言った。

それから彼は前かがみになり、指を1本上げた。

「あと1つだけ」と、厳しい声で言う。

インタビューは始まったばかりだが、今それは終わりを迎えようとしていた。

そこでインタビュアーは、ジョーダンの息子がどんなふうにバスケットボールをしているかという柔らかい質問を始め、すると、ジョーダンは見るからにリラックスして、いすに背を預けた。

「それでいいんだ」と、彼は言った。そして、部屋の後方のつぶやきも止まった。

ワシントンは明らかに彼を傷つけ、それについて話もしたくないほど恥をかかせた。彼のキャリアの句読点は、ブライヨン・ラッセル越しのショットによって完璧なものであれたはずだ。しかし、その代わりにそれは、数多くの敗北と、ウィザーズのオーナーに解雇されることで終わった。結局、本人のパワーや名声や富にもかかわらず、ジョーダンは依然として、また常に、使用人だったのだ。そして彼は、これからの後半生でその1人になることに興味がない。今まで手にしたことがないバスケットボールでの特権を得るために、今後はNBAチームの所有を欲している。若者だった頃、彼は他の誰よりも高く飛んだ。そしてまた、年齢を重ねた今も、ひざが悪かろうとそうでなかろうと、彼は自分の上に誰かがいることを望まない。

カメラ撮影が終わって、たしなめられたジャーナリストがジョーダンにプレゼントを――彼がアジアツアーの間に受け取った数多くのうちの1つ――贈ったとき、ジョーダンは「君は僕を面倒に巻き込もうとしたんだぜ」と言った。その後、彼は「絶対に言わないことはある。どのみち、この環境でなくてもね」と付け加えた。駆け引きと権力闘争の20年間で、彼は大いに学んだと言われている。そしてジョーダンは爆笑した。

彼は自分の有名な名前と洗練されたイメージを売るために地球のこちら側へ来た。薄れていく自分の伝説に新しい色彩を加えるために。そのホテルの部屋で、最後の質問が終わり、カメラが片付けられたとき、ジョーダンはマイクロフォンのクリップを外し、彼の布教も完結した。神とその崇拝者――このアジアツアーで、彼らはお互いの囚人だった。アジアの民は彼の衣のすそに触れたいと請い求めた。もちろん、ジョーダンも彼らとの接触を望んではいるが、ただ足元のスニーカーに近づくことを許すだけだろう。



posted by まき at 19:46| Comment(4) | TrackBack(0) | Jordan Brand + NIKE | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
100M凄かったですね!
何気なくTVつけたら決勝でした(笑)。
トレーニングで追いつける範囲を
超越している気がしましたよ^^。

>東京は、プラダで何事もなく買い物ができたように
当時ジョーダンを見かけて「誰?ボブサップ??」とか言った人がいたと
どこかの記事でで読んだ
記憶がよみがえりました(笑)。
Posted by たか at 2008年08月17日 00:20
いや〜昨夜の100Mは歴史的瞬間ですよ〜。
何気なくTVつけて良かったですね!(笑)
私はTVつけっぱなしで待機してました。

>「誰?ボブサップ??」

なんだとー。
不敬罪で逮捕してほしいです!(笑)

それにしても、あの時は夕方のニュースで
ちょっとだけしかやってくれないし、
中国や台湾との扱いの差をひしひし感じました。
台湾なんか到着をTV生中継だというのに…。
Posted by まき at 2008年08月17日 12:52
そもそもあのときの来日は極秘に近いものがありましたよね。イベント参加も「ジョーダンへの思い」を書かせる抽選でしたし、場所も当選者以外には明かされませんでしたよね。中国などでは「ジョーダンがどこに行く」というような情報があちこちに広まったんじゃないかと思います。人口のせいもあるのかな(笑)?

というか、JORDANブランドのプロモーションの割には力が全然入ってなかった気がします。プロモーションならもっと大々的にやっても良い訳で、その後のJORDANブランドの日本での展開がそれまでと比べて、むしろ縮小気味にあることを考えると、すでにアジアのマーケットの中心を中国に絞って、「中国でのプロモーションのついでに寄った」感は否めないと思います。北京にはJORDANブランド専門店やジョーダンミュージアムなんかもありますしね。悲しいですが日本との扱いの差は歴然ですね。

日本ではどこに来るとか、そういった情報はほとんど出回らなかったと思いますし、僕も抽選にもれてからは探すのをあきらめて、地元のナイキショップで両手を広げたポスターをもらいに行ったくらいです。

友人の友人がジョーダンと渋谷で会い、手を振り返してくれたという話を後で聞いて「渋谷に行っておけばなぁ…」と後悔した記憶があります。
Posted by MKT594 at 2008年08月17日 16:53
本当にその通りですよね。来日するという事実以外は何も知らされず、抽選に外れたファンはただ悶々とするだけで。私も「本気でプロモーションする気があるならもっと宣伝して!」と思いましたもん。
中国は巨大マーケットだし、バスケ人気は高いし、差をつけられるのも納得ですけど…。

あの日、たまたま渋谷にいた人はラッキーでしたよね〜。「ボブ・サップ?」とか言うような人にそんな幸運を与えるなんて、本当に神様は不公平だ。(^^;
手を振り返してもらったなんて、なんて羨ましいんでしょう!
Posted by まき at 2008年08月18日 21:01
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