2005年12月20日

Scottie: Now and forever

By Sam Smith December 8, 2005

スコッティ・ピペンのようなプロバスケットボール選手は、かつて1人も存在しなかった。そして、再び現れることもないだろう。もう1人のマイケル・ジョーダンは現れるかもしれない。そのカリスマと才能で世界をわくわくさせる誰か。おそらく、スキルと熟達の技を備えたもう1人のラリー・バードも。ウィルトやシャックのような支配的な誰か、ジェリー・ウェストの鋼鉄の表情と氷のような神経を持った誰か、マジック・ジョンソンの魅力と芸術性がある誰かさえ。

しかし、NBAは二度と、自宅近くの大学からは奨学金どころかウォークオンの資格さえもらえず、高校のコーチが知り合いに頼んでくれたおかげで進学できたものの、NAIAに属するセントラル・アーカンソー大学という、NBA選手とは無縁のバスケットボール部で、タオルボーイ兼マネージャーとして働いていたプレーヤーを見いだすことはないだろう。そのすべてが、NBA史上最高の50人に選ばれ、殿堂入りも確実な選手の若き日の姿だった。

「彼の経歴を知れば、夢は実現するもので、本当の奇跡とはどういうものかということが分かる」と、セントラル・アーカンソー時代のピペンのコーチ、ドン・ダイヤーは言った。「高校3年まで(組織立った)バスケットボールをしたことがなく、6フィート1インチ、140ポンドの控え選手で、人目も引かず、素晴らしいシューターでもなく、ただのオールラウンド・プレーヤーだった子供がここにいる。彼はもっと近くの大学へウォークオンで進学しようとしたのだが、受け入れられなかった。私はただ、昔の教え子(ピペンの高校のコーチ)への厚意から、その少年が学位を取る助けになればと思い、引き受けただけなんだ。しかし、現実的でない夢を持ち、その夢を実現させた子供がここにいる」

誰も奇跡を説明することはできない。あるいは人間の精神すら。17シーズンのNBAキャリアで、6度の優勝チームのクォーターバックを務めたピペンがいなければ。それは、ほとんど未精製の人間鉱物を、ブルズが金曜日に祝おうとする、アスリートとして競技者としての純金に変貌させた、才能とバスケットボール・インテリジェンスとハードワークと断固としたプライドのまれな錬金術であった。

<バナ−・デイ>

友人や家族や恩師や元チームメイトや元コーチに囲まれ、サポートされて、ブルズはピペンの33番のバナーをユナイテッドセンターの天井近くに掲げ、永久欠番にする。それは、コート上での優雅さや能力で、コート内外での失策を薄れさせ、乗り越えてきた男にふさわしい名誉だ。

時にはジョーダンの影であるポジションを冷笑され、個人攻撃ではないにしろプレーの弱点をあざけられ、しかし同時に、ゲームに近い人々からは統率力と最高のバスケットボール・ソウルを崇拝されるという、そのようなアンビバレンスな見方をされるグレート・プレーヤーはいなかったから。

「ジョーダンはいつも、ピペンは特別だと感じていた」と、長年のブルズのアシスタント、テックス・ウィンターは言った。「マイケルは、彼とプレーするのがどれほど楽で、彼がどれほどチームメイトの向上を助けているか、良く知っていた。ジョーダンはピペンを、ピペンはジョーダンを必要とした、とは良く言われる。ピペンがジョーダンを必要としたほど、ジョーダンはピペンを必要としなかったかどうか、私には分からない」

確かに、ピペンは最高の選手の中に属する。7年連続、計8回のオール・ディフェンシブ1stチーム選出。オールスターには7回選ばれ、ジョーダンが最初の引退をした1994年には、ブルズを55勝へ導き、オールスターゲームではMVPに輝いた。NBA優勝6回。1992年のドリームチームでスターになり、オリンピックの金メダル2回。プレーオフの出場試合数はカリーム・アブドゥル・ジャバーに次ぐ史上2位。プレーオフのスティール(1位)、ブロック・ショット、アシストで歴代4位以内に入っている。

それらのスティール、ブロックショット、アシストが、何よりもスコッティ・ピペンをバスケットボール・プレーヤーとして特徴づけている。

<自分の仕事をした>

彼は自分のチームが勝つために必要なことをした。おそらくは史上最高のロール・プレーヤーだった。自分の資質を他の者に与えるために利用した、究極のバスケットボール慈善家だったかもしれない。プレーオフになれば、ほとんどすべてのスタッツがレギュラーシーズンより高くなった。美しいジャンプショットや華麗なポストムーブはなかったが、いくつもの要素をうまくフィットさせていた。

「お伽話のキャリアだった」と、最近のとある午後、ノースショアの自宅でピペンは認めた。「僕はどちらかと言えば、こっそり忍び込んだような選手の1人だった。はっきり認識されていなくてね。バスケの名門校へも行っていないし、有名なコーチにもついていない。うまくなるために自分で必要だと思うことをしながら、独力で階段を登っていた。きっと今でも、僕が通って来た道を、後に続こうと頑張っている若者たちがいると思う。僕は常に自分に自信があった。不安を感じたり、自分の時代が来ないかもしれないなんて思ったことはない。自分と自分のバスケットボール・スキルを信じていた。いつかチャンスが来ると分かっていた。そのために準備を整えていなければならなかったんだ」

人々はいつも偉大さについて説明しようとする。例えば、ジョーダンは最高のシューターではなかった。バードには、素晴らしいスピードも跳躍力もなかった。ジョンソンはシュートがうまくなかった。アイザイア・トーマスは背が高くなかった。無形のものが像を完成する。ある者はそれを競争心、願望あるいは意志と呼ぶ。ピペンの場合それは、自分で持ち続けることができた、頑固なまでの信念だった。

それがどこから来たか定かではない。ピペンは貧しい家庭の12人兄弟の末っ子に生まれた。父親は職場で障害を負い、一家は2間きりの家に住んでいた。しかし、困窮に耐える人間は多いが、ピペンのように対処する者は少ない。おそらく、それが彼を論争へ導いたものでもあった。例えば、自分のために最後のプレーがコールされなかったせいで起こした、悪名高い1994年のプレーオフでのストライキのような。その事件は、ピペンほど信頼されていない選手なら、押しつぶしていただろう。トニー・クーコッチの直前の失敗はほとんど論じられなかった -- それが、再びクーコッチで行くという決断にピペンが怒った理由なのだが。1人の友人はこのように言う。「1年のうち363日、スコッティは模範的市民で模範的なチームメイトだ。でも、残りの2日はそばにいたくなかった」

「僕は物議を醸した。誰だって物議を醸す」と、穏やかにピペンは言った。2人の小さな子供が、部屋の隅からこちらを見つめ、くすくす笑いながら、父親に遊んでもらうのを待っている。「それも人生の一部だ。誰でも経験する学習の期間ということ。少しも後悔はしていないよ。起こったことのすべてから、僕は学んだ。次にはもっと良い判断ができるだろう。要は、それがどう自分のためになったかということなんだ。僕は今までとても幸運だった。だから、ちょっと自分の希望と違うことにでも対処できるようになった」

「世間が自分について書いたり言ったりすることは、本当の人生の有り様には重要でなくなる。時々、世間はその人間が誰かということや、その人が達成したものに嫉妬する。結局のところ、それは僕が決めたことであり、自分が下した決断なら、どんなものでも受け入れるしかない。誰も他人のことは決められない。自分のことは自分で決め、選んだ道に取り組むべきだ。僕は何度か、たぶんベストとはいえない道を選んだ。それには対処せざるを得なかった」

「子供たちにも、自分のことは自分で決めるべきだと教えるつもりだ。僕が手をとって、正しいドアを指してやるつもりはないと。やがてそういう場面が訪れ、子供たちが道を渡らなければならなくなった時、どういう判断をすべきか分かるように、準備させようと思う」

<将来の希望は?>

ピペンは現在、フォート・ローダーデールの自宅とシカゴ間を通勤して、ESPNのバスケットボールショーで解説をしている。トレーニング・キャンプ中にはジャクソンのアシスタントを務め、いつかはNBAチームの、できればマネージメントで働きたいと望んでいる。彼は才能と戦術を見る目が確かな、熱心なゲームの学生だ。

驚き? ウィンターはピペンを、トライアングル・オフェンスをプレーした中で最も頭が良い生徒の1人だったと言う -- 「私が今までにコーチした中で、一番覚えが早かった1人」と彼は言った。「本当にアンセルフィッシュで。他のプレーヤーのためにボールを動かし、あるいはそれ以上のことをしたがっていた。彼にとってトライアングルは簡単だった。大勢の素晴らしいプレーヤーには難しいことだったのだが」

<第一印象>

初めてピペンを見たとき、ジャクソンはたちまち魅了されたと言う。

当時すでにCBAを辞め、NBAで職を得ようとしていたジャクソンは、自前でシカゴのプレドラフト・キャンプへ出向いた。

「彼とマグジー・ボーグスが一緒にプレーしているところを見たんだ。彼らは盗みと虐待で逮捕されるべきだったよ」と、ジャクソンは言った。「2人のチームは、全試合40点差くらいつけて勝っていた。簡単すぎたね。ボールを奪って、ゴー。どちらかといえば、スコッティは無名だったが。結局、私はブルズに雇われ、(アシスタントコーチとして)トレーニングキャンプでは彼と1対1で取り組み、私たちの間に友情が確立された」

「スコッティからもたらされた最高の贈り物は、彼が本当に、他のプレーヤーのためにおぜん立てをする立場から、ゲームを学び、身につけたいと望んだことだった。彼はディフェンスでチームを導き、ゲームプランをうまく調整した。そして、マイケルとはお互いに助け合っていた。1度(練習中に)スコッティがマイケルに、コーナーから左手でダンクする方法を教えているところを見たよ。スコッティは、右足で踏み切って左手でダンクできたから。彼らにとって、ワークアウトは大きな楽しみだったろう」

彼らは、もちろん、シカゴのドリームチーム、チャンピオンシップの不変のメンバーだった。

「マイケルを補完するためにもっと優れた男など、クローンでも作れない」と、ピペンの最初のコーチ、ダグ・コリンズは言った。「特にトライアングルで。そして、ディフェンス面で。彼らはそれぞれのポジションで最高のディフェンダーだ。2人か3人の相手なら、すぐに無力にした。彼は常にマイケルの後ろにいようとしていたが、彼自身もセンセーショナルなプレーヤーであり、彼らのプレーの中で、完璧な補足だった」

<でこぼこ道>

誰の道も楽ではない。ジョーダンの方が予測可能であったけれども。

ハンバーグ高校のピペンのコーチ、ドナルド・ウェインは、彼のことを「私がコーチした中で最高の選手ではなかった」と思い起こす。ピペンが成長した道のりは驚異的だ。

ある夏、ピペンは約6インチ背が伸び、大学3年でついにスターターに定着した。しかし、それでもまだ、バージニア州ポーツマスでのプレドラフト・キャンプでは、ぎりぎり最後の補欠選手で、通常は2巡目指名かフリーエージェントになるレベルだった。それが、ハワイのプレドラフト・キャンプではダンクコンテストで優勝し、シカゴのキャンプでは衝撃的だった。

「(ジェリー)クラウスは一年中、このセントラル・アーカンソーの長い腕の若者について、熱弁をふるっていたものだ」と、ブルズ会長ジェリー・レインズドーフは思い返す。「私は彼のプレーを見たことはなかったが、あの夜のドラフト・ルームでの感触は憶えている。スコッティとホーレスをマイケルと組ませることで、我々は何かを得たのだという、あの感覚を」

ここに至るまで、1度か2度の頭痛にも悩まされた。ピストンズを克服する過程で、当時のバッドボーイ、デニス・ロドマンに観客席へ突き飛ばされたこともある。

「フリースローをするために観客席から戻るときの笑顔が、スコッティについて私が覚えている大事なことの1つだ。我々はついに、片頭痛をもたらされた相手に、長年頭痛の種だったチームに、打ち勝とうとしていると確信した笑顔だった」と、ジャクソンは言った。

シカゴに早い冬が来た。そしてピペンは、腰かけから立ち上がり、裏庭を全速力で横切って行く鹿を眺め始めた。楽々と木立を縫うように進む、なめらかでパワフルな、いうなればピペンのようなスプリント。ピペンは黙って見守っていた。おそらく、ナイーブで、強靱で、あらゆる可能性が確実に開けていた、かつての自分をうらやんで。

「子供なら誰でも夢に見る。1つのチームでプレーすること。自分の背番号が永久欠番になること。望むものすべてを手に入れること。自分は理想の世界に住めると思う」と彼は言った。「ぴったりその通りにはならなかった。でも、何もかもがとても特別だった」



―――やっと完成〜ということで、ピペンのセレモニー関連は一応これで終わりにします。
マイケルもしばらく音沙汰ないでしょうね…。
私は新しいPCの設定でもしようっと。
ブログのテンプレートもクリスマスバージョンにしたかったんですけど、気に入らないので中止しました。真冬なのに「若葉」のまま。(^_^;


posted by まき at 21:01| Comment(4) | TrackBack(0) | BULLS+シカゴ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いよいよ新しいPCですね!
NBA.comチームごとにも動画が整理してあり
ピペンのセレモニーや
クリスマス特集で昔の動画もありますよ^^。

ピペンのセレモニーお客さんが笑ったとこ
「ピペンが喧嘩しかけてきたけどだいたい僕の方が勝った」って感じで聞こえるんですが
ぜんぜん違ってたりして(笑)。

Posted by たか at 2005年12月20日 22:10
たかさん、どうも!
まだ動画を見るところまではいってないんです〜。
とりあえずユーザー登録とか先に済ませないと落ち着かなくて。

>ピペンのセレモニーお客さんが笑ったとこ

それって、ここじゃないですか?
He started the fight and I had to finish most of the time, but I love him like a brother.
だいたい僕が後始末しなきゃならなかったけど、みたいな?(笑)
私は聞き取れなかったので、執念で記事から探しました。(^^)

Posted by まき at 2005年12月21日 22:30
そこです!
肝心なところが聞き取れなかったりするので
DVDなどの字幕で勉強します(笑)。
コービー凄かったですね〜!
アシストゼロっていうのが少し心配だけど。。
来週はマイアミVSレイカーズ
パットライリーも久々の凱旋ですね^^。
Posted by たか at 2005年12月21日 22:44
昨シーズンのコービーはポスト・ジョーダンとして
レブロンより印象が薄くなってましたけど、
今シーズンは巻き返してますね。
レイカーズ対ヒートは今年もクリスマスゲームでしたっけ?
コービー&フィル vs シャック&パット・ライリーですね。
そうなるとやはり心情的にレイカーズ贔屓かな、私は。(^^)
Posted by まき at 2005年12月22日 21:28
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