2005年05月26日

野球姿(追加情報あり)

NY在住のSSさんが、ご自分のホームページ Signed, Sealed & Delivered
隠しページにて94年撮影のMJの野球姿を公開してくださいましたので、
どうぞこちらへ。
その他にも、ペイサーズ対ブルズ戦や96年来日時のNike Hoop Heroesの生写真を見ることができます♪
SSさん、本当にありがとうございました!

野球姿のマイケルの表情がいいですよ〜。
それに、普段は隠れているプロポーションの美しさも☆☆☆


yuko_mj23さんやSSさんに生写真見せていただけただけでも、ブログ始めてほんとに良かった。(*^_^*)
私がマイケルの虜になったのは、1995年3月19日の復帰戦を見てからですが、それ以前にもBSでNBAは見ていました。
でも、彼に興味を引かれたのは、野球をやっていた頃なんですよね。お父さんの事件の後、あらゆる栄光と称賛に包まれていた玉座をかなぐり捨てて(当時はバッシングなど知らなかったし)、泥にまみれて1からキャリアを築こうとするその姿に、私の判官びいきな性格がいたく刺激されたと言うか…。
なので、一般的には一時の気まぐれのように片付けられてしまう野球のキャリアだけど、私にとっては思い入れのある期間なのです。

それに、野球のユニフォーム姿も素敵ですよね♪
ウィザーズのユニフォームより似合ってるかも〜なんちゃって。
posted by まき at 21:38| Comment(8) | TrackBack(0) | 野球 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちなみに、以下の場所にもMJの写真が少しあります。ご存知かと思いますが、念のため。

http://ssakai.web.infoseek.co.jp/p_mj_bulls.htm
http://ssakai.web.infoseek.co.jp/p_mj_nike.htm
Posted by SS at 2005年05月26日 23:40
ありがとうございます♪
ブルズの試合の方は、確か以前に拝見したと思いますが、ナイキのイベントの方は知りませんでした。
初めて垂涎のチケットを見ることが出来ました。(^_^;

Signed, Sealed & Delivered掲示板にお礼の書き込みをしようと思ったのですが、かなり場違いな気がしまして…。こちらでお礼申し上げるだけの失礼をお許しください。m(__)m
Posted by まき at 2005年05月27日 20:43
私もナイキのイベントに行きましたよー。当時大学生で、北海道に住んでいたので飛行機代、ホテル代だけでも痛かった(4泊したので全部合わせて10万くらい)のに、チケット代に5万も出してしまいました。。。確かチケットは1万円くらいから出てましたよね。チケット代に見合わないイベントだったけど、MJが生で見れたという感動があったので、自分としてはOKでした。

ところで今、NBA.comで「マイケルのプレイオフ最高パフォーマンスはどれ!?パート1」っていうのをやってますね。
http://www.nba.com/playoffs2005/legendsseries_jordan1.html

彼の場合、名場面が多すぎてvoteするのに困っちゃいますね(笑)
Posted by yuko_mj23 at 2005年05月27日 23:03
あのイベントは、生マイケル見るためだけのイベントだったみたいですね。
それにしても、yuko_mj23さんはやっぱり熱烈ファンだわぁ。
北海道から4泊してですか!?恐れ入りました〜。(#^^#)
私は・・・くぅぅ、当時はかなり忙しい毎日だったので、まだ今後も生で見るチャンスはあるだろうし〜と高をくくって見送ったのが運のつき。
だから未練が残って、しつこく追っかけ回しているのかもしれません(笑)。

私もどれに投票したらいいのか迷って、「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」で選びました♪
Posted by まき at 2005年05月28日 13:00
私は迷いに迷って、1993年のファイナルGame4に投票しました。

1993年は、マイケルにとって試練の年でした。1991年(61勝21敗でリーグ2位)、1992年(67勝15敗で東カンファレンス1位)だったのに比べて、93年は57勝25敗でリーグ3位&カンファレンス2位でしたから(57-25でも立派な成績だと思うけど、この年はバークレーがいたサンズが62勝20敗でリーグ1位)、「神の力」が衰えてきたのか?3連覇が危ない!シーズンMVPを取ったバークレーがこのままブルズとジョーダンを負かすだろう、などとマスコミの格好のネタになったんですよね。あと、スーパースターの宿命なんでしょうが、ギャンブル問題やら何やらで(サム・スミスの”Jordan Rules”が出たのもこの年)あれこれ騒がれて、マスコミに対してはいつもpatientなマイケルが「これ以上私生活を詮索するのなら、一切コメントしない」と怒っちゃって、本当に一切のインタビューに応じなくなったりもしました。サンズとのファイナルのとき、ブルズがアウェイで最初の2ゲームを取ったんですが、その後のGame3はシカゴのホームだったのに、サンズの大黒柱チャールズ・バークレーの大活躍で3オーバータイムの末に負けてしまって。だからGame4のときは自分がリーダーシップを取って試合を進めるべきか、チームメイトにパスを回して打たせるべきかで相当悩んだそうです。そのときアドバイスをしたのがマイケルの親友でもあるお父さんのジェームズ・ジョーダン。それでマイケルは父親の言うとおりに前者を選び、驚異の55点をあげて見事ブルズを勝利に導いたというエピソードがありました。

ここまで長々書いておいて間違いだったらどうしよう(笑)全部を正確に覚えているわけではないので、間違ってても軽く笑って許してください。
Posted by yuko_mj23 at 2005年06月01日 22:37
yuko_mj23さん、詳しくありがとう♪
私も93年のファイナルは、「ジョーダンとバークリー、誕生日が3日違いの親友対決」という新聞記事をはっきり憶えているので、関心はあったと思うんですよ〜。でも、マイケルへのバッシングは全然知らなかったので…知っていれば、判官びいきな性格から、もっと早くファンになっていたはずなんですが。(^_^;
93年はかなり逆風だったみたいですね。95年暮れに青木富貴子さんの本で「マイケル・ジョーダンのかげり始めた英雄像」という93年7月のエッセイを見つけ、「ニューヨークっ子は、ギャンブルスキャンダルのマイケル・ジョーダンに愛想を尽かしてサンズを応援」なんて読んだ時は、何年も前のことなのに怒りでわなわなした私です(笑)。
Posted by まき at 2005年06月02日 20:39
わたしはこの93年にはアメリカにいましたが、確かニックスとのカンファレンスファイナルで、第1戦と第2戦の間(この年はニックスにHCAがあったので)にアトランティック・シティでギャンブルをしていたことがすっぱ抜かれて、マスコミと断絶してしまったような覚えがあります。ここで2戦とも負けたことが(そして例のスタークスのセンセーショナルな「ザ・ダンク」効果もあって)、これをMJを槍玉に挙げる格好のネタに仕立て上げてしまったのでした。
Posted by SS at 2005年06月03日 00:30

当時のアメリカでは、やはり相当センセーショナルな報道をされていたんでしょうか。
本当に、NYでの2試合を落としていなければ、まだ良かったんですよね〜「精彩を欠くプレーも朝までカジノにいたことを知れば納得」と、青木富貴子さんにも書かれていました…。
私は、92年のセミファイナルと93年のカンファレンスファイナルのビデオは全部買ったほどニックスとのシリーズは大好きなのですが、ニューヨークのメディアは嫌いです。(^_^;
両松井選手も苦労が絶えないみたいですし(?)。
Posted by まき at 2005年06月03日 22:43
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