2007年04月04日

記憶はあいまい…

もうKobe or MJ 論争は置いときますが、それに関するサム・スミスのコラムで気になったこと――記憶は美化される――

 一部の人々は、ジャック・ニクラウスより誰かの方が優れているかもしれないと認めることを拒む。他の全員は、タイガー・ウッズがベストだと、ほぼ同意する。
 記憶は当てにならない。実際には、ずば抜けたジョーダンはいない。
 何年か前にあったと確信していることが、本当には起こっていなかったり、少なくとも自分の記憶とは違う状況だったりすることが、しばしばありませんか?
 バラク・オバマは、自分の人生を変えたというライフ誌の記事について自伝で語ったが、当時のライフ誌にそんな記事はなかった。
 心は悪魔のようないたずらができる。
 ジョーダンとメディアの関係のように。まるで、彼がクラッチショットを外したことがないかのように。お粗末なパスをしたことも、自分勝手なショットを放ったこともないかのように。ゲームから遠ざかったジョーダンは、バスケットボールの都市伝説のようだ。誰も彼の遺産と張り合うことはできない。

――たった10年かそこら前のことを誰がそれほど美化するんです?
少なくとも私は美化していませんが。
人間だから失敗することもあるし、苦しむこともある。だからこそ、成し遂げたことが美しく輝くのであって。ナイキのCMじゃないけど、マイケルが何の失敗もしない本物の“神様”だったら、私はファンになっていないと思う。
しかも、記憶は美化どころか風化することだってあるでしょー。

と思っていたら、「時間というプリズムを通して過去が朧になる一方、人間には目の前のことを過大評価するという本質的な習性がある」「ノイズが充満するマーケットで目立つことができるのは、ばかげていたり突飛な意見だけ」みたいなコラムもありました。
興味があったので、ちょっと日本語に・・・決して、MJ派の意見だから訳したわけではありません。(^^; 

Commentary: Don't believe everything you read
Sunday, April 01, 2007
GREG JAYNE Columbian sports editor

連続50得点試合をきっかけに、コービー・ブライアントはマイケル・ジョーダンと同じくらい優れていると言うことが流行になった。

2人は接近しているが、私はブライアントを選ぶ。何と言っても、ジョーダンは40代半ばだし、もう4年プレーしていない。

失礼。ジョークです。

しかし、そういう応答こそ、ブライアントがジョーダンと同じくらい優れているという示唆に対する唯一賢明な反応である。

Bryant is seeking his first MVP award; Jordan won five.

Bryant has three championships; Jordan won six.

Bryant has no awards as NBA Finals MVP; Jordan had six.

Bryant has four all-defensive team selections; Jordan had nine, along with a Defensive Player of the Year award.

ブライアントは驚異的なバスケットボール選手であり、最近の得点記録は注目に値した。しかし、彼が30歳のジョーダンと同じくらい優れているという意見は、ばかげている。

そんなふうに言葉を浪費するのは、石器時代の人間に地球が丸いと説明することで時間を費やすのと同類だ。マストドンの肉は料理した方が美味しい。レッドツェッペリンはビートルズより優れている。

単に、ネアンデルタール人を相手にするとき、いくつかの問題は時間と努力を費やすに値しない。

だから、コービー対マイケル論争を叩く代わりに、我々は、そのような修正主義の考えをもたらした現象について考察しよう。数人の全国的なコラムニストに、ブライアントはジョーダンより優れていると言わせたファクターを検討しよう。

まず、シンプルな人間の本性がある。時間というプリズムを通した過去が、ぼんやり霞む可能性がある一方、自分の目の前にあるものを過大評価する本質的な習性。

『羊たちの沈黙』の主要テーマ――まあ、単に連続殺人犯をどれだけ薄気味悪く描けるかという主要テーマと並んで――の1つが仮定するように、私たちは見るものを切望する。私たちは毎日触れるものを切望する。

そして、この真実を強化することに最も長けているのが、スポーツメディアだ。

最近、我々には、オピニオンでいっぱいのESPNとESPN2とFSNとYahoo! SportsとCBS SportsLineとスポーツトークラジオとインターネットとブログとランドスケープがある。

誤解しないでください。スポーツ報道とスポーツ・オピニオンとスポーツ分析の集団は、よいことであり、4つのテレビ局の時代に育った我々にとってパナケイア(治療の女神)である。

しかし、それはまた、奇怪で不条理なマーケットを作り出した。

マーケットはノイズでいっぱいだから、騒音を超えて聞こえるのは、しばしば、めずらしかったり、とんでもない意見だけ。最も声高か最も愚かな意見こそ名声への最短経路という環境を生み出している。

この環境で損なわれたものは、繊細さだった。その証拠として、ディック・バイタルをバスケットボール殿堂に選出しようとする最近の動きを見ることができる。

しかし、別の言い方をすれば、一般大衆が買い続けるからこそ、メディアは拡大するのであり、趨勢の衰えを予想する理由はない。

それでも、時々、我々がこの新しい世界を受け入れると同時に、無視するにはあまりにもばかげた意見をちょうだいする。時々、誰かがコービー・ブライアントとマイケル・ジョーダンを同じ次元で語る。
posted by まき at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | MJ | 更新情報をチェックする
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