2005年12月16日

思い出をたどれば、とでも

1週間かかって、ようやくサム・スミスのオマージュを読むことができました。
セレモニーの前日に掲載されたピップへのトリビュートも読んでみたいけど、何しろ長い〜。
そろそろ年賀状のことも考えないといけないし。(笑)
またそのうちに、ということで。

【Down memory lane】
      December 10, 2005

92Finals

ホーレスはそこにいた。14カ月のベビーを追いかけ回している北カリフォルニアから飛んで。レイカーズで非常勤の仕事をしながら、ロングビーチ近郊で子供たちのために働いているホッジも現れた。テックスはオレゴンから。数日前にシカゴに着いたデニスは、セレモニー出席のために滞在を延ばしていた。ウィルも、ステイシーも、トニーも、ランディも、ビルもいた。もちろん、ブルズと対戦するレイカーズの一員としてフィルも。そしてマイケルは、ゴルフコースか、モトクロスのトラックか、どこからかやって来た。

そう、必要なのはファーストネームだけ。我々にはそれで分かる。

金曜日、ここではNBAの1試合が予定されていた。しかし、レイカーズ対ブルズのハーフタイムに行われたスコッティ・ピペンの永久欠番セレモニーは、再会の集いとなった。

それは、シカゴ・スポーツ史上一番良い時代の再会、おそらく、アメリカのスポーツ史上最もエキサイティングな時代の再会だった。

多分、かつて一度もこのようなグループは集まらなかったろう -- 魅惑的で、熟練していて、面白くて、論争の的で、幅広く、個性が強く、なおかつ献身的な、大成功を収めたチーム。ボストン・セルティックスやニューヨーク・ヤンキースのようなフランチャイズは、もっと勝っている。アメリカズ・チーム、ダラス・カウボーイズのような、もっと長い間もっと有名だったチームもあるかもしれない。そして、グリーンベイがパッカーズを愛したように、より愛されたチームもあるだろう。

けれども、ジョーダンの並外れた才能、ピペンの優雅さ、それを支えるグラントの勤労意欲やロドマンの因習打破、ビル・カートライトの威厳、フィル・ジャクソンの導き、を兼ね備えた集団は、決して存在しなかった。

それは宝物のようなグループと時代だった。そして、ピペンでさえ、セレモニーのこの日まで、その偉大さを完全には理解していなかった。

「チャンピオンシップを真剣に振り返るのはなかなか難しい」と、金曜日のセレモニーの数日前に、自分にとっての経験や祝典の重大さをじっくり考えるにつれ、ピペンは認めた。「何があったのか、本当には確信さえないんだ。僕たちがどうやって勝ったのか、どうして倒されなかったのか」

それは、ユナイテッドセンターの西側に掛かるジョーダンとジャクソンのバナーの間にピペンのバナーが掲げられた25分のハーフタイム・セレモニーのスピーチで理解された。

ジャクソンはチームの永遠の奮闘を回顧した。ブルズがピストンズを打ち破る前の、ピペンの脳しんとうと偏頭痛を。

「マイケルはチームメイトに厳しく、スコッティは彼らを励ました。素晴らしいコンビネーションだった」と、ジャクソンは言った。

デイビッド・スターンNBAコミッショナーやジョン・パクソン、ダグ・コリンズからの録画メッセージは、ピペンのアンセルフィッシュなプレーと勝利への姿勢について語った。チャールズ・バークリーは、ジョーダンはピペンの歩いた地面にキスをしなければならないと鋭く突いた。

ジャクソンやピペンの家族、グラントやロドマンと共に最前列に着席したジョーダンは、まったく異論がないようだった。彼は、NBA史上おそらく最高のスコアリング・ガードと最高のディフェンシブ・スモールフォワードという、ユニークで競争的で魅力的な組合せについて雄弁に語った。ジョーダンはピペンを、必要な時には常にそこにいる兄弟のようだったと述べ、「私の背中を見守っていてくれた」ことに感謝し、いつでも彼のためにそばにいることを約束した。

「彼の(バナーの)隣に並ぶことは、私にとって非常に大きな意味を持ちます」とピペンは、チームメイトやブルズ経営陣、コミュニティーへの謝辞を述べる際に言った。

たとえ彼が一度も完全にそのすべてを理解したことがなくても。

1991年のファイナル、重要なゲーム3で、ジョーダンがどうやって、確実に思われたレイカーズの勝利をオーバータイムへ持ち込む、フルコートのドリブルからのショットを決めることができたのかを。92年のファイナルで、ゲーム7を回避するために、どうやって彼らが15点のビハインドから回復したのかを。93年に、なぜパクソンのショットが成功したのかを。1998年に、なぜジョーダンが最後のショットを決めることができ、どうして最高にタフなカール・マローンがボールをコントロールできなかったのかを。

ピペンはここ数年間ゴルフを学んでいる。彼の競争心は何年間もゴルフをしてきた元プレーヤーたちに対してフラストレーションを引き起こすけれども、すでになかなかの腕前で、ハンディキャップは10台になった。

「僕が偏頭痛になり、勝つことができなかった88年と89年は、夏中トレーニングをして過ごした」とピペンは言った。「ゴルフは1度もしなかった。プレーすれば良かったのかもしれないけど。でも僕とホーレスは、ずっとジムにいた。家にも帰らずに。あの頃からゴルフをやっていれば、今はもうシングルだと思うよ。だけど、シーズン中ずっと健康でいるためには、体を鍛えなければならなかった。僕たちはそうして、誰にも倒されなかったんだ」

そのようにして、ピペンとその注目に値するグループは、最も重要なシングルの数字を残して終わった -- いつまでもコミュニティーが大切にすべき贈り物である6度のNBAチャンピオンシップ。

Thanks, guys.

Thanks, Scottie.


posted by まき at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | BULLS+シカゴ | 更新情報をチェックする
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