2008年05月31日

TIP-OFF (51)

コメント欄でも書きましたが、シャーロット・オブザーバーのトム・ソレンセンは、「30歳にもなろうというのに、まだジョーダンの抑揚や癖や歩き方をマネする」コービーが好きではなく、でもロバート・オーリーが所属するチームは到底応援できず、西カンファレンス・ファイナルではレイカーズを応援したが、ファイナルでレイカーズとセルティックスが対戦したら、オーリーが元レイカーズだったせいでセルティックス応援に傾くだろう、なのだそうです。
Charlotte Observer
私も今回はアンチ・スパーズの立場から初めてレイカーズを応援しましたが、レイカーズが相手だとたちまちリーグの寵愛を失い、妙に邪魔者扱いされるスパーズを哀れに思ったりなんかまでしちゃいまして。(^^;
ま、セルティックスとピストンズにもそんな傾向はあったかもしれませんが、ファイナルはKG&レイ・アレン(ついでにピアース)初優勝を応援したいと思います。

TIP-OFF : Filip Bondy(著) Published by Da Capo Press
第6章:Spokane Man - 4


ストックトンは、ジョーダンやパーキンスやブーイと違い、あるいはバークリーほどにも、一流大学の栄光やメジャーなトーナメント経験と縁がなかった。ゴンザガでの彼のキャリアは、引き出しにしまいこまれたスクラップブックの切抜きや個人のスナップ写真でしか見ることができない:

1981年2月28日、1年生のシーズン:将来のNBAプレイヤーを2人擁する全米ランキングのサンフランシスコ大学を79対67でアップセットした。ストックトンの役割は限られていたが、おそらく、これが大学で経験する最大の勝利だったろう。

1981年12月20日、2年生のシーズン:ストックトンの8得点、4スティールを含む21−4の反撃で、ボイシ州立大学に59対58で逆転勝利。

1982年12月10日、3年生のシーズン:ボイシ州立大学に勝ったホームゲームで18得点。

1983年12月2日、4年生のシーズン:65対63で勝利したロードのアイダホ州立大戦で23得点。レギュレーションの最後にオーバータイムに持ち込む同点シュートを決め、残り6秒でフリースローを2本とも成功させて勝利を確実にした。

1983年12月12日:2試合で41得点を記録し、ゴンザガを5勝1敗のスタートに導き、ウエスト・コースト・アスレチック・カンファレンス(WCAC)の週間MVPに選ばれる。

1983年12月29日:ファー・ウエスト・クラシックの1回戦で17得点してゴンザガを73対57の勝利へ導く。

1984年2月13日:ホイットワース大とポートランド大を破り、ゴンザガ大学史上初の1000得点&500アシストを達成して、WCACの週間MVPを共同受賞。

1984年3月10日:WCACのMVPとオールWCACに選出される。

その他のオールWCACは、ロヨラ大学のフォレスト・マッケンジーとキース・スミス、ペッパーダイン大学のビクター・アンガー、サンディエゴ大学のマイク・ホイットマーシュとアンソニー・ルース、セントメアリーズ大学のデイビッド・ブーンとポール・ピケット、サンタクララ大学のニック・バノスとハロルド・キーリング。

その中で、ストックトンだけがプロバスケットボールのサクセス・ストーリーとなった。マッケンジーはサンアントニオで計6試合42分の出場に終わる。スミスはミルウォーキーで42試合に出場した。ニック・バノスはフェニックスでの2シーズンで68試合に出場。ハロルド・キーリングはダラスで20試合プレー。率直なところ、WCAC出身選手に対する一般的な期待値はそんなものだった。アダム・モリソンの高いドラフト順位が騒がれ、ゴンザガ大学がNCAAトーナメントのリージョンで第3シードにランクされる時代はまだ遠い先のことだ。2006年4月19日にキャンパスで開かれたモリソンの記者会見は、現在の恵まれたゴンザガ大学バスケットボール部のステータスを如実に表わしている。
posted by まき at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | TIP-OFF | 更新情報をチェックする
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