2007年07月29日

ターヒールズ物語(3)

あともう1回続きます。

●ノースカロライナ大学のコーチ陣で最初にジョーダンを見たのは、ビル・ガスリッジコーチだった。「ウィルミントンにいる友人から電話があって、レイニー高校に優秀な子がいるから、一度見に来るべきだと言われたんだ。マイケルのことを耳にしたのはその時が初めてだったよ」
「そこで、私がウィルミントンまでスカウトに行き、スミスコーチに奨学金をオファーすべきだと報告した。マイケルのことはACCレベルのプレイヤーだと思ったが、どこまで成長するかは分からなかったね − 14歳のジェームズ・ウォージーをスカウトした時と違って。当時のマイケルは、単に優れたアスリートというだけだったが、4年生のシーズン中に、良いプレイヤーになるだろうと分かったんだ。まあ、完全に予測できたわけではなかったけれども。あの頃、いや、大学1年のシーズン終了後でさえ、彼はきっと偉大な選手になると確信していたという人がいたら、それは何かの勘違いか、嘘をついているのだと思う。それでも、当時から信じられないほどの闘争心の持ち主だったがね」
 
●「私は、4年生のシーズンが始まる直前、1980年の8月か9月にケンタッキー大学と口頭で約束を交わしていた」と、バズ・ピーターソンは語る。
「それを知った高校のコーチからロイ・ウィリアムスに連絡がいくと、すぐにスミスコーチが高校の体育館にやって来てね。私はプレータイムが欲しかったんだ。誰だってそうだろう。でも、スミスコーチが来てくれたから、再びノースカロライナ大学のことを考え始めた。マイク・ペッパーはUNCへの進学を取りやめたので、私が倒さなければならない相手は、ウィルミントンから来る1年生だった」
「私は、マイケルがどれだけ優秀か、あまり知らなかったんだ。まだ知り合った直後だったしね。彼は私よりずっと早く、11月にノースカロライナ大学と約束して、「君はいつ決めるんだ?」と電話してきたよ。私は1月まで返事ができなかったのだが」
その頃はまだ、バズはスターター争いでジョーダンに勝つ自信があった。1981年の夏、2人が一緒に高校オールスター・ゲームに出場するまでは。
「それまでにも彼のプレーを見たことはあった。でも、彼は突然、まったく違うプレイヤーに見えた。あのゲームでは30得点して、MVPに選ばれるべきだったよ。実際に選ばれたのはエイドリアン・ブランチだったが。あの日初めて、スターター争いでマイケルを倒すのはものすごく難しいことだと悟った」

●1981-82シーズンが始まる前、ターヒールズの専属アナウンサーだったウディ・ダーラムが、開幕へ向けての準備についてスミスコーチに尋ねた。
「なかなかいい。ウィルミントンから来た子がちょっと助けになると思う」
25年後、ダーラムは笑いながら言う:「あれは史上最高に控えめな表現の1つだったね」

●早い時期にマイケル・ジョーダンを見たバスケットボール関係者の中で、最も正確に未来を予見したのは、ビリー・カニングハムだった。カニングハムはディーン・スミスの60年代の教え子で、最初の偉大なプレイヤーだ。ある試合では、48得点&25リバウンドを記録している。1965年、チャペル・ヒルのキャンパスにスミスの人形が吊り下げられたとき、引きずり下ろした学生の1人だ。
彼はやがて、選手としても(67年)コーチとしても(83年)NBA優勝を果たす。
つまり、ビリーCはバスケットボールを知っていた。カニングハムは、NBAシーズンが始まる前の早秋にチャペル・ヒルへ戻り、スミスが指揮する練習を見学するのが好きだった。スミスとカニングハムは、お互いのチームのビデオを見て、お互いのプレイヤーについて批評し合った。
「1981-82シーズンの開幕前、ターヒールズの練習を見学に行き、ジョーダンを見た。そこで、ディーンに『ノースカロライナ大学出身で最高の選手になりますね』と言ったんだ」
「ところが、ディーンは怒り出してね」と、笑いながらカニングハムは続ける。「彼はそういうことを聞くのが嫌いだから。ディーンにとっては全員が平等なんだ。だから私は、『コーチ、コーチ、マイケルを見てくださいよ。簡単に分かることじゃないですか』と言ったのさ」

●サム・パーキンスはマイケルと1学年しか違わなかったが、性格は正反対だった。サムは「のんびり屋」で「物静か」だった。
では、マイケルは? サムに語ってもらおう。
「1年坊主だっていうのに、あいつには何も言えなかったね。お前はシュートができないとか、シュートすべきじゃないとか言おうものなら、絶対シュートするんだから。覚えている人は少ないだろうが、あいつはあまり良いジャンプシューターではなかった。でも、ガスリッジコーチが指導して、弱点が長所に変わるまで取り組んでいたね。それに、当時からバスケット周辺では並外れていた。そこで得点するコツをつかんでいたよ」
「1981-82シーズンでよく覚えているのは、マイケルが練習を面白くしていたことだな。あいつは、自分のチームが勝つと、寮の部屋に帰ってからも、いつまでもいつまでも確認させたがるんだ。そのおかげで練習での競争が激しくなり、全員が上達したと思う」
マイケルがどれほど練習熱心だったかは、皆が覚えている。「試合以上の猛烈さで練習していたな」と、当時2年生だったセシル・エグズムは言う。「マイケルは究極のジム・ラットだった」


・・・え〜と、ガスリッジコーチとビリー・カニングハムの意見は対立してませんか。(^^;


posted by まき at 21:29| Comment(2) | TrackBack(0) | BOOKS | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いや〜面白いですね。確かに「ジョーダン」でほとんど知ってる内容ではありますけど、やっぱり面白い。こういうサクセスストーリーの過程の話ってかなりのツボですw

>レブロンやコービーにさほど惹かれない

やっぱり彼らはほとんど最初から天才なんですよね〜。もちろん彼らだって相当な努力はしたでしょうし、苦労もあったんでしょうけど、それでも並の選手であった時期は皆無に等しいでしょうし、決定的な挫折は味わってないと思うんですよ。
そういう選手がとんとん拍子で「はい、NBAで成功しました」って言っても話としてはなんかつまんないですからねw
Posted by ひで at 2007年07月29日 22:19
どもども。(^^)
私もマイケルが若僧だった頃の話が大好きで。
NBAに入ってからの新人時代のエピソードももっと知りたいなぁ、と思うんですよ。
例えば、他のルーキーのように先輩の“パシリ”をさせられていたのか?とか。(笑)

きっと、高校時代から神童だったレブロンはさせられていないでしょーね。キャブスにとっては、赤じゅうたん敷いて、「陛下、我々一同お越しをお待ち申し上げておりました。ははー」て感じだったでしょうから〜。
とんとん拍子で成功しちゃうおとぎ話なんて、つまんないですよね、ホント。(^^;
Posted by まき at 2007年07月30日 21:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。