2008年10月10日

TIP-OFF (80)

微妙に意味不明な箇所は深く考えないで下され〜。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第17章:A Different Kind of Star - 7


1993年に、ジョーダンは、ちょっと野球をやってみるために最初の引退を発表した。「父に最後の試合を見てもらうことができたのが、せめてもだ」と、引退会見でコメントしている。ただ、気まぐれに手を出したスポーツで成功することはなかった。単純に、野球もゴルフと同じように、そのような高齢でマスターできなかったということだ。ジョーダンは1995年にバスケットボールへ復帰したが、まだ、さらに3度の優勝を達成するのに十分な時間が残されていた。1998年6月14日、ソルトレークシティーでのファイナル第6戦、残り5.2秒の場面で、彼のジャンパーがネットを揺らしたとき、誰もが、これが彼のプロとしての最後の瞬間だと信じた。そのウィニング・ショットと、彼の顔に浮かんだ決然とした表情は、時間の中に凍結され、時がたつのを見ている。

「いったんモーメントに入ると、物事がゆっくり動き始める」と、どのように自分の最後の偉業を成し遂げたか説明しようとして、ジョーダンは言った。「コートが良く見えるようになる。ディフェンスが何をしようとしているのか読めるようになる。僕はそれが見えた。モーメントを見たんだ」
その日、ソルトレークシティーで、初めてプレイオフのシリーズを制した1988年のクリーブランドとの最終戦と同じように、ジョーダンはこぶしを突き上げ、コートで踊った。彼は、87得点というチーム総得点のうち45点を1人であげ、重要な4スティールを決めた。そして、ジョーダンは常に挑戦を愛していたが、この試合こそ、35歳でチャンピオンとして引退するための強い論拠だった。彼はしかし、そうできなかった。数多の成功と時折の屈辱をもたらした抑えがたい衝動、その闘争心のために、もう一度現役に復帰したのだ。1人の選手として、そして選手ほど熱の入らないエグゼクティブとして、ジョーダンは、2001年から2003年までワシントン・ウィザーズで思い通りにならない2シーズンを過ごし、エイブ・ポリン オーナーから唐突に追放されるというひどい結末を迎えた。ポリンにとって、プレーをしない、ファンを引き付けないジョーダンは、用なしだった。ジョーダンの人事決定は決して優れていなかった。レオナード・ハミルトンをHCとして雇い、1シーズンで解雇した。ドラフト1位指名権を高校生のクワミ・ブラウンに使い、ひどい失敗を犯した。将来のオールスターでNBAチャンピオンとなるリチャード・ハミルトンをトレードで放出した。

ウィザーズ時代は誤りだったが、それで何かが変わったわけではない。彼の指紋は永遠にこの競技に残る。2003年、ついに最後の現役引退をしたあと、ジョーダンは家族と共にほぼ隠遁生活に入った。彼の姿を見かけるのは、常連のゴルフ大会への出場(全米ゴルフ協会の公式ハンデは4オーバー)や、広告契約によるプロモーション、新しい本を宣伝するためにオプラ・ウィンフリー・ショーに出演したときくらいなものだった。

しかし再び、ただプライベートな時間がほしいと強く主張しながらも、ジョーダンはゲームや競争にじっとしていられなかった。やがて、彼とファニータは離婚を発表する。2006年6月、彼はシャーロット・ボブキャッツの共同オーナー兼マネージング・メンバー・オブ・バスケットボール・オペレーションとなり、バスケットボールとノースカロライナ州へ帰って来た。2002年に3億ドルでフランチャイズ権を手にしたボブ・ジョンソン(アフリカ系アメリカ人の実業家)は、その時から4年間ずっと、ジョーダンに働きかけてきた。ジョーダン本人は自分のチームのマジョリティー・オーナーになろうと試みていたが、NBAのフランチャイズの数は限られており、次に入手可能なフランチャイズを確保できる保証もなかった。ラリー・バードも自分のグループを率いてボブキャッツの権利を手に入れようと試み、失敗している。そこで、ジョーダンはジョンソンのオファーを受け入れた。ウィザーズで傷ついた経営者としての評判を正すチャンスを。彼は経営陣の一員であろうとしているが、ボブキャッツの選手たちは、少なくとも1度か2度の練習に顔を出さずにいられるかどうか、声に出して怪しんだ。

彼は驚くばかりに華々しいキャリアを送り、今もそれは続いている。3位指名としては悪くない。

「ノースカロライナ時代から、俺たちはあいつが優秀だということを知っていた」と、サム・パーキンスは言う。「でも、当時はカレッジだったからね。マイケルがあそこまで優れていることは誰にも分からなかった。俺はプロになってから自分の目でそれを知る羽目になったよ。プロ入りして2年目か3年目のシーズン、俺たちのチームと対戦した試合で、あいつは別次元のプレイヤーだった。コートにいる他の誰とも違うプレイヤーだった」



posted by まき at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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