2008年11月28日

BLOOD ON THE HORNS (1)

ほんのさわりだけ訳してあったのをYahoo!ブリーフケースから発掘したので、とりあえずご紹介。
これで面白そうだと思われたら、Amazonでお買い求め下さいませ〜。
(私が買った値段の半額以下になってるし…むぅぅ)
なにしろ、全文訳すには10年くらいかかりそうですんで。いや、ホント。
想像やら省略やら織り交ぜて、抄訳も意訳もありで、とにかく大筋だけでも日本語にしたいとは思っているのですが。

BLOOD ON THE HORNS
The Long Strange Ride of Michael Jordan's Chicago Bulls

by Roland Lazenby  
Published by Addax Publishing Group Inc.


bulls-logo.gif私は真の雄牛を望んだ。闘牛の雄牛を。ほら、長い角と赤い目を持ち、黒く、たくましく、意地の悪そうな。意地の悪そうな顔つきがほしかったんだ。初期の提案は全身のデザインばかりだった。頭を下げて身構える雄牛、そんな感じの。私は「顔だ、顔だけにしてくれ」と要求した。そして、素晴らしい顔がデザインされた。私はさらに、「この目を赤くして、鼻に血をつけるか、鼻孔を赤く染め、角の先も血で濡らしてくれ」と求めた。彼らは見事にやってくれたよ。それがこのチームのシンボルになった。――デザイナーたちと共にチームロゴを作り出した1966年の仕事について、シカゴ・ブルズの創設者、ディック・クライン

序文 - 1 (抄訳)
A Room with a View

わが父、ウィリアム・ローリー“ホッパー”レイゼンビーにこの本をささげる。“ホッパー”というニックネームはバスケットボールからつけられたものだ。1920年代にバージニア工科大学の最初のバスケットボール奨学生の1人だった伯父のクライドは本当に優秀なプレイヤーだったし、フェイクの達人だった父と私の兄のハンプトンもなかなかのプレイヤーだったが、私は違う。けれどもそれは、私が情熱を込めたピックアップ・ゲームを続ける妨げにならなかった。現在45歳の私だが、膝やかかとに痛みを抱えながら、まだ1週間に3日か4日はプレーを続けている。ここ数年は、どうして自分を拷問にかけ続けるのか、しばしば疑問に思いながら。通常その質問には、ゲームについて何かを書くつもりなら、とにかく日常的にそのゲームをプレーする礼儀を持つべきだと答える。しかし、自分の心の奥底には、他にもっと大きな理由があることを私は知っている。私がプレーを続けるのは、1981年に亡くなった父を身近に感じられるからなのだ。

だから、フィル・ジャクソンがゲームの霊的な側面について話すとき、私は彼が話していることを良く理解できる。

私は今、自分のブルズへの愛着心を説明するために、これを述べている。世界中には、それぞれの理由でブルズに愛着を持つ何百万というファンがいるだろう。

これは私の理由だ:ブルズはゲームの特別な守護者たちによって構成された、特別なチームである。マイケル・ジョーダンは確実にその1人だ。しかし、最も重要な守護者は、本人が『サイドライン・トライアングル・オフェンス』と呼ぶものの発展にプロ生活を捧げてきた76歳のアシスタントコーチ、テックス・ウィンターである。それは、ウィンターが南カリフォルニア大学時代にサム・バリー コーチの下でプレーしながら最初に学んだゲームのための理論的枠組だ。トライアングル・オフェンスは、それを学ぼうとするNBAプレイヤーたちを大いにイライラさせてきた。それでも、ひとたびトライアングル・オフェンスを身につければ、最初は複雑に思われたゲームが驚くほどシンプルになる。それは、ボールを動かす概念に基づいた古典的なオフェンスであり、より優れたプレイヤーがより劣るプレイヤーとボールをシェアしなければならない。要するに、マイケル・ジョーダンのようなプレイヤーが、ディッキー・シンプキンスのようなプレイヤーを信頼しなければならないということだ。それはチームワークの本質である。テックス・ウィンターが指導するトライアングルは、プレイヤー全員がディフェンスを読み、フロアのオープンエリアへカットすることを求める。結果として、ゲームに動きが生まれ、ブルズが実行するモーションは、目もくらむばかりであった。

これはもちろん、つまらないアイソレーション・オフェンスを実行する他の28チームの大半と明確な対照をなす。1人のプレイヤーがバスケット近辺に陣取り、4人のチームメイトをペリメーターに配して、ディフェンスがダブルチームへ行くのを待つというアイソレーション・オフェンスも、それはそれで、誰かがパスをすることにつながるのかもしれないが。

私の友人、CBSのビリー・パッカーは、1998年のシャーロット・ホーネッツ対アトランタ・ホークスのプレイオフを観戦したが、あまりの退屈さにうんざりして、第3クォーターで席を立ったという。

それは私をテックス・ウィンターの後見役へと連れ戻す。彼は、バスケットボールの過去が未来であることを知っている。金勘定よりそちらを考慮するNBAチームは決して多くない。フェニックス・サンズは、1996年の10月から11月にかけてトライアングル・オフェンスの導入を試みたが、最初の10数試合に連敗し、さじを投げた。「あれは本当にトライアングルをやっていたのかどうか」と、当時フェニックスに在籍していたブルズの控えセンター、ジョー・クラインは冗談を飛ばす。「もしかすると、四角形だったかも」

その冗談は、ブルズのアシスタントコーチからダラス・マーベリックスのヘッドコーチに転身したジム・クレモンズにとって、あまり面白いものではないだろう。自分のチームにトライアングルを導入しようとしたクレモンズは、選手たちの反発をかっただけだった。正しいゲームを身につけるのは時間がかかる。今日の若い億万長者たちに、そんな暇はないようだ。

それは、1990年と91年のブルズがオフェンスへの適応に苦しんだことで、はっきり実証されている。ウィンターはまさに、ブルズにトライアングルを導入することへの確固たる決意が、ヘッドコーチとしてのジャクソンの偉大さの始まりだったと指摘することを好む。そして、それはブルズの偉大さの始まりでもあった。

ゲームの初期、昔のプロ選手にはパッシングゲームを言い表す慣用句があった。彼らはそれを「ボールを歌わせる」と呼んだ。

ブルズはもちろん、この10年で数限りなくそれを実行した。ジョーダンの素晴らしいオフェンス能力と、ウィンターの古風なアプローチは、数百万のファンをワクワクさせた。その上、ブルズは対戦相手を完全に圧倒した。怠惰に流れてアイソレーション・オフェンスを思いつくチームがブルズに叩き潰されるところを見るのは、私の喜びだった。それらのチームがまだメッセージを受け取らないということに、私は落胆する。ブルズの偉大さは、ゲームをそうプレーすべきであるようにプレーすることへの、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピペンの献身によってもたらされている。

posted by まき at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | BLOOD ON THE HORNS | 更新情報をチェックする
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