2008年10月15日

今日は長文(^^)

もう1年8ヶ月前のことですが(参照)、シカゴマガジンとやらにジェフのインタビューが掲載されると知り、しばらく探してみたものの発見できず〜。ところが最近、Flickr でMJの画像を検索したとき、ページにあったLive Search の広告をクリックしたら、初めて見るジェフの写真があり、元ページへ飛ぶとシカゴマガジンのあの記事だった!
何かもう今さらですけど、ジョーダン家の生活の一端くらい窺えそうなので、超長い記事を必死で日本語にしてみました。

Heir Jordan
By Noah Isackson

場内の騒々しさは高校バスケットボールの試合開始と共に高まるわけではない。土曜日の午後、オープニングティップの30分前、満員の観客がロヨラ大学のジェンティーレセンター(5500席)へなだれ込む。高校生と同じくらい大勢の大人がスタンドに押し寄せる。テレビクルーは忙しく動き回り、試合前のウォームアップの映像を集めている。企業スポンサーの広告バナーが何枚も会場にかかっている。

その中心にいるのが、ロヨラ・アカデミーとライバルのニュー・トリアーだ。ロヨラ・ランブラーズは、レギュラーシーズンのほとんどの期間、イリノイ州のナンバー2か3にランクされ、3月にピオリアで行われる州のトーナメントの優勝候補の一角を占めている。しかし、この日のメインアトラクションは、あるロヨラ・アカデミーの4年生、穏やかな話し方をするジェフリー・ジョーダンという若者だった。

ジェフはマイケル・ジョーダンの長男だ。観客の一部にとって、これは歴史であり、ベーブ・ルースの子孫が野球をするのを見るようなことなのだ。他の人々にとっては、純粋な好奇心であり、残りのオブザーバーは、コーチ、スカウト、ジョーダンのスキルを査定するのに熱心なバスケットボールおたくである。数年前、ジョーダンはギリギリで彼らのリストに登場した。その後、今シーズンの途中で、タレントスカウトたちは、この18歳の若者をベターな未契約の候補生の1人と呼び始めた。状況はそれほど大きく変わったのだろうか?

騒ぎを大きくしているのは、いつものようにボディガードや大学の警備員に囲まれたジョーダン一家の存在である。マイケル・ジョーダンはロヨラ・アカデミーのベンチのちょうど真向かいの指定席に座った。彼はときどき、ジェフや次男のマーカスにアドバイスを叫ぶ。少年たちの母親であるファニータ・ジョーダンは、マイケルの母親のデロリスと一緒に夫の上段の席に座っている。(この試合の一週間後、夫妻は離婚申請を発表した)

試合中ずっと、ファンはジョーダン一家を指差している。試合後、数十人の人々が一家の周りに群がり、警備陣は結束を固める。人々はこの光景を「サーカス」と呼ぶ。グラマー・スクールからずっとジェフ・ジョーダンに付いて回る注目や凝視を描写するには、あまりに穏やかな表現だが。満員の観客と数えきれないメディアのインタビュー、マイケル・ジョーダンの長男に関した話題でいっぱいのシーズン終了後、ロヨラ・ランブラーズは力強いフィニッシュへの準備を整えている。自分でそれを認めるには控え目すぎるジェフ・ジョーダンのこれから数週間のプレーが、ロヨラ・アカデミーの成績と本人の進学先を決定するだろう。

今シーズンは、勝っても負けても、ジョーダンの相続人という重圧を切り抜け、成功した、とても引っ込み思案な青年のマイルストーンである。

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有名な両親と同じ競技をする子供たちの話はスポーツ界にあふれているが、ジェフ・ジョーダンのキャリアは間違いなく、より現実離れした部類に入るはずだ。彼の父親のように観客を魅了したプレイヤーはほとんどいない。簡単に言えば、マイケル・ジョーダンは、ベーブ・ルース、サイ・ヤング、モハメド・アリ、ウォルター・ペイトン、ボビー・ハルのようなスポーツ・レジェンドと肩を並べている。

「有名なアスリートを父親に持つ子供たちの中でも、ジェフの経験が最も強烈だろうと思う」と、故ウォルター・ペイトンの息子で、テネシー・タイタンズにドラフトされたジャレット・ペイトンは言う。

ボビー・ハル(NHLシカゴ・ブラックホークスのアイコン)の息子のブレット・ハルは、カナダでアイスホッケーをプレーしていた自分の子供時代を「悪夢」と表現する――そして、それは30年も昔の話で、アスリートへの注目が今ほど大きくなかった時代のことだ。自分も元NBA選手であり、殿堂入りしたリック・バリーの息子であるESPNのバスケットボール解説者、ジョン・バリーは、「(ジェフは)バスケットボールという競技をプレーした、たった一人最も偉大なプレイヤーの息子だ。どうすればその基準に達することができる?」と言う。

幼児期にバスケットボールに心を奪われたジョーダンは、「名前のプレッシャー」を認めている。しかし、“サーカス”が自分を取り囲んだ頃には、もうゲームが楽しすぎてプレーをやめることはできなかった、と本人は言う。「いつも、それでも楽しかった。どんなに他のことを考えても、どれだけプレッシャーがあっても、バスケットボールはいつも楽しかった」

彼の父親は、それがそういうふうに根付いたことを確めようとした。「私たちは自分の子供たちを子供のままにしておいた」と、マイケル・ジョーダンは言う。「たとえ私が誰であろうと、バスケットボールは恐れるようなものではない。息子にプレッシャーがかかることは分かっていたが、そのせいで、本人がやりたいことをして楽しんではいけないということにはならない」

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ジェフ・ジョーダンは、ほぼ6フィートの身長で、厳しいウェートリフティングの成果である分厚い上体をしている。最近、彼は髪型をコーンローからショート・ヘアに変えた。高校を卒業する前にコーンローを切ってほしいと母親から頼まれたのだった。

高校の最終学年が終わりに近づき、ジョーダンは学業や進学問題、バスケットボールで忙しい。一週間のうち数日は、ハイランドパークの自宅にあるジムで軽いトレーニングをするために、午前5時半に起きる。それは数時間後に学校で行う練習の準備であり、コンディショニングの一部は父親の提案によるものだ。「父から、少なくとも1日500本のシュート練習を加えるべきだと言われました」。ある日は、ウェイトベストを着て走ったり、最も練習熱心な選手たちさえ嫌がる一連のディフェンスの動き(かがんで、すり足)の基礎テクニックを繰り返す。

ジョーダン兄弟はたまに協力して父親と対戦するが、マイケル・ジョーダンは、ワン・オン・ワンでプレーすることを避けていると言う。「私は質問に答えるためにそこにいるんだ。シーズンの初めには、一緒に腰を下ろして、彼らが取り組むべきだと思うことを忠告するかもしれない。でも、それを実行するかどうかは本人次第だ。私はいちいち見張っていないからね」

朝のトレーニングのあと、早起きのジェフ・ジョーダンは通学途中にスターバックスへ寄り、ラッテを飲む。日中、彼はカフェインガムをかむ。ロヨラでは平均Bプラスの成績を維持し、大学で心理学か経済学を専攻するつもりだ。

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進学先はまだ決まっていない。ジョーダンは自分の計画を話すことに慎重だし、リクルート活動は春まで続くだろう。念のため、イリノイとミシガンとジョージタウンには願書を送った。そこでは、バスケットボールを断念して普通の一年生になることだろう。しかし、彼の念願は、ディビジョンTでバスケットボールをすることだ。最近まで、彼が一流校でプレーするほど優れているかどうかという懸念があった。2006年の初めには、ノーザン・アイオワやデヴィッドソンのような小さな大学から勧誘されたが、春と夏のトーナメントで全米のトップ選手と対戦したことがジョーダンの株を急上昇させた。今、彼はどの学校から誘いがあるか待っている。
「彼は大学で立派なキャリアを送りそうだ」と、スカウト・ドット・コムのデイブ・テレップは言う。もう1人のカレッジスカウト、ヴァン・コールマンは、ジョーダンを若き日のB.J.アームストロング(無名高校生からアイオワ大学で活躍し、のちにシカゴ・ブルズの三連覇に貢献した)と比較している。

ジョーダンはバスケットボールと学校に忙しいが、休みの時間には普通の高校生だ。スポーツのテレビゲームが大好きだし、父親の影響で昔の西部劇に(ジョン・ウェインよりクリント・イーストウッド)はまっている。父親と一緒に、『Law and Order』の古いエピソードに熱中していて、「僕らは、ソファに座って何日でも『Law and Order』を見ることができるよ」と言う。少し恥ずかしがりながら、最初は母親と一緒に見たABCの『Grey's Anatomy』が好きなことも認める。他の十代と同じように音楽にも夢中だ。高一から友達になったジャック・ジョイスは、2人で一緒に自分たちのラップを作曲していると言う。ジョイスは友人のことを謙虚でおおらかと表現する。「同じパーティーで一緒になったとしても、彼がマイケル・ジョーダンの息子だなんて見分けられないと思うよ」

ジェフの姿勢は、彼や弟妹(16歳のマーカスと14歳のジャスミン)がどう躾けられてきたかということを反映している。マイケルとファニータは、どちらかと言えば質素な家庭で育った。「こういう状況でも、私たちはできるだけ堅実な子供に育てたつもりです」と、ファニータ・ジョーダンは言う。一家は、子供たちが幼い頃からずっとハイランドパークに住んでいるが、ファニータの実家があるサウスサイドのローズランドを訪れ、時間を過ごしてきた。エバーグリーン・プラザ・モールでブラブラし、ファンウッド・パークで遊んだ。マイケルの故郷、ノースカロライナ州ウィルミントンへも旅行した。「自分たちのルーツを知り、今の恵まれた生活が当たり前のことではないことを理解してほしかったの。いつかは親元から巣立って行くわけだから」と、ファニータは言う。

ある初冬の朝、風邪の症状から回復中のジェフ・ジョーダンは、ロヨラの進路指導室に座り、自分の両親が「僕にノーと言うことをためらわなかった」と説明する。彼は成績に応じた小遣いをもらい、それが次に成績表をもらうまでの全財産だった。「幼い頃は両親も甘くて、僕もたくさんねだったよ」と彼は言う。「でも今は、『だめだよ。待ちなさい。自分の努力で手に入れなければいけない』という感じなんだ。で、僕の物の見方や他人に自分をどう思われたいかという価値観は、間違いなく家族から植えつけられていると思う」

ジョーダンはまた、自分が実際にいくら小遣いをもらっていたか言うことを拒む分別も身につけている。

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昨年、フォーブズはマイケル・ジョーダンの年収を3200万ドルと推定し、世界で26番目にリッチな有名人にランクした。ジョーダンの名前は数百万ドルの価値がある商業用ブランドであり、ファミリーは強固にガードされている。そのすべてに覆いかぶさっているのが、ノースカロライナ州のハイウェーの路肩に止めた車内で眠っているところを強盗に襲われ、射殺されたジェフの祖父、ジェームズ・ジョーダンの事件であろう。被告のダニエル・グリーンとラリー・デメリーは、1996年に終身刑の判決を受けた。

現在、ほとんどあらゆる場所で、セキュリティーがジョーダン一家の後を追う。子供たちが個人旅行をしたり、ディアフィールドに拠点を置くAAUチームのライジング・スターズと遠征するときも、私設ボディガードが監視している。ボーイズAAUのコーチ、ブライアン・デイビスは、警備陣が必要な準備を整えられるように、前もって数か月分のチームの試合日程と遠征予定を知らせておく。そして、チームが予定から外れた行動をするとき、例えばマクドナルドへ行くときでも、ボディガードに通知するという。

警備とは別に、ジョーダンの行動はほとんど何でもニュースになるため、保護バブルも存在する。最近、ジェフと弟のコートでの功績は多くの注目をとらえ、両親の離婚のニュースはシカゴ・サンタイムズの一面を飾った(私生活に関するほとんどの問題と同様、彼らはコメントを拒否した)。この18年間、ジョーダンは厳格なルールとともに暮らし、友人や家族や教師やコーチやセキュリティースタッフの複雑なネットワークに見守られてきた。部外者と内部関係者の境界は明確で、侵入するのは難しい。

たとえば、私とジェフの最初のミーティングは準備に6週間かかり、母親の要望によって、インタビュー場所は学校の構内に限られた。青年は自分で自分にフィルターをかけるように気をつけている。「(両親は)率直に、これとあれは話してほしくないと言います」と、ジョーダンは説明する。

彼は、時間とともに自分自身の境界線を確立したと言う。今まで、彼がほとんど触れない特定の話題がある:たとえば、自分と父親の比較。あるいは、自分と弟との対抗心をほのめかすこと。あるいは、ジェフを過去の父と結び付けて言及される「ノースカロライナの才能」に関する質問。「僕は父ではありません」と、いつも息子は言う。しかし、彼はまた、その質問がやむことはないかもしれないという現実を甘受してもいる。

ブルズが最後に優勝したとき、ジェフ・ジョーダンは9歳だったため、父親のキャリアの記憶は「断片的に」よみがえると言う。父親の運転で試合へ行ったこと、ロッカールームを訪れたこと、グランドパークの優勝祝賀会で母親のひざに座っていたこと、他のブルズ・ファミリーと一緒に過ごす親睦会があったことなど。「そこにはホーレス・グラント・ジュニアのような友達がいて、一緒に遊んだよ」。その時間の多くはバスケットボールだった。そして、バスケットボールはほとんど即座に大好きになったスポーツだと言う。当時、“サーカス”は存在していなかった。実際、バノックバーン小学校のバスケットボールの試合で、屈託のないジョーダンは、父親の23番を付けた。それが面白いと思って。

ジョーダンが小学校の保護バブルを去って、なじみのないバスケットボールコートに立ったとき、サーカスは始まった。「最高のミドルスクールの選手が行くところを父に聞いたら、いくつかのキャンプの名前を教えてくれて、そこへ送り込まれたんだ」

7学年のとき、ジョーダンはライジング・スターズと一緒にバージニアのAAUトーナメントに参加した。国中から集まった数百人のファン、タレントスカウトやスポーツ記者が、他の日には十数人の父兄しかいない小さなコートに殺到した。マイケル・ジョーダンはライジング・スターズのベンチの真向かいの最前列に座っていた。

試合中、NBAスターの方へボールが転がった。チャンスをつかんだ相手チームの1人の選手が、サイドラインに飛び込んだ。ボールをセーブするためではなく、レジェンドのひざに飛び込むチャンスをものにするために。

その人目を引く行為は十分に無邪気で、観客の笑いを誘った。しかし、一部の人々にとって、それはジェフの幸せな匿名の終わりを示していた。「気の毒に思わないではいられなかった」と、その場に居合わせたスカウトのデイブ・テレップは思い出す。「彼にどんな影響があるか考えないではいられなかったよ」。テレップも他の人々も、ジョーダンが心に傷を負い、たとえば、数日のうちにフットボールへ転向するのではないかと考えた。しかし、ジェフは、そのダイビングのエピソードよりずっと以前に、自分を取り巻く騒動をブロックアウトする準備をしていたと言う。あの日、ジェフ本人はダイブを見ていない。「正直言って、声が聞こえてこない限り、父の方向には注意を払わないんだ」

奇妙に思えるかもしれないが、バスケットボールコートはマイケル・ジョーダンの息子であることがジェフを悩まさない唯一の場所となる。彼は国中のジュニア・ハイAAUトーナメントや、招待されなければ参加できないバスケットボールキャンプ(ノースカロライナ大学へさえ)でプレーを続けた。

「私は今まで、どういう方向も勧めようとしませんでした」と、ファニータ・ジョーダンは言う。「マイケルと私は、常に本人がやりたいことをサポートしました。ジェフの場合、それがバスケットボールだったの」。それでも、チャペルヒルでのキャンプは特にタフだったと彼女は言う。「大きなプレッシャーがあるかもしれないと思いました。息子のカレッジでのキャリアや、あらゆる比較について疑問が起こるのではないかと。でも、あれは息子にとって素晴らしい体験でした」

今、ジョーダンは当時をハネムーンのように振り返る。『プレッシャー』が最大限に高まるのは、ロヨラ・アカデミー入学後である。

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二軍代表チームでプレーする一年生として、32番をつけたジョーダンは、第4Q残り数分の場面で初めて学校代表のゲームに出場した。ロヨラは大差をつけられ、彼がボールを持つたびに、ファンは「過大評価」と合唱した。「自分のことが知られているとは思わなかったので、びっくりした」と、彼は思い出す。別の試合では、相手チームのファンがマイケル・ジョーダンのジャージを着て、「お前は彼じゃない!」と叫んだ。何人かは昔のゲータレードのコマーシャルを真似て、「If I could be like Mike. If I could be like Mike」と歌いさえした。

コート上では自分を証明したい選手たちのターゲットとなり、どの選手もジョーダンを相手に得点したがって、それが無理なら激しいファウルをされた。「ジェフは一度も不満を言わなかった」と、ロヨラ・アカデミーのチームメイト、ジョー・スヘイ(スヘイの父はウォルター・ペイトンの長年のブロッカーであり1985年のスーパーボウルを制したベアーズのメンバー、マット・スヘイである)は言う。「ファウルをされたら、すぐに立ち上がってフリースローラインへ行くだけだ」

2年生と3年生の間の夏、インディアナポリスで開催されたナイキ・オールアメリカン・キャンプは、トップクラスの大学を目指す高校生たちがカレッジのコーチやスカウトに自分のスキルを披露するイベントへ、ジョーダンを招待した。その一週間の間、選手たちはメディア・トレーニングの授業を受け、1人1人が自分の記者会見を開く練習をする。ほとんどの高校生の会見には、ほんの数人の記者、たいていは彼らの地元の新聞記者か、リクルート関係のウェブサイトの記者しかいない。

一方、ジェフ・ジョーダンが記者会見場に入ると、部屋は数十人の記者と「40台か50台の」テレビカメラでいっぱいだった。そのあと、彼はESPNのインタビューを受けるために薄暗い照明のスイートルームに案内された。「僕はナーバスだった」と、ジェフは思い出す。「でも、何を質問されても、できるだけ父のことは話さないようにしたんだ。どんな形であれ、それを僕との対照に使われたくなかったから」。日本から来た記者は、彼が泊まるホテルの部屋へインタビューを求める電話をかけてきた。

ほとんどすべてのコートで、ジョーダンは他の高校生より厳しく査定された。「スカウトにとって最も難しかったのは、ジェフ本人を理解しようとすることと、マイケル・ジョーダンの息子はこうあるべきだと誰もが思うプレイヤーとの対比だった」と、ライバルズ・ドット・コムのスカウト、ジェリー・マイヤーは言う。「私は確かに、それと戦わなければならなかった」

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進学希望の高校生にとって問題をさらに難しくしたのは、一部の大学のコーチが彼のリクルートを渋ったという事実だ、と別のスカウトは言う。彼らは明らかに、「ジョーダン」――そして、父親や家族、彼を囲むバブルに対処するという、その考えにおじけづいた。

現在、スカウトたちは、そういうことが全てジョーダンに不利に働き、彼は「過小評価」されていると言う。本人もそれには鋭敏に気づいているようだ。「自分の名字は、リクルート活動の助けになるよりも害になっているんじゃないかと思う」と、ジョーダンは言う。「それに対して自分では何もできないと分かっているから、たまにイラつくこともあるけど。勧誘の電話をかけるかどうかは、コーチが決めることだからね。僕にできるのはもっと頑張ることだけだし、そのことが大学での刺激になると思う。僕が違う名字だったら、どうなっていただろうと考えることはあるよ。それが、今後4年間の僕の成長にとって大きなファクターになると思う」

ジェンティーレセンターでの試合は、ロヨラがニュー・トリールを60対55で破り、ジェフ・ジョーダンは21得点で試合の最多得点を記録した。ランキング1位のシメオン高校がカーヴァー陸軍士官学校と対戦する第二試合を無視して、多くの観客が出口へなだれ込む。一方、18歳の少年は、回避不可能な試合後のインタビューを受ける。

彼はコートから数歩のところに立ち、疲れていても落ち着いて見える。テレビマイクの方に頭を傾け、かなり簡潔にそれぞれの質問に答えていく。両手ダンクについて(お気に入りのプレー)、父親の前でプレーすることのプレッシャーについて(ジョーダンは父親から試合後の「批評」があることを予想している)、そして、いくつかチームに関する質問があり、問題の核心に触れる質問が:

「君は笑うことあるの?」と、テレビレポーターは尋ねる。「ゲームのラスト5秒まで君の笑顔を見たことがないんだよね」

ジョーダンはくすくす笑う。ゲームのほとんどの時間、彼の表情には激しさと真剣さがうかがわれる。もちろん、アクションの強烈さがそうさせるのだが、また、ジョーダンはジョーダンだ。感情を表す前に良く考えないではいられない。少なくとも人前では、ほとんどあらゆることを熟考せざるを得ない。

「もちろん、笑うよ」と、ジョーダンは笑顔で言う。「ファンの前でプレーするとか、そういうことのすべてが好きだし。だから、試合の最後、僕らが勝利を収めたと分かったとき、僕はハッピーだった」
インタビューが終わり、微笑は消える。彼はレポーターと握手を交わし、出口へ向かい、ロッカールームへ歩み去る。


posted by まき at 21:00| Comment(5) | TrackBack(0) | ファミリー | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マイケル・ジョーダンJr.という名前で無くても、ジョーダンというラストネームを持ち、
長男であるジェフリーは一番つらい立場にあり、そんな中で本当に素晴らしいなあ、と思います。

さすが、マイケルのミドルネームを持つだけありますね。

ファニータさんも自分達の故郷に連れて行き、今の生活が当然ではないという事を理解させるという事も、甘やかさない、素晴らしい親心だと思います。

ジェフリーとマーカスを見守っていきたいですね。

それにしてもジェフリーが、マイケルがブルズにいた頃に経験した事は本当にうらやましいですね。
Posted by BE LIKE MIKE at 2008年10月15日 23:06
世の中には、甘やかされて育った有名人の“バカ息子”やら“バカ娘”の話題も多いのに、本当にしっかりした子育てをしていますよね〜。
私、初めてマイケルの写真集(レア・エアだったか)を見た時、マイケルに抱っこされたジェフリー君の毛糸の帽子に毛玉がいっぱいあって、非常に好感を持ったんです。子供の毛糸の帽子くらい使い捨てできるような大富豪なのに、と。(^^)

それにしても、本当に良くできた好青年ですね。
NBAは無理だとしても、きっと素晴らしく有意義な人生を歩むことでしょう。
マーカス君はいよいよ大学進学だし・・・ジャスミンさんだけ全く消息が聞こえてきませんが。
Posted by まき at 2008年10月16日 20:51
あれ?前のコメントが行方不明…。
そのうちUPされるかもしれないから、二重投稿になってもやっかいだけどな〜。

◎先ほどの私のコメント
【世の中には、甘やかされて育った有名人の“バカ息子”やら“バカ娘”の話題も多いのに、本当にしっかりした子育てをしていますよね〜。
私、初めてマイケルの写真集(レア・エアだったか)を見た時、マイケルに抱っこされたジェフリー君の毛糸の帽子に毛玉がいっぱいあって、非常に好感を持ったんです。子供の毛糸の帽子くらい使い捨てできるような大富豪なのに、と。(^^)

それにしても、本当に良くできた好青年ですね。 NBAは無理だとしても、きっと素晴らしく有意義な人生を歩むことでしょう。
マーカス君はいよいよ大学進学だし・・・ジャスミンさんだけ全く消息が聞こえてきませんが。】

で、訂正なんですが、写真集で確認したところ、毛玉は「いっぱい」ではなく2つ3つでした。<マイケルの名誉のために(笑)
Posted by まき at 2008年10月16日 21:18
ちゃんと投稿されてましたよ。
投稿してすぐ見ても、コメント数が0になっていたりするので分からないですよね。
もし削除出来るようであれば、まきさんの記事の訂正・削除と一緒に、この行まで削除しておいてください。

書きそびれましたが、コーンローを切ってほしいというファニータさんの意見にきちんと答えたジェフリーは偉いです。

やはり、世界中の色々な方々に好かれる為には、今の髪型がいいと思います。
あとからマイケルのようにスキンヘッドにするかも知れませんね。
レイ・アレンも今ではスキンヘッドですしね。
Posted by BE LIKE MIKE at 2008年10月17日 00:03
やっぱり時間がたってからUPされるんですね〜。
困ったもんだ。
私にはどうしようもありませんが、コメントくださる方々に申し訳ないです。m(__)m
(それとも、もしかして私のPCだけの現象?)

BE LIKE MIKEさんの[10/17 00:03]の投稿も、私のPCでは今のところ(10/17 20:25)確認できません。管理ページのコメント欄にはきちんと表示されているんですけど。
もしや、このコメレスを投稿したら反映されるのかな?
コメントの全文削除は簡単なのですが、文章の一部だけ削除することはできないので、このままにさせていただきます。m(__)m

コーンローと言えば、ジェフと一緒に弟のマーカスもコーンローをやめているんですよね。子供の頃のマーカスはジェフよりやんちゃみたいだったのに、大きくなったらちゃんと良い子になってますね。(^^)
Posted by まき at 2008年10月17日 20:28
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